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古本夜話87 探偵小説、民俗学、横溝正史『悪魔の手鞠唄』

松村喜雄『乱歩おじさん』に、昭和十一年に発表された乱歩の『緑衣の鬼』に関して、次のような言及がある。
緑衣の鬼

 『緑衣の鬼』に登場する夏目菊太郎は「紀伊半島の南端Kという田舎町に隠棲して、粘菌類の研究に没頭している民間の老学者であった。彼の生涯に発見した菌類の新種は一つや二つではなく、その名は世界の学界にも聞こえているほどの篤学者であった」と紹介されている。これは明らかに南方熊楠である。乱歩は熊楠を尊敬し、『南方随筆』上下(ママ)二巻を愛読していた。

さらに乱歩は熊楠と書簡による異色談義を交わしていた友人の岩田準一を介して、熊楠から男色についての質問に対する返事をもらっているという。

『緑衣の鬼』はこの熊楠だけでなく、実は柳田国男折口信夫もモデルとなっているのである。それは熊楠が夏目菊太郎という別名になっているのに比べて、劉ホテルに滞在する緑一色の怪紳士の名前は柳田、探偵作家の友人の新聞記者は折口で、これらの命名が柳田国男折口信夫からとられたことは明らかだ。『緑衣の鬼』はフィルポッツの『赤毛のレドメイン家』(宇野利泰訳、創元推理文庫)に着想を得た作品とされているが、それに加えて、モデルとして南方熊楠柳田国男折口信夫を登場させていることになる。乱歩と熊楠の関係は前述したとおりで、折口に関してはその蔵書に『古代研究』があったことが、『乱歩おじさん』の花咲一男の引用からわかる。ただ柳田に関してはよくわらかない。しかも『緑衣の鬼』の柳田の場合、トランクの中に「若い美しい女」を詰めこんでいて、彼女は「その顔が窮屈に折り曲げた足の、肉色のストッキングにくっついている。手ぬぐいで猿ぐつわがはめてある。荒い格子縞の洋服の上から、ふっくらした乳房が細引で縛られている」のだ。熊楠やミステリの読者だった折口はモデルにされていても怒りはしないだろうが、柳田国男であれば、激怒したはずのキャラクターに仕上げられている。柳田民俗学と乱歩の探偵小説には何らかの因縁が秘められているのだろうか。だが考えてみれば、民俗学者たちも近代の探偵に他ならないのだ。

赤毛のレドメイン家 古代研究

乱歩の場合は定かでないが、横溝正史は確実に柳田民俗学を作品の中に反映させている。それは戦後書かれた『獄門島』『八つ墓村』『犬神家の一族』といったタイトルにも表われ、『悪魔の手毬唄』(いずれも角川文庫)に至って、横溝が参考にしていた民俗学資料が『民間伝承』だったことが明らかになる。『民間伝承』は現在の日本民俗学会の前身である民間伝承の会によって昭和十年に創刊され、一時の休刊はあるが、昭和二十七年まで刊行され、二十年近くに及んだ大部の冊数は国書刊行会から復刻されている。なお私もその編集者だった「橋浦泰雄と『民間伝承』」(『古本探究3』所収、論創社)についての一文を書いている。

獄門島 八つ墓村 犬神家の一族 悪魔の手毬唄 古本探究3

横溝の『悪魔の手毬唄』は岡山と兵庫の県境にある四方を山に囲まれた鬼首村を舞台とし、この地に昔から伝わる数え唄の歌詞通りに殺人事件が起きていくというストーリーで、その冒頭は「プロローグ 鬼首村手毬唄考」と題され、次のように始まっている。

 私の友人のやっている雑誌に「民間承伝」という小冊子がある。これは会員組織になっていて、発行部数もたくさんはなく、菊判六十四ページの文字どおり片々たる小冊子にすぎないのだが、読んでみるとなかなかどうして面白い。

このような説明の後で、語り手の「私」が保存合本している『民間承伝』の昭和二十八年九月号に掲載された多々羅放庵という人の考証「鬼首村手毬唄考」の紹介から、『悪魔の手毬唄』の幕が切って落とされる。そして物語の半ばの第二十三章が「民間承伝」となっていて、その雑誌の背景と「鬼首村手毬唄考」掲載事情が説明される。鬼首村の庄屋の甥である神戸の吉田順吉が『民間承伝』のスポンサーの一人だった。それに関する会話の部分を引いてみる。

 「(前略)順吉さんちゅうひとが早稲田を出ておいでんさるんですの。ところが順吉さんの早稲田時代の親友のかたが、戦後、民俗学たらいうもんにおこりんさって、その民俗学になんたらおえらい先生がおいでんさるそうですなあ」
 「柳田国男先生ですか」
 「そうそうお庄屋さんは柳田先生の愛読者でしたわなあ」(中略)
 「その柳田先生、つまり順吉さんの親友のかたが、その先生をうしろ楯にして、そういう雑誌を会員組織かなんかでおつくりんさったんですの」(中略)」

そこで庄屋の放庵が「鬼首村手毬唄考」を投稿し、あらためてこの旧幕時代の唄が村中に知れ渡り、その唄にのっとって、殺人事件が次々と起きていったのである。

この会話によって、作中の『民間承伝』が紛れもなく『民間伝承』をモデルにしているとわかる。もちろん雑誌創刊事情は異なっているし、『民間伝承』は昭和二十七年十二月号で終刊となり、同二十八年九月号は存在しないし、「鬼首村手毬唄考」に類する論考も管見の限り掲載されていない。

しかし『民間伝承』の会員は昭和十二年には二千名に達し、部数もその後二千部を超えるようになっていたから、江戸川乱歩横溝正史もその会員でなかったにしても、購読者であった可能性は高く、横溝に至っては間違いないように思われる。それに民間伝承の会は柳田国男『山村生活の研究』を始めとする山村、農村、島などの調査報告を刊行していたので、横溝はそれらを参照し、自らの作品に取りこんだのは確実だと考えられる。ただ念のために『横溝正史自伝的随筆集』角川書店)を確認してみたが、『民間伝承』や民俗学への言及は何もなされていなかった。
横溝正史自伝的随筆集

また乱歩の場合は定かでないと書いたが、実作者ではないにしても、戦後における乱歩の探偵小説の同伴者だった中島河太郎は、戦前において柳田国男研究の先駆者だとされている。それゆえに乱歩、柳田、中島をめぐる民俗学と探偵小説の、まだ明かされていない関係が秘められているのかもしれない。

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