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古本夜話112 四王天延孝『猶太思想及び運動』と内外書房

『驚異の怪文書ユダヤ議定書』の「訳者の言葉」において、久保田栄吉はユダヤ研究の権威として、「四王天延孝閣下及安江陸軍、犬塚海軍其他の先輩」の名前を挙げ、謝辞を恩師の相馬愛蔵、黒光や杉山茂丸などに掲げている。後者の相馬夫妻や杉山のことはひとまずおくが、前者の名前は久保田のユダヤ研究が軍部の人々と歩調を合わせ、進んできたことを語っている。

しかも四王天たちは既述した酒井勝軍の著書の版元である内外書房から、いずれもがペンネームでユダヤ問題に関する著作を刊行している。彼らのペンネームは宮沢正典が『ユダヤ人論考』(新泉社)で指摘しているように、四王天延孝=藤原信孝、安江仙弘=包荒子、犬塚惟重=宇部宮希洋である。

内外書房によったすべての著者たちが判明しているわけではないが、これまで名前を挙げた人々を考えると、酒井や樋口艶之助=北上梅石は神学校出身、四王天たちは語学に通じ、特務機関に関係する軍人で、彼らの共通点はシベリア出兵体験と従軍、ロシア革命ボルシェヴィキへの注視であろう。また国内における大正デモクラシーへの反発も共有していたと思われる。そうした彼らが内外書房と手を携え、『プロトコル』に基づく反ユダヤプロパガンダを繰り広げていったのである。彼らが行なった全国各地での夥しい講演を、内外書房は本や小冊子として刊行した。その内外書房について、管見の限り出版史における言及を見ていないし、全貌も発行人の舟越石治のこともわからない。ただ外務省の外郭団体で、『国際秘密力の研究』(後に『猶太研究』)を出していた国際政経学会の関係者との推測はつくにしても。

しかし内外書房が行なった反ユダヤプロパガンダを称して、宮沢は『ユダヤ人論考』の本文ではなく、注の部分で「内外書房の熱烈な肩入れ」と見なし、同社の大沢鷺山『日本に現存するフリーメーソンリー』や武藤貞一『ユダヤ人の対日攻勢』の巻末やカバーに寄せられた出版者の言葉を引用している。この二冊は入手していないので、宮沢の同書から再引用する。
増補ユダヤ人論考

 大正十二年の大震災直後から小房が発行したユダヤ研究に関する諸先生十余種の著述は計らず憂国の各位より大好評を受け、この種の出版を続行するやう絶えず激励せられました。厚く感謝します。

 願ふ、関東大震の劫火未だ消えさらざる時、切に猶太研究の先覚の諸先生に願ひ、『猶太禍』『猶太人の世界政略運動』『猶太民族の研究』『共産党の話』『猶太人の大陰謀』『世界の正体と猶太人』を発行、好評絶讃普及実に四万冊を突破、更に、『何故の露国承認ぞ』『自由平等友愛と猶太民族』『皇国を呪ふ二重陰謀』の三小冊子五万を全国的に無料配布せし等、小房が報国一片の赤心、此の驚くべき猶太禍を警告せしは、諸者各位の尚御記憶せらるゝであらう云々。

これらのおそらく発行人の舟越の言葉によって、内外書房が関東大震災後に立ち上げられ、それに続く昭和経済恐慌の中で、書名に象徴される反ユダヤ人言説が日本中に撒き散らされていった状況がまざまざと浮かんでくるような気がする。それに次回言及するナチズム文献の翻訳と研究書の出版が相乗し、さらに多くの周辺出版物が加わり、確たる分野を形成したと考えて間違いないだろう。

その集大成的一冊が陸軍中将の位を冠した四王天延孝の『猶太思想及運動』(ただし箱表記はユダヤ)で、これは昭和十六年にもちろん内外書房から刊行されている。菊判五百ページ余、内容はユダヤ民族の歴史と思想、その秘密結社フリーメーソンフランス革命アメリカ独立革命ロシア革命第一次世界大戦に及ぼした影響、及び東洋政策、満州事変、第二次世界大戦への関与、日本とユダヤ問題に付け加え、「付録」としてフランス語からの彼自身の翻訳『シオンの議定書』の収録もある。したがって同書は四王天が戦後になって著わした『四王天延孝回顧録』みすず書房)で述べているハルピン特務機関時代の大正十年頃に大連で印刷し、菊判二百ページ、五百部にまとめたユダヤ研究から始まる到達点を示していよう。

『四王天延孝回顧録』や人名事典によれば、彼は日露戦争を経て陸大を卒業後、フランス語やロシア語を修得し、教官などを務め、第一次世界大戦において三年間フランス軍に従軍し、帰国後は前述のハルピン特務機関の他に陸軍航空学校、陸軍省国際連盟を経て、衆議院議員にもなっている。そのかたわらで、彼が反ユダヤ運動に携わってきたことは明白だが、『回顧録』にユダヤ研究やそのための民族研究会の創立は書かれていても、それらの詳細や内外書房から出した本については記されていない。それゆえに彼の戦後の『回顧録』は、反ユダヤ言説やプロパガンダの渦中にいた自らを描いているとは言い難い。これが昭和十年までの記録だとしても、意図的に省かれていると考えるしかない。だが彼は第二次世界大戦ユダヤの陰謀だとの説を終生変えていなかったはずだ。

それでも四王天が『回顧録』を執筆したことに比べ、安江仙弘は敗戦時にも満州国政府顧問としてとどまり、ソ連軍に捕えられ、シベリアに送られ、ハバロフスクで死亡。犬塚惟重はこれも敗戦の際にマニラで逮捕され、捕虜虐待容疑で戦犯裁判にかけられ、その後釈放され、日本に戻り、日本イスラエル友好協会に加わっていたが、戦時中に反ユダヤ主義であったことが発覚し、それを退会せざるをえなかったようだ。また内外書房の舟越石治の消息はまったくつかめない。四王天以外の三人が何らかの記録や証言を残していれば、もう少し内外書房の出版物とプロパガンダに象徴的に表出した、大正末から昭和にかけての日本における反ユダヤ主義のくっきりした軌跡が描けたように思えるが、それはあきらめるしかない。

そのことを無視して、M・トケイヤーたちの『河豚計画』(加藤明彦訳、日本ブリタニカ)や赤間剛の『日本=ユダヤ陰謀の構図』徳間書店)へ飛躍してしまうのは、資料的に心もとないように考えられるので、ここで止める。

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