出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話102 黒岩涙香『天人論』とマイアーズ『霊魂不滅論』

前回言及した英国心霊研究協会とその七代目会長フレデリック・マイアーズが著したHuman Personality and Its Survival Bodily Death は、明治後半から大正時代にかけて、日本の文学者たちに予想以上に広範な拡がりを持って、大きな影響をもたらしていたようだ。その一人に黒岩涙香を挙げることができる。
Human Personality and Its Survival Bodily Death

黒岩周六名で刊行された『天人論』は明治三十六年に自ら経営する朝報社からの出版だが、めずらしい本ではないと思う。手元にある本を見ると、五月に初版、八月に十版を重ねていて、当時のベストセラーだと考えていい。それに『黒岩涙香集』(『明治文学全集』47、筑摩書房)には書影も含めて全文が収録されているので、たやすく読むことができる。『天人論』は宇宙観と人生観を合わせ、一元的に論じたものであり、二十世紀を迎えての新しい平易な哲学書とでも位置づけられるだろう。

黒岩は『天人論』初版刊行の翌月に華厳の滝で自殺した藤村操について講演し、それを「藤村操の死に就て」(前掲書所収)と題し、『万朝報』に発表している。彼は藤村の死について、「時代思想の反応」であり、心霊信仰を持たざるゆえの死だと論じ、そこには藤村が『天人論』を読んでいればというニュアンスがこめられていた。これが『天人論』のベストセラー化を促したにちがいない。

伊藤秀雄は『黒岩涙香伝』(国文社)の中で、『天人論』が「当時の迷える青年に大きな光明を投じ」、「哲学的の価値はとも角として本書は涙香の一生を通じての大著であり、彼の快心の傑作」だと述べている。だが残念なことに、三好徹の小説『まむしの周六』(中央公論社)では『天人論』について何もふれられていない。

黒岩涙香伝 まむしの周六

『天人論』は表紙に示されているように、「物資の本性」「宇宙の実体」「人生の覚悟」「道徳の根底」「霊魂の未来」「宗教の真価」の六章からなり、それらへの「千古の疑問」に「一元の解案」を与えるという構成になっている。黒岩の言によれば、『天人論』はハーバード・スペンサーの影響を受けて書かれたとされている。しかしそれぞれの章を見てみると、当時流入してきた西洋思想の反映が明らかで、それは何よりも第五章の「霊魂の未来」に顕著である。重要な部分を引用してみる。

 最近十年来、独、仏、英、米、等の学問の中心と称すべき地にして「心霊研究(サイキカルリサーチ)」の学会起らざる所は殆ど有ると無し、而して其の研究の結果として報告する所は、寡聞なる吾人の知り得たる範囲に於ては、悉く「霊魂の実在と其の不滅とを客観的に証明」(カッコ内傍点)せるに非ざるは莫し、本年に入りて『霊魂不滅論』(Human Personality and Its Survival Bodily Death )と題する密字千百二頁の厖然たる大冊が英国ケンブリッヂの心霊研究学の報告書を本としてフレデリツク、ミヤーに著述せられ、今現に世界の思想家に歓迎せられつつあるが如きも、注目すべき一徴兆と云ふ可し(中略)、(余は他日此書を抄訳するの機会ある可きを望む)思ふに、「二十世紀の学問は「心霊」を以て第一の問題と為す可し」(カッコ内傍点)、今既に学者の頭脳は之れに集中せんとする傾向あり。

『天人論』の出版と同年の一九〇三年にマイアーズの著書が刊行され、黒岩はすでにそれを読み、『天人論』を書いていたことになる。夏目漱石も「修善寺の大患」の翌年の明治四十四年に刊行した『思い出す事など』(春陽堂)の中で、「我々の個性が我々の死んだ後迄も残る、活動する、機会があれば、地上の人と言葉を換す。スピリチズムの研究を以て有名であつたマイエルは慥かに斯う信じて居たらしい」と書いているので、漱石も黒岩とほとんどと時を同じくして、マイアーズ=ミヤー、マイエルの『霊魂不滅論』を読んでいたはずだ。前回南方熊楠もこれを那智で読んでいたと記しておいたが、私の推測では柳田国男も読んでいたと思われる。したがって「今既に学者の頭脳は之れに集中せんとする傾向あり」という黒岩の見解は正鵠を得ていたことになる。
思い出す事など
拙著『古本探究3』で、マイアーズを始めとする心霊研究協会の会員たちの著作の流入や翻訳が文学だけでなく、生成しつつあった新しい学としての民俗学、社会学、宗教学などに広範な影響を及ぼし、それが大本教などの大正時代の新興宗教に結びついていったことを指摘しておいた。だが『天人論』を読み、それでマイアーズと『霊魂不滅論』を広く知らしめたのは、黒岩の『天人論』のベストセラー化によっていることを初めて了承した次第だ。藤村操の死と重なり、マイアーズの『霊魂不滅論』は当時の青年たちの多大の関心を駆り立てたにちがいない。
古本探究3

そして黒岩の他にも多くの人々がその翻訳を考えたはずだが、大著ゆえなのか、原書刊行以後、すでに一世紀を過ぎているのに、いまだ翻訳は実現されていない。

[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら