◆過去の「謎の作者佐藤吉郎と『黒流』」の記事 |
1 東北書房と『黒流』 |
2 アメリカ密入国と雄飛会 |
3 メキシコ上陸とローザとの出会い |
4 先行する物語としての『黒流』 |
5 支那人と吸血鬼団 |
6 白人種の女の典型ロツドマン未亡人 |
7 カリフォルニアにおける日本人の女 |
8 阿片中毒となるアメリカ人女性たち |
9 黒人との合流 |
10 ローザとハリウッド |
11 メイランの出現 |
12『黒流』という物語の終わり |
13 同時代の文学史 |
14 新しい大正文学の潮流 |
15 『黒流』の印刷問題 |
16 伏字の復元 1 |
17 伏字の復元 2 |
18 ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』 |
19 モーパッサン『ベラミ』 |
20 ゾラ『ナナ』 |
21 人種戦としての大衆小説 |
22 東北学院と島貫兵太夫 |
23 日本力行会とは何か
そして日本力行会のことも調べていくと、何と現在に至るまで存続し、平成九年に百周年を記念して『日本力行会百年の航跡』という会史も刊行されていることを知った。同書を「日本の古本屋」で検索してみたが、見つからないので日本力行会に問い合わせると、すでに在庫が切れていた。しかし日本力行会の好意で、同書を借用することができた。『日本力行会百年の航跡』はB4判の二段組、多くの写真、地図、図版、人名リストが付された六百ページ近い大冊で、角書タイトルに「霊肉救済・海外発展運動、国際貢献」とあった。詳細をきわめる同書の全貌を短い紙幅で紹介するのは困難だが、それでもここに描かれた日本力行会の発足から戦後にかけての活動をできるだけ簡略にたどってみたい。『日本力行会百年の航跡』の第一編は「島貫兵太夫創業 霊肉救済事業の展開」と題され、次のような一節から始まっている。
本会は明治三十年元旦、「東京労働会」として始まる。島貫兵太夫がかねて念願していた霊肉救済の一端、貧困の救済を苦学生におき、その救済を目的としての運動であった。島貫はやがて米国での苦学の容易なことを実際に確かめて、苦学生の渡米を奨励するとともに海外発展の時勢を機に日本農村等の疲弊に伴う困窮者の海外進出を勧め、その渡米の案内、教育、送出にも力を注ぐ。
島貫は山室軍平の救世早新年労働隊の行軍を明治三十年元旦に目撃し、その行軍に加わったことから、苦学生救済を目的とする「東京労働会」を始めた。それは島貫の牧師の報酬でまかなわれる私塾的存在でもあり、キリスト教伝道結社のような面も持ち、苦学生の救済手段としては筆、墨、紙の行商、『慈善新報』の配布と募金活動、新聞と牛乳の配達などに従事し、次第に新聞配達が主体となっていったようだ。そして同年十一月に島貫は半年余にわたる渡米視察を行ない、苦学生の霊と肉、つまり心と生活の救済のためにアメリカへ行くべきだという確信を得て、帰国後「苦学部」の他に渡米相談、促進、世話を目的とする「渡米部」を設け、そのことで広く知られるようになり、三十三年には島貫の自宅から小石川原町の事務所に移り、中国の言葉「苦労力行」による日本力行会と改称した。その一方で島貫は『渡米案内』『渡米策』『実地渡米』『成功の秘訣』などを次々と出版し、よく読まれ、海外発展、渡米熱を高めた。そして会の機関誌『力行』にも「日本国民は、今や海外の楽土に移住すべき運命に遭遇せり。(中略)而して米国移住こそ我国を救う所なり。故に米国移住は、我国運の発展と知るべし」と書いている。このようにして日本力行会の事業の原型が形成された。
会は以後、この島貫の渡米奨励と人々の教育事業を継承して更に広く海外に雄飛、そこに新天地を求めて荒野密林を拓いて沃野となさんとする若者を益々多く教育、養成して送ることになる。また、その開拓者のたくましい気持ちを培い、その苦闘努力をささえ得たものはキリストへの信仰とこの「力行」の精神であった。
明治三十六年頃から日本力行会は発展し、ライオン歯磨きの会社を経営する小林富次郎による「ライオン館」という苦学生の宿舎、大倉組の奥江清之助の寄贈による建て増しで「望愛館」と名づけられた本部の提供もあり、行商部、出版部、印刷部、図書館などが設けられた。ちなみに生活に窮した石川啄木は日本力行会にいた苦学生の盛岡中学の後輩をたより、明治三十六年の元旦をその寄宿舎で過ごし、啄木の渡米意識もこの体験に影響を受けているのではないかとされている。