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古本夜話108 春山行夫と小谷部全一郎『日本及日本国民之起原』

春山行夫は独学で英仏語とエンサイクロペディア的知識を取得し、モダニズム詩人として出発し、関東大震災後の大正十三年に名古屋から上京し、昭和三年に厚生閣書店に入る。そして「エスプリ・ヌーヴォー」にふさわしく、すべてが新しいといっていい出版社、編集者、執筆者、詩、小説、芸術、表現に基づき、まさに新しい季刊雑誌『詩と詩論』を創刊する。

これは拙稿「春山行夫と『詩と詩論』」(『古雑誌探究』所収)にも紹介しているが、春山はその編集事情について、『詩と詩論』は社主の岡本正一が彼のために出版してくれたこともあり、原稿の依頼、編集、校正はすべて一人で自宅でやっていたという。そして社内にあっては編集者が春山一人だったので、毎月刊行される四、五冊の新刊書の編集や広告もすべて担当していたようだ。春山の厚生閣書店在籍は前述したように昭和三年から六年間で、彼の証言によれば、厚生閣書店はその六年間で売上が急上昇し、春山の労に報いるために、岡本は春山の『文学評論』を出してくれた。この証言は実売六百部ほどの『詩と詩論』などが売上に貢献したはずもないので、春山が社内で担当していた毎月の新刊四、五冊が売上の増加に結びついたことを意味していよう。
古雑誌探究

それはともかく、春山の証言によって昭和三年から六年間の厚生閣書店の出版物は、ほとんどが彼の編集によるものだと考えていいだろう。しかしそれらの本が何であったのかはこれまで言及されてこなかったと思われる。

しかし私はずっと、小谷部全一郎の『日本及日本国民之起原』はその箱のシンプルで力強いレイアウト、菊判上製の造本、二十ページに及ぶ多くの口絵写真のアイヌ人からユダヤ人、ギリシャの図版に至るまでの異化効果をもたらす配列と組み合わせからして、この一冊は春山の手になるものではないかと考えていた。同書は厚生閣(書店は省かれている)から昭和四年一月に初版刊行とあるので、春山の昭和三年入社と編集者一人との証言と合わせれば、春山が担当していたと見なしてかまわないだろう。また同書は城市郎の『発禁本3』(「別冊太陽」)に示された奥付には昭和六年八版とあり、三円六十銭の高定価だったから、それこそ厚生閣の売上に寄与していたにちがいない。
発禁本3

さて『日本及日本国民之起原』だが、まず「我大日本は神国なり、我万世一系の皇上は此神国の族長に御座」すとの小谷部の宣言がなされる。そして日本の起源は紀元前二世紀前に起きたノアの大洪水の後、新たな精神文明を背景にして、西アジアの「タマーガのハラ」=高天原に神都を開いて栄えた民族で、「我大日本の基礎民族は希伯来神族の正系にして猶太人は其傍系」とされ、その証明が主として『旧約聖書』を参照しての神祇と祭祀、軍事と歴史、風俗習慣の比較研究によって例証されていく。これは所謂日ユ同祖論であり、本連載83「木村鷹太郎訳『プラトーン全集』」でふれた木村の、日本の太古史が世界の中心史で、日本民族はギリシャラテン人種だという主張のバリエーションに位置づけられるだろう。しかし昭和十四年になって発禁処分を受けていることからすると、もはや荒唐無稽な日ユ同祖論すらも許されざる言説と化していたのだ。

この著者の小谷部とはどのような人物なのだろうか。同書の「緒言」に記された経歴を引いてみよう。

 往年海外に留学を志たるも資乏しくして果さゞりしが、十九歳意を決して外国帆船に便乗し、赤裸紐育に上陸して以来、異郷の学窓に蛍雪の苦を嘗めて春秋を迎ふること十有三年、而も其間一銭の邦貨を費さず、最後の名残に世界五大学の一に列するエールを卒業して帰朝(後略)。

ここには述べられていないが、彼はアメリカで神学を修めてきたようで、帰国後はアイヌ民族の部落に学校を創立し、その教育に十年従事し、それから皇典講究所と国学院大学などの講師を務めるかたわらで、『日本及日本国民之起原』に結実する研究に従事し、ようやく上梓を見るに至ったと考えられる。

おそらくキリスト教関係者を通じて、厚生閣へと持ちこまれ、春山行夫がその編集に携わることになったのではないだろうか。日ユ同祖論者の小谷部と、当時の欧米の「エスプリ・ヌーヴォー」の最先端にふれていたモダニスト春山の出会いは、想像するにまさにロートレアモンのいう、手術台の上でのコウモリ傘とミシンの出会いのようにおかしい。しかし二人は意外なことに意気投合したかのようにも思われ、それが見事な造本、内容はともかく行き届いた丁寧な編集に表われていると見るのは考えすぎだろうか。

最後に付け加えておけば、私は少年時代に小谷部の名前を目にしている。それはカッパノベルスに入っていた高木彬光の『成吉思汗の秘密』においてだった。そこでは神津恭介が初めて歴史探偵を演じ、成吉思汗=源義経伝説を推理するもので、その前提となる仮説が、小谷部が『日本及日本国民之起原』に先立つ大正十三年に冨山房から刊行した『成吉思汗ハ源義経也』(炎書房復刻)だったのである。
成吉思汗の秘密

また本連載74「エドワード・カーペンターと石川三四郎」の石川も、大正十年に『古事記神話の新研究』(三徳社)を出し、日本民族の起源をメソポタミアに求めている。大正とはまさに奇妙な歴史言説、ルーツ探求の時代でもあったのだ。

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