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古本夜話110 酒井勝軍と内外書房『世界の正体と猶太人』

小谷部全一郎『日本及日本国民之起原』に表出している妄想的としかいいようのない日ユ同祖論、あるいは木村鷹太郎の日本民族ギリシャ、ラテン人同種論にしても、同様な奇怪な言説でしかないのだが、それらは酒井勝軍というトリックスターを得て、さらなる異彩を放ち、軍部や竹内文書にまつわる人々をも巻きこんで展開されていった。また戦後になっても、酒井が提出した日本におけるピラミッド、モーゼの十誡石、神秘金属ヒヒイロカネ、キリストの墓伝説といった日ユ同祖論に基づく言説は、オカルトムーブメントの物語祖型と水脈を形成し、昭和十年代前半に酒井が主宰した集大成的な雑誌『神秘之日本』も八幡書店から復刻され、オウム真理教へとも引き継がれていった。

酒井はその『神秘之日本』第一号の「発刊の辞」において、次のように高らかに宣言している。

 日本は神秘国である。時を問はず、処を問はず、人を問はず、何時、誰か、何処から見ても日本は神秘国である。であるから所謂科学を超越した神智霊覚者の眼のみ其の正体が窺知さるゝものである事を忘れてはならぬ。

酒井はどのようなプロセスを経て、このような「日本は神秘国である」という認識へと至ったのであろうか、それが問われなければならない。なぜならば、私はそのような酒井と異なる以前の姿を知っているからだ。彼は各種人物事典に立項されていないので、いくつかの資料から抽出し、そのプロフィルを追ってみる。

これは奇妙な偶然だが、私はこの[古本夜話]とは別に本ブログで「謎の作者佐藤吉郎と『黒流』」を連載していて、その佐藤が東北学院出身で、日本力行会に属していたのではないかと書いてきた。東北学院は前身が仙台神学校で、旧幕臣の押川方義がキリスト教に入信し、明治十三年に仙台に移って東北伝道のベースを固め、同十九年に創立している。酒井は明治七年山形県に生まれ、山形英学校を経て、二十三年に仙台神学校に入り、在学中に島貫兵太夫たちと東北救世軍を結成し、二十七年に東北学院を卒業後上京し、救世軍活動や伝道に携わる。そして三十一年に渡米し、三十七年に日露戦争に通訳として従軍する。この渡米体験と日露戦争従軍を機として、大正に入り、酒井はそれこそ「神秘之日本」と日ユ同祖論へと急旋回していったようだ。

ここで付け加えておくと、島貫と酒井は押川の二大弟子と称され、島貫は海外雄飛をめざすジェスイット教団的な日本力行会を立ち上げ、酒井はパレスチナに赴き、日ユ同祖論へと向かい、日猶協会や神秘之日本社を設立に至り、仙台神学校=東北学院の俊英の二人の軌跡はきわめて興味深い。また酒井の渡米と神学を修めたこと、日露戦争従軍の経歴は小谷部全一郎とまったく重なるものであり、両者を共通な思想というよりも、奇怪な妄想へと誘う留学と戦争体験が深く作用していたと考えるに難しくない。

それバックアップしたのが『プロトコル』つまり『シオンの議定書』の出現で、これはロシア革命と日本のシベリア出兵、酒井の再びの従軍とパラレルである。『シオンの議定書』は次回に取り上げるつもりだが、端的にいえば、ユダヤ人が世界を支配する大陰謀をめぐらし、その実現のために秘密結社フリーメイソンが暗躍し、ロシア革命も第一次世界大戦も彼らによって仕組まれたとするもので、現在でも終焉を見ていないユダヤ陰謀論の起源となる言説である。

このユダヤ陰謀論と日ユ同祖論がどのようにリンクしていくのかを、酒井が大正十三年に内外書房から出した『世界の正体と猶太人』に見てみよう。同書は英国、米国、日本の「正体」を論じた一冊だが、彼によれば、英国も米国もユダヤ人に牛耳られていて、日清、日露戦争も両国のユダヤ人のたくらんだ陰謀ということになる。それに対して、英米よりもはるかに長い歴史を有する日本は「神州」であり、その前身は「イスラエル王国」だと宣言される。それが二千六百年前に亡国に及んだ時、秘かに王国は日本へと移され、日本帝国が万世一系の皇族をもって建国された。そして酒井は両者の共通性を三十項目にわたって列挙していく。ここには明らかに木村鷹太郎や小谷部全一郎の影響が見てとれる。

つまり酒井の論をシンプルに解釈すれば、陰謀をたくらむ英米のユダヤ人とは異なる原ユダヤ人とイスラエル王国が、日本人と日本帝国と起源を同じくするもので、これがユダヤ陰謀論と日ユ同祖論を分かつのである。それが『聖書』にも明示され、イエス、ユダヤ人、日本は神の名のもとに三位一体化していることになる。そしてその「権威」と「自尊」が次のように示される。

 イエス曰く、我は神の子なり。
 猶太人曰く、我は神の民なり。
 日本曰く、我は神の国なり。
 此三者何れも神の道(ことば)の化身にして、イエスは即ち「神の言の葉の人」となり、猶太人は「神の言の葉の民」となり、又日本は「神の言の葉の国」となるものなるが、之れ余が所謂神の三J政策(Jesus , Jew and Japan)にして極めて興味深遠たる問題(後略)。

そしてさらに「神の子」イエスと「神の国」日本の誕生から復古は、これもまたまったく同じ軌跡をたどっていると解釈されているのである。

酒井の同書に加えて、『猶太人の世界政略運動』『猶太民族の大陰謀』が彼の三大著作とされる。これらはいずれも内外書房から刊行され、ユダヤ陰謀説をめぐる言説本は大半がこの出版社から出されたようで、酒井とならぶそれらのイデオローグの北上梅石、若宮卯之助、藤原信孝の著書や小冊子の案内が「猶太研究書」として、『世界の正体と猶太人』の巻末広告に掲載されている。発行人の舟越石治もそれらの関係者だと思われる。

なお日本におけるユダヤ陰謀論の歴史、人物、言説、文献については、宮沢正典の『ユダヤ人論考』(新泉社、一九七三年、増補版八二年)が詳しい。

またこれはどのような関係から生じたのかわからないが、『神秘之日本』の初期の発行人は古賀治朗で、彼はあの古賀政男の兄である。また治朗は巻末に「明治大学嘱託/北米式徳会柔道師範」の肩書で、アメリカ在住の日本人に、子弟の日本での教育を提案する「在米同胞に告ぐ!」というページ広告を掲載している。

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