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古本夜話90 梅原北明『殺人会社』とジャック・ロンドン『殺人株式会社』

前回 『夢野久作の日記』にふれたので、それにまつわる一編を挿入しておきたい。彼は昭和元年八月二十八日(ママ)の日記に「夜、暑し。殺人会社を読む」と記している。これは梅原北明の『殺人会社』と判断していいだろう。梅原を読む夢野、それはあらためて二人が同時代に生きていたことを想起させる。

この連載において、入手していない本や読んでいない本には原則的にあまりふれないことにしてきた。しかし梅原北明が書いた処女作の長編小説『殺人会社』は長きにわたって探してきたが、見つからず、四十年近い年月が過ぎてしまった。それは北明が二十五歳の時の作品であり、大正十三年に「前編」だけが、アカネ書房から刊行され、発禁となった小説である。自分の年齢を考えると、入手や読むことは難しいと判断する他はなく、あえて書いてみる次第だ。

ただ『殺人会社』の書影や荒筋は城市郎の『発禁本』(「別冊太陽」平凡社)などで見ることができる。城の要約を引いてみる。
発禁本

 この作品は、三太郎という名の一日本人が、アメリカのF・M・J・Cという“委託殺人“会社の社員となって、黒人運動指揮者の暗殺やら、排日運動関係者の処刑、ユダヤ人リンチ事件首謀者の処理などにしたがう、という一編である。ここには、人肉食・生体解剖・人間缶詰製造・屍姦と、サイエンス・フィクションも考えつかないような道具だてが揃って、なんとも異様なグロテスク劇である。

同じく城の『定本発禁本』(平凡社ライブラリー)によれば、F・M・J・CはThe F Murder Joint Stock Company 、つまりF殺人会社の略ということになる。
定本発禁本

梅原はこの『殺人会社』を『露西亜革命史』や『デカメロン』の翻訳に先駆け、出版していたのである。だが版元のアカネ書房に関してはしかるべき手がかりもつかめない。奥付はどうなっているのだろうか。

それにもかかわらず、『殺人会社』のことが気にかかっていたのは、これがジャック・ロンドンの『殺人株式会社』にヒントを得て書かれたのではないかと思われたからだ。『殺人株式会社』には翻訳があり、学芸書林から刊行の『危機にたつ人間』(『全集・現代世界文学の発見』2、昭和四十五年)に収録されている。実は私が梅原のことを知ったのは同じ学芸書林の『アウトロウ』(『ドキュメント日本人』6、昭和四十三年)所収の「梅原北明」によってであり、またこの巻には添田唖蝉坊、宮武外骨、伊藤晴雨などの評伝も収められていた。私たちの世代にとって、『全集・現代文学の発見』だけでなく、学芸書林のこれらのシリーズは大きな影響を与えたと思われる。
全集・現代文学の発見

『殺人株式会社』(山本恒訳)の荒筋を示す。殺人株式会社の社長ドラゴミロフはロシアの出身で、コンスタンティンという別名を持ち、貿易会社も経営し、哲学者のような風格である。殺人会社は様々な依頼を受け、警察署長、信託会社社長、知事、興業主、綿業主などを次々と暗殺している。コンスタンティンの姪のグルーニャは恋人のホールとともに貧民街でセツルメント活動に従事してきた。一方でホールは一連の殺人事件に対して、何らかの組織が介在していると確信するようになり、それが殺人株式会社だと突き止める。そしてホールはドラゴミロフに会い、ドラゴミロフ自身の暗殺を依頼する。権力者が社会を牛耳るような時代は過ぎ去ったのだから、同じような存在としての殺人株式会社の社長も退場すべきだというのがその依頼理由だった。ドラゴミロフは依頼人との契約、組織の綱領を守るためにそれを受け入れ、会社の殺し屋たちに自らの処刑命令を下す。彼と殺し屋たちの追いつ追われつの戦いが始まるが、これもまた優秀な人々である殺し屋たちのすべてがドラゴミロフに敗れてしまったので、彼は自殺して果てる。殺人会社そのものがドラゴミロフの命でもあり、それが消えてしまったことも自死の理由であった。この小説には様々な時代のアレゴリーがこめられ、登場人物のモデルをも彷彿させる。だがここではそれらに言及しない。

確かに北明の『殺人会社』とロンドンの『殺人株式会社』はタイトルも似通っているし、後者の内容からいって、北明がヒントを得た可能性も大いにあると思われた。また翻訳の注として、『殺人株式会社』は三分の二書かれたところでロンドンの死によって中断されたが、残されたメモにそって、ロバート・レ・フィッシュが後の三分の一を書いたとあり、ロンドンの死は一九一六年、北明の『殺人会社』の刊行は一九二四年であるから、時代的にも符合していた。

しかし北明の『殺人会社』は読むことができないままに数十年過ぎてしまったことになる。それはともかく十年ほど前にロンドンのことを調べる必要が生じ、ラス・キングマンの評伝『地球を駆けぬけたカリフォルニア作家[写真版ジャック・ロンドンの生涯]』(辻井栄滋訳、本の友社)を読んだ。だが『殺人株式会社』に関する言及はなかった。そこであらためて調べてみると、『殺人株式会社』はThe Assassination Bureau,Ltd. というタイトルで、ペンギンブックスに収録されていることがわかった。直訳すれば、『暗殺専門有限責任会社』とでもなろうか。
The Assassination Bureau,Ltd.

そこに寄せられたドナルド・E・ピースの「序文」や「テキストへの注」を読むと、この作品のプロットはジャック・ロンドンがシンクレア・ルイスから一九一〇年に七十ドルで買ったもので、ロンドンは同年にそれを書き始め、途中で放棄してしまったと記されている。それをミステリー作家のフィッシュがロンドンのメモを参照して完成させ、ケネディ暗殺と同年の一九六三年に刊行したとある。

とすれば、北明はロンドンの作品を読んでいなかったことになり、『殺人会社』と『殺人株式会社』はMurder とAssassination の相違にうかがわれるように、何の関係もないのかもしれない。ただ『殺人株式会社』が未完にもかかわらず、雑誌掲載され、それを北明が読んでいたというわずかな可能性は否定できない気もする。読者のご教示を乞いたい。

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