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古本夜話107 小出正吾『聖フランシス物語』と厚生閣書店

前回論じた宮崎安右衛門が、曹洞宗僧侶桃水や聖フランシスなどを模範とする求道生活をめざしていた頃、キリスト教陣営の側からも聖フランシスに関する本が出された。それは大正十一年に小出正吾が著した処女出版『聖フランシスと小さき兄弟』(厚生閣書店)で、大正時代において仏教やキリスト教を問わず、宗教の中に求められていた理想像とその生き方の投影が、宮崎や小出の著作にくっきりと表出している。またそれがこの時代に様々な新興宗教が立ち上がってきた要因であろう。

小出の前出の一冊は持っていないが、大正十三年にやはり厚生閣書店から出された『聖フランシス物語』は手元にある。四六並製、二百四十頁余の裸本の一冊で、僧服をまとい、荒野らしきところに座し、祈りを捧げている聖フランシスの姿が描かれ、同書には「改題の序」が置かれ、これが『聖フランシスと小さき兄弟』とまったく同じ内容で、タイトルと装丁が改められたことが記されている。幸いなことに関東大震災を経てもこの紙型が無事だったため、多くの人に読んでもらえるように、廉価再版本を刊行するとの「厚生閣岡本氏」の言が紹介されている。そして小出は関東大震災後に箱根山の入口にテントを張り、被災者たちを救済するボランティア活動に従ったことを述べ、それを通じて聖フランシスに思いをはせている。

大正十一年の「序詞」もそのまま収録され、イタリアのアシジの聖フランシスの姿が「地の上に天の花園を作る、美しい野の花」として、感嘆賞賛の言葉が投げかけられている。

 小さな花、貧しい花、おゝ聖フランシスよ !! けれどあなたは光つて居ます。悦びに踊つて居ます。あなたは永遠にしぼみません。単純な姿、聖浄な香り、あなたに触れるもののたましひは真実と愛の命を取り戻します。あなたは人間の心のふるさとを思ひ出させます。あなたは神の忘れな草です。

小出がつづる聖フランシスの物語をたどってみよう。七百年前のアシジの若い商人の妻が難産で苦しんでいると、一人の巡礼が訪れ、厩での出産を告げる。その言葉に従うとすぐに男の子が生まれた。キリストの誕生のようだった。父はその子をフランシスと名づけた。フランシスは長じて放蕩と回心、戦争と捕虜、病と回復を経て、ついに神からの啓示を得る。そして彼はアシジから少し離れた山の洞窟にこもった後、無一物の貧乏人としてローマへと旅立ち、そこで乞食修行に励み、再び故郷へと戻る。
その頃ヨーロッパには癩病が蔓延し、癩病院が建ち始めていた。彼は患者たちの看病にいそしみ、聖ダミアノの古寺で苦行を送る。フランシスは別人のごとくに変わり果て、骨と皮ばかりの狂人のようだった。十字架を背負って、神への道を一心に歩き出したのだ。貧しいフランシスの心を通して、神の愛の光がこの世の闇を照らすようで、聖フランシスと呼ばれるようになった。最後に彼は人々に惜しまれ、貧しいままの姿が塵と灰になるべく地上を去ることになる。夜の星も輝くことで、野の花も首を垂れることで、また草たちも露の泪を光らせることで、聖フランシスの死を悲しみ、そして人々の挽歌の合唱に送られ、彼の葬列はアシジの丘を進んでいった。

一言で要約してしまえば、小出の聖フランシスに象徴されているのは、無私、清貧、献身ということになろう。彼の生涯はイエスの「心の貧しきものは幸いなり」という言葉の実践でもあり、それゆえに小出の聖フランシスと宮崎安右衛門の乞食桃水もまったく同じ位相にあると考えていい。

小出は明治三十年静岡県に生まれ、大正七年に早大商学部を卒業し、貿易の仕事に従事した後、『聖フランシスと小さき兄弟』を書き、昭和に入ってからはクリスチャンとして理想主義をベースとする児童文学へと進んでいく。そうした軌跡を考えても、処女出版の同書が小出の出発点だと判断できよう。またそれはヘッセ経由の聖フランシス像の影響も受けているのかもしれない。

さてここで小出とその作品を離れ、それを出版した「厚生閣主人岡本氏」にふれておきたい。厚生閣書店の岡本正一は明治二十年大阪市に生まれ、上京して警醒社に入社し、大正十一年に独立し、創業に至っている。警醒社は浮田和民、植村正久たちが共同経営していたキリスト教図書出版社だが、同じくキリスト教関係図書出版販売の神戸の福音社を経て、明治二十一年に東京福音社を創業した福永文之助がその翌年に警醒社の事業を譲り受け、個人経営となっていた。そこで岡本は出版や著者人脈をつかみ、厚生閣書店設立に及んだのではないだろうか。それゆえに小出も警醒社に出入りしていた一人と見なしていいような気がする。

福音社と警醒社の出版人脈にはこれ以上踏みこまず、岡本と厚生閣書店にだけ言及したい。厚生閣書店は昭和三年に創刊されたモダニズムを代表するリトルマガジン『詩と詩論』と「現代の芸術と批評叢書」、及びその編集に携わった春山行夫によって、近代文学史において著名であり、私も「春山行夫と『詩と詩論』」(『古雑誌探究』所収)を書いている。
古雑誌探究

しかし昭和戦時下の出版社企業整備を受け、同じく警醒社出身の土井伊惣太が興した天文書の恒星社と合併し、恒星社厚生閣となり、現在に及んでいることも作用してか、厚生閣書店に関して前述の事柄はしばしば言及されているのだが、その他の出版物と編集者についてはあまり語られてこなかったように思われる。私も厚生閣書店の出版物を多く所有していないけれども、そのことについて次回から二編ほど記してみたいと思う。

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