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古本夜話85 日輪閣『秘籍 江戸文学選』

菊判の赤い箱入りの十巻本がある。それは昭和四十九年から翌年にかけて、日輪閣から刊行された『秘籍 江戸文学選』で、前回言及した人々が中心になって編まれている。定価は二千円だが、これも二十年以上前に、数千円というゾッキに近い古書価で買ったように記憶している。まずはその著者と内容を示しておこう。

1 黒沢翁満作 『藐姑射秘言』
  沢田名垂作 『阿奈遠加之(上)』 岡田甫訳・解説
2 平賀源内作 『痿陰隠逸伝』『長枕褥合戦』 大村沙華校注
3 山岡俊明作 『逸著聞集』
  沢田名垂作 『好色変生男子』 『阿奈遠加之(下)』 岡田甫訳・解説
4 『末摘花夜話』 山路閑古校注
5 柳亭種彦作 『春情妓談水揚帳』
  式亭三鳥作 『幾夜物語』 入江智英訳・解説
6 『医心方第二十八 房内』 山路閑古校注
7 色亭乱馬作 『玉の盃』
  作者不詳  『好色変生男子』 林美一訳・解説
8 『江戸風流小咄』 宮尾しげを校注
9 『春歌拾遺考』 添田知道
10 『春調俳諧集』
  『幽燈録』 山路閑古校注

ご覧のように、前回取り上げた人々が訳、解説、校注の中心になっていて、名前は出ていないが、花咲一男や坂本篤もブレーンとして加わっていたと考えていいだろう。なお宮尾しげをは『集古』の後年の同人、添田知道本連載28「赤本、演歌師、香具師」で既述している。監修者は共立大学教授の山路の他に、元東大教授の吉田精一、元東京高検検事の馬屋原成男をすえているのは明らかに発禁対策だと推測できる。

このような機会を得て、これまでずっと積ん読状態だった『秘籍 江戸文学選』を通読し、それぞれの解説にあたってみると、大半が各写本を通じて昭和の時代まで継承されるに至ったと想像がつく。それらの近世和本の遍歴には一冊ずつの連綿とした物語があり、この企画へと流れこんでいるのだろう。それらの多くの原本が亡き尾崎久彌の蔵書だったことを知ると、これもまた尾崎の『江戸軟派雑考』に始まる「軟派」研究の水脈がこの時代まで保たれていたことを知るのである。尾崎についてはこれも本連載55「尾崎久彌『江戸軟派雑考』」同56「尾崎久彌と若山牧水」を参照されたい。

どの作品も興味深く、そのような素養に欠けているにもかかわらず、妄言をしたためたくなってくる。だがそれは慎み、ここではここで初めて知り、初めて読んだ第七巻所収、林美一訳・解説『好色変生男子』を紹介するだけにとどめよう。それにこの作品もまた、底本が故尾崎久彌所蔵本となっているからだ。現在は蓬左文庫に収蔵されているらしい。

林の解説によれば、『好色変生男子』は寛政年間に出された五冊からなる読和本、つまり読み物を主とした和印で、挿絵はあるが、春画はない。著者は不詳、画者も署名はなく、ただ内容からして大坂板であるようだ。

ストーリーを説明してみる。観音たちが寄合を開き、凡人の願いをかなえてやるべきかの相談がもたれている。そのことについて、紀三井寺の観音が自分の例を話し出す。子のいない夫婦が何度も足を運び、一子をさずけてほしいと祈りにきた。しかし夫には子種がない。だがこれから七日間のうちに、健康な男がやってきて、妻と交われば、さずかるであろうから、その男を密夫と考えないようにと告げた。満願の日の夕方に、笈を背負った修行者が門口に立ち、一夜の宿をお借りしたいと申し出た。そこで夫婦は待ってましたと飛び出し、様々なご馳走と心からのもてなしをした。何も知らない修行者は旅の疲れからの寝入りばなに、思わず夢を見た。それは女房がうまく子種を受け納めた時だった。修行者はつまらぬところに宿を借り、地獄へ落ちてしまったと悔やみ、行方も知らず、姿を消してしまった。

女房は身ごもり、八ヵ月になると、この夫婦はまたしても観音に男子を与えてくれという。しかし胎内にあるのは女子だった。そこで観音仲間に相談すると、「変生男子」という方法がある。大坂の三津寺観音が懐胎させた夫婦が女子を望んだのに男子ができたので、こちらの「ちんぽ」を切って、そちらへやればいいと話が進んだ。その接着には夫婦の交合による精液が必要だったが、うまくくっつき、ここに変生男子が誕生し、観音も感嘆しきりであった。

観音仲間が世話して誕生させた子供は紀三井寺の名前をとって、君松と名づけられた。しかし成長するに及んでも、男の子らしさは何もなく、十五、六歳になれば紅や白紅で肌を磨き、どうしても男と見えぬので、誰もがお君と呼んだ。そしてこの「変生男子」の「好色」譚が始まっていく。

嫁にしたいという申し出が殺到するに及んで、夫婦はお君を上方へと連れ出す。お君は大阪見物、茶屋遊びに出かけ、役者たちと大いに騒ぎ、お君を女と思いこんでいる役者の雛助と床入りに至る。ところが逆に雛助が尻を向けた弾みに、逆にお君に犯されてしまい、彼はお君が妖怪かと思い、逃げ出してしまった。

お君の旅は続き、船の中でも美しい彼女に誰もが夢中になり、雄狐や呉服屋の後家に惚れられたりして、さらに物語は続いていく。

この『好色変生男子』は江戸の艶本の中でも類のない内容の傑作とされる。平安時代の『とりかへばや物語』(講談社学術文庫)のポルノグラフィバージョンのようにも思えるし、またオウィディウスの『変身物語』(中村善也訳、岩波書店)をも想起させる内容でもある。『好色変生男子』は昭和六十二年に刊行された、同じく林の『江戸艶本を読む』にも要約紹介されている。

とりかへばや物語 変身物語

なお『秘籍 江戸文学選』の続刊は入手しておらず、そのこともあって、日輪閣も発行者の小嶺嘉太郎も調べることのないままに現在に至っている。

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