出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

35 石川達三『蒼氓』

◆過去の「謎の作者佐藤吉郎と『黒流』」の記事
1 東北書房と『黒流』
2 アメリカ密入国と雄飛会
3 メキシコ上陸とローザとの出会い
4 先行する物語としての『黒流』
5 支那人と吸血鬼団
6 白人種の女の典型ロツドマン未亡人
7 カリフォルニアにおける日本人の女
8 阿片中毒となるアメリカ人女性たち
9 黒人との合流
10 ローザとハリウッド
11 メイランの出現
12『黒流』という物語の終わり
13 同時代の文学史
14 新しい大正文学の潮流
15 『黒流』の印刷問題
16 伏字の復元 1
17 伏字の復元 2
18 ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』
19 モーパッサン『ベラミ』
20 ゾラ『ナナ』
21 人種戦としての大衆小説
22 東北学院と島貫兵太夫
23 日本力行会とは何か
24 日本力行会員の渡米
25 アメリカと佐藤吉郎
26 ナショナリズム、及び売捌としての日本力行会
27 『黒流』のアメリカ流通
28 浜松の印刷所と長谷川保
29 聖隷福祉事業団と日本力行会
30 日本における日系ブラジル人
31 人種と共生の問題
32 黄禍論とアメリカ排日運動
33 日本人移民の暗部
34 『黒流』のコアと映画『カルロス』


35 石川達三『蒼氓』

『黒流』で提出された移民と「叛アメリカ」というテーマはそのまま途切れてしまったわけではない。昭和十年に第一回芥川賞を受賞した石川達三『蒼氓』はまさにブラジル移民を描き、『日本力行会百年の航跡』を補足する物語となっている。しかもある移民はアリアンサをめざしていて、「海外同志会」や「海外移住発展」などの言葉が使われているので、移民取扱興業会社と国家による渡航費補助移民の形式をとっているが、明らかに日本力行会員のブラジル移民も加わり、その運動が背景になっているとわかる。
蒼氓

『蒼氓』は三部構成で、第一部「蒼氓」が出発前の神戸港の国立海外移民収容所、第二部の「南洋航路」はホンコン、サイゴンシンガポールコロンボ、ダーバンを経て、ブラジルへ至る四十五日間の船内、第三部の「声無き民」はリオ・デ・ジャネイロから汽車でサン・パウロに向かい、目的地のサンタ・ローザに着き、新移民として農場で働き始めるところまでを描いている。

「蒼氓」が始まる。冒頭に一九三〇年三月八日とある。千人近い移民たちは故郷を捨て、家も畑も売り、神戸港へとやってきたのだ。「はてしもない移民の行列だ! ブラジルへ、ブラジルへ!」と向かおうとしている。秋田の出身であるお夏と孫市は父を失い、二人きりの姉弟で、様々な事情と経緯を経て、国立海外移民収容所にいる。移民の一人の内的感情が描かれ、これらの思いが移民全体のものだと告げているかのようだ。

 遠く、港が灰色にかすんで見えている。その向うには海がぼやけている。そしてその海の向うには、外国がある。ついぞ考えて見たこともない外国という事が今は大きな不安になって胸を打つ。すると又しても故郷の山河を思い出す。故郷には傾いた家と、麦の生え揃った上を雪が降り埋めている幾反幾畝の畑と、そして永い苦闘の思い出とがある。しかし、家も売った畑も売った。父と祖父と曽祖父と、三つで死んだ子供と、四基の墓に思いっきりの供物を捧げてお別れして来たのではないか。

 言わば誰もかれもが日本の生活に絶望して、甦生の地を求めて流れ行こうとする、共同の悲哀を胸に抱いているのだ。

そうした思いに多くの移民たちが捉われている一方で、再渡航の移民は次のように思う。

 珈琲園の労働は日本の農業に劣らず苦しい。変化にも乏しい。移民達は誰一人本当のブラジルを知ってはいない。空想だ。話に聞いたブラジルの良い所に日本の良い所だけを付け加えての空想だ。事実のブラジルは大変なところだ。僻村の農村はこの世から隔離された別世界だ。隣りの部落迄は近くて三里遠ければ十里、そこにはラジオは愚か新聞雑誌は愚か、郵便の配達さえもない。百姓達は土間に自分で寝台を作って住む。働くと食うと寝るより他にする事もないところだ。

それでもブラジルに向かった移民たちが帰ってこないのは、日本における「文明の脅威」と「生活の絶えざる脅威と圧迫、絶えざる反抗と焦慮、不安と怒りと絶望」がなく、また何の変化もない「桃源郷の物語にも似た悠々たる生活」があるからだ。昭和五年の政治、社会構造の混乱と不安が移民たちを追い立てているのだ。

一週間以上に及ぶ海外移民収容所での体格検査、ブラジル語や衛生や宗教に関する講習と講話などを通じて、医者や所員や監督の位相、姉弟も含んだ様々な移民たちの出自や群像ドラマが表出し、昭和初期の日本社会のミニチュアのように映る。そのような生活の中で、「彼等がここへ来た時には、まだ日本を去るための充分な心の準備が出来ていなかった。不安と逡巡と孤独と郷愁とに悩まされていた。しかし今は心の準備もすっかり出来上ったように見えた」。
 いよいよ出発である。港には船が待っていた。

 この冷たい海風の中に黄色いマストを立てて、マストからマストへ万国旗のはためく上に、大阪商船の「大」の字の旗と黄と緑のブラジル共和国旗と、もう一つ青い色の出帆旗とが真横に吹かれている。
 白い帯線を巻いた黒い船腹をがっしりと水の上に浮べたこの大汽船の船首には、日字と英字でこう書いてある。
 [ら・ぷらた丸]“La Plata Maru”

 移民たちはタラップを上がってデッキに立つ。もはや日本の土は踏むことができないのだ。巨大な倉庫のような船の中で、これから四十五日間寝起きをするのだ。銅鑼が鳴り、無数のテープが縦横に乱れ飛んだ。突堤には移民船が出るたびに見送りにくる小学生が三、四百人もいて、巻いていた日章旗を開き、打ち振りながら楽隊に合わせて歌い出した。

  行けや同胞海越えて
  南の国やブラジルの……
  未開の富を拓くべき
  これぞ雄々しき開拓者……


〈ら・ぷらた丸 出航風景〉

                           (『大阪商船株式会社五十年史』)


次回へ続く。