出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話89 探偵小説、春秋社、松柏館

江戸川乱歩『探偵小説四十年』は何度読んだかわからないほどだが、読む度に新たな発見があり、日本の探偵小説史のみならず、近代出版史、文学史としても比類のない貴重な記録であると実感させられる。今回も松村喜雄『乱歩おじさん』との関連で読み返し、さらにいくつか言及しておきたい事実に突き当たったので、それも書いておこう。

『探偵小説四十年』において、乱歩は昭和初期円本時代が探偵小説の最盛で、第二のピークが昭和十年から十二年にかけてであり、『ぷろふいる』『探偵文芸』『月刊探偵』『探偵春秋』『シュピオ』などの探偵小説雑誌が簇生し、探偵小説の単行本や叢書の出版が驚くほど活発だったと指摘している。これらの雑誌に関してはミステリー文学史料館編による「幻の探偵雑誌」シリーズの十巻が、近年になって光文社文庫に「傑作選」として収録され、「幻の探偵雑誌」の細目も判明するようになった。

探偵小説四十年 ぷろふいる

しかしそれらの明細はわかっても、雑誌や単行本を刊行した出版社の黒白書房、日本公論社、柳香書院、版画荘、古今荘書院などは、乱歩が言うように「多く素人に近い出版業者であったために、出版部数も少なく、結局は欠損に堪え得ずして中途挫折した」こともあり、詳細は伝えられていない。

そしてまた同時代における探偵小説出版の雄だった春秋社についてもよくわかっていない。それでもとりあえずは乱歩の説明を聞いてみよう。

 老舗春秋社の活動が最も目ざましく、夢野久作君の「ドグラ・マグラ」を皮切りに、創作、翻訳とりまぜて五十種に近い出版をなしとげたほか、シムノンの翻訳叢書十二冊を刊行し、(中略)昭和十三年秋からは甲賀、大下、木々三人選集二十四巻の出版を企て、既にその半ばを発売している。一時は春秋社は探偵小説専門書肆の観さえあったほどである。

乱歩は初期の探偵物の企画は春秋社々主の神田豊穂の企画で、それを次男の澄二が引き継ぎ、『探偵春秋』を創刊し、編集長も兼ねた。その後春秋社が満州に支店を出した時、澄二が同社に赴き、大いに手腕をふるったが、敗戦の際に満州で没してしまい、探偵小説にとっても残念なことだったとも付け加えている。

私が所持している春秋社の探偵小説は、昭和十一年のクロフツ井上良夫『ポンスン事件』だけである。その巻末広告を見ると、『ドグラ・マグラ』からドロシー・セイヤーズの黒沼健訳『大学祭の夜』まで、二十六点が壮観に並び、乱歩の「探偵小説専門書肆の観」の証言が大げさでないことを教えてくれる。

ポンスン事件 ドグラ・マグラ

しかし奥付を見てよくわからないのが、発行所が春秋社、発売所が株式会社松柏館とあることで、両社は住所が同じにもかかわらず、発行と発売を異にする出版社となっている。エリスの『性の心理』の版元の日月社が春秋社関連の会社ではないかと既述したが、松柏館も同様で、発売所とあるから書店も兼ねていたのだろうか。出版業界の常識からいえば、新しい出版社が発行所と表記されるにしても、発売所となることはなく、先行する出版社が発売所となるのが普通だからだ。

実はこの分野の本として最初に出版されたと考えられる夢野久作『ドグラ・マグラ』だが、先述した春秋社などの探偵小説の多くの書影を掲載している八木昇の『大衆文芸図誌』新人物往来社)で確認してみると、松柏館書店発売となっている。そして同じく『ポンスン事件』の巻末広告にある木々高太郎、やはり夢野の『氷の涯』も同様の表記で、明らかに他の巻末広告も箱や表紙は春秋社となっていても、奥付は『ポンスン事件』と同じだと考えてもいい。
氷の涯
乱歩は探偵物の最初の企画は神田豊穂の手になると書いていたし、私の推測によれば、神田は春秋社を設立する前に謡曲本のわんや書店にいた関係で、喜多流謡曲教授としての夢野とも関係があり、それで『ドグラ・マグラ』が春秋社に持ちこまれ、この分野の出版が始まったのではないだろうか。

そしてこれも乱歩が書いているように、神田はすでに盲目に近かったために、従来の春秋社を奥付発行人の龍一、探偵小説の分野の松柏館をその弟の澄二に継がせるために分社化したのではないだろうか。そのように考えれば、春秋社と松柏館の二社表記の説明として納得がいくように思われる。

春秋社が社史を出していないことにもよっているが、出版社の全貌をつかむのは難しいし、春秋社が楽譜の出版社であることを知っている人は少ないだろう。これは円本時代に刊行した全九十四巻の『世界音楽全集』に端を発している。さらにそういえば、杉山龍丸編『夢野久作の日記』葦書房)を読んで、初めて『ドグラ・マグラ』の校正者が柳田泉であったことを知る。

木村毅は春秋社の渦中、もしくは最も近傍にあり、『私の文学回顧録』青蛙房)の中で、春秋社について多くの証言をしているにもかかわらず、これらのことは何も語っていない。

なお言及できなかったが、乱歩は『ポンスン事件』の巻末広告にある自撰の『日本探偵小説全集』、蒼井雄の『船富家の惨劇』、北町一郎の『白昼夢』、多々羅四郎の『臨海荘事件』の出版経緯についても書いていることを記しておこう。

[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら