出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

27 『黒流』のアメリカ流通

◆過去の「謎の作者佐藤吉郎と『黒流』」の記事
1 東北書房と『黒流』
2 "> アメリカ密入国と雄飛会
3 メキシコ上陸とローザとの出会い
4 先行する物語としての『黒流』
5 支那人と吸血鬼団
6 白人種の女の典型ロツドマン未亡人
7 カリフォルニアにおける日本人の女
8 阿片中毒となるアメリカ人女性たち
9 黒人との合流
10 ローザとハリウッド
11 メイランの出現
12『黒流』という物語の終わり
13 同時代の文学史
14 新しい大正文学の潮流
15 『黒流』の印刷問題
16 伏字の復元 1
17 伏字の復元 2
18 ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』
19 モーパッサン『ベラミ』
20 ゾラ『ナナ』
21 人種戦としての大衆小説
22 東北学院と島貫兵太夫
23 日本力行会とは何か
24 日本力行会員の渡米
25 アメリカと佐藤吉郎
26 ナショナリズム、及び売捌としての日本力行会


27 『黒流』のアメリカ流通


さらに想像をめぐらしてみる。これまで検討してきたように、佐藤吉郎が日本力行会に属していたのはまず間違いないし、『日本力行会百年の航跡』の中に二ヵ所しか出てこなかったが、同一人物で、実際に渡米して農場で働き、力行会員の典型であった。しかし彼が他の会員たちと異なっていたのは物語を紡ぐ才能を有していたことで、ともかく特異な作品を仕上げてしまった。しかも大正時代のほとんどを海外放浪に費やしていたために、同時代の日本文学の影響を受けておらず、むしろヨーロッパ世紀末文学、もしくはアメリカのパルプ・マガジンに親しみ、それらを物語祖型として自らの海外体験を反映させ、日本人によって書かれた日本文学にして外国文学のような『黒流』という大作を完成させた。

私が分析してきたような物語構造と描写にもまして、まず『黒流』の何よりの特色は日本力行会と島貫兵太夫をモデルとし、悲劇に終わってしまうが、「力行奮闘の歌」に示された「敵陣」=アメリカで闘う「戦場勇士」=荒木雪夫をヒーローとして描いたことであり、日本力行会のプロパガンダ小説のようにも読める。だから日本の内外を問わず、力行会員たちを鼓舞する物語として受けとめられたのではないだろうか。

この時代において、日本力行会の海外発展運動はとりわけアメリカにあって、排日に象徴される人種差別の壁に突き当たっていたし、それこそ有色人種の連合軍による「叛アメリカ」的物語は力行会員たちを力づけ、痛快な思いを喚起する作用を秘めていたようにも思われる。しかし問題になったのはキリスト教に基づく日本力行会であるから、性的場面、阿片幻覚、賭場などの記述と描写が自主規制され、また発禁処分を受けて日本力行会に問題が跳ね返ることを恐れ、大幅に伏字処理が施されたとの判断もできよう。それらをすべてクリアーした上で、『黒流』は日本力行会の流通取次ルートで送り出された。

その主たる配本先は在米会員が三千人を超えていたアメリカではなかっただろうか。また物語から考えてみても、確実に読むであろう読者が千人単位で存在する出版市場こそは南北アメリカに他ならなかった。それにこの物語からして、同時代の日本では受け入れる読者も少なかったように思える。あまりにも早く書かれすぎた凶々しい冒険小説であり、当時の小説の概念と異なっていたと考えられるからだ。一例を挙げれば、日本の近代小説史において、白人女性たちを次々と征服していく物語がそれまでにあっただろうか。おそらく、ない。

「大売捌所」として日本力行会に関する事情は説明したが、発行所の東北書房と発行者の唐橋重政について、冒頭に記した他の二冊のこと以外はまったくわからない。大正末期から昭和初期にかけての出版史料である複刻版『図書月報』(ゆまに書房)や『図書総目録』(東京書籍商組合)まで調べてみたが、東北書房の社名や『黒流』の書名は見当たらなかった。

これはあくまで仮説であるのだが、東北書房は日本力行会のダミーであり、ほとんど『黒流』を刊行するだけの目的で設けられた出版社なのかもしれない。なぜそのように考えるかというと、もし継続して出版を営んでいるのであれば、東京書籍商組合に加入している可能性が高いし、これらの出版史資料にそれなりのデータが掲載されているはずなのに、出版社としての名前が挙がっているだけで、その他には何の痕跡もとどめていないからだ。したがって、前述の推測に戻るのだが、『黒流』は日本国内での流通販売を重視しておらず、やはり力行会の取次ルートでの海外の読者に向けて流通がなされたのではないだろうか。