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古本夜話101 コナン・ドイルと英国心霊研究協会

松本泰、恵子夫妻が英国に滞在していた一九一三年から十九年にかけては、コナン・ドイルシャーロック・ホームズを復活させ、第四作目の長編『恐怖の谷』を連載し、またホームズ引退の短編『最後の挨拶』を発表した時代であった。またその一方で、ドイルは心霊学の研究に深く入りこみ、英国の心霊研究協会のスポークスマンのような立場で、英国のみならず、アメリカやオーストラリアなどにも講演旅行に出かけ、晩年は心霊学研究一筋に歩んだといっても過言ではない。同時代に英国にいた松本夫妻はドイルの探偵小説が心霊研究とともにあったことを、当然のことながら知っていたにちがいない。ホームズの時代は心霊学の最盛期でもあったからだ。

恐怖の谷 最後の挨拶

ディクスン・カー『コナン・ドイル』(大久保康雄訳、早川書房)によれば、第一次世界大戦での長男のキングスリーの重傷とその死をきっかけにして、ドイルは心霊学にのめりこみ、その後の三十年を心霊学研究に捧げ、亡き後には千冊に及ぶ心霊学の蔵書、及びその研究と体験に関する膨大な資料が残されていたという。
コナン・ドイル

それらのドイルの研究や著作は多くの訳があるホームズ物と異なり、ほとんど翻訳されておらず、まとまったものは心霊現象アンソロジー集『神秘の人』(小泉純訳、大陸書房)だけではないだろうか。ただしこれもドイルが一九三〇年代に刊行したとわかる「まえがき」が付されているだけで、原書の表記、紹介は何もないことからすると、訳者によるドイルの心霊学研究の恣意的な抄訳であるかもしれない。

英国の心霊研究協会は一八八二年に王立科学大学物理学教授のウィリアム・バーレット、すなわち新光社の「心霊問題叢書」の著者が中心となって設立された。その他の著者たちもメーテルリンクを除いて、心霊研究協会の会員であるから、「心霊問題叢書」はこの協会の会員たちの著作を紹介する目的で企画刊行されたといっていい。

明らかにドイルはこれらの著作を読んでいたし、ロッジの『レイモンド』の書評を『オブザーバー』に掲載して以来、探偵小説を書くことを放棄し、最も著名な心霊学研究者として、「心霊学関係の書物、心霊関係の記事、心霊学関係の論文以外のものは、あまり書いてはならない」と考えるに至ったのである。

その一方で、この心霊研究協会は権威ある国際的な研究機関として認められ、英国人以外の著名な学者たちも会長に就任するようになっていた。当初は詩人、批評家のフレデリック・マイアーズ、ウィリアム・バーレット、歴史家、民俗学者アンドリュー・ラングが会長だったが、次第にアメリカの心理学者ウィリアム・ジェームズ、フランスの生理学者シャール・リシュ、哲学者のアンリ・ベルクソン天文学者で『不可思議の世界』の著者カミュ・フラマリオン、ドイツの動物学者にして哲学者のハンス・ドリーシュなどが担うようになった。また本連載71「江戸川乱歩と『J・A・シモンズのひそかなる情熱』」及び73「乱歩以後のJ・A・シモンズ」でも言及した他ならぬシモンズも会員であった。日本でも「心霊問題叢書」の他にも、彼らの著作は大正時代に翻訳され、文学、宗教、科学、民俗学、探偵小説などの多方面に大きな影響を与えたと思われる。

しかし心霊研究協会の会員の著作のうちで、最も重要なのはフレデリック・マイアーズの死後、一九〇一年に刊行されたHuman Personality and Its Survival Bodily Death であり、ドイルもこれを読んで、心霊研究に赴き、交霊会を開き、霊媒と同席するに至っている。
Human Personality and Its Survival Bodily Death

マイアーズの著書は妻の死後に彼女と交信することで、人間の意識の存続を確信し、科学的かつ物質的な探究を重ね、身体は死んでも魂は存続しているという結論に達したことが表明されていた。しかしこれは大部なために、現在に至るまで翻訳されていないが、夏目漱石や南方熊楠もこれを読んでいた。水野葉舟の蔵書にもあったと、水野葉舟の『遠野物語の周辺』(国書刊行会)を編んだ横山茂雄が報告している。
遠野物語の周辺

先に心霊研究協会の会員たちの著作は民俗学にも波紋をもたらしたのではないかと書いたが、水野葉舟こそは佐々木喜善を伴い、柳田国男に紹介し、『遠野物語』を出現させる、それこそ触媒を務めたのであり、横山は次のように書いている。
遠野物語

 文学史にはまったく記載されていないが、明治三十年代の終りから大正末年までの期間、葉舟が異様なまでの情熱を傾けたものは、実は、怪談、怪異譚の蒐集、心霊研究であり、彼は夥しい文章を遺している。そればかりか、まさにこの関心ゆえに、彼は『遠野物語』の成立に少なからぬ役割を果たすことになったのである。

また夏目漱石は『思い出す事など』の中で、マイアーズに言及しつつ、アンドリュー・ラングの『夢と幽霊』を読んだことを記している。おそらくそれは『夢十夜』の成立に影響を与えたのではないだろうか。ラングは日本において、『ラング世界童話全集』(川端康成他訳、東京創元社、偕成社)しか紹介されていないが、水野の「怪談」は『夢と幽霊』の翻訳と考えられ、柳田の蔵書にもラングの民俗学の四冊の著書がある。この時代の心霊研究と出版社については拙稿「心霊研究と出版社」(『古本探究3』所収)を参照されたい。

思い出す事など 夢十夜 ラング世界童話全集 古本探究3

しかしこの英国における心霊研究の動向を描いたジャネット・オッペンハイムの『英国心霊主義の抬頭』(和田芳久訳、工作舎)を読んであらためて驚くのは、心霊研究が十九世紀大学改革運動を担った主として科学者、それも英国国教会に属する人々、及びマイアーズやロッジを始めとする聖職者の息子たちに担われていたことである。それと交差するかたちで、詩人や文学者によるギリシャ、ヘレニズム研究を通じて、禁制のホモセクシャルの扉も開けられようとしていた。オッペンハイムの翻訳に付されたコピー「ヴィクトリア・エドワード朝時代の社会精神史」はまさに奥深く、錯綜を極めている。これまでずっと書いてきたように、近代日本の文化史もその照り返しを強く浴びているのだ。
英国心霊主義の抬頭

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