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古本夜話118 シュペングラー『西洋の没落』、室伏高信、批評社

前回の村上啓夫訳『性と性格』の「訳者付言」に、諸外国語に関する教示について、村松正俊に対する謝辞があった。前々回の室伏高信に続いて、村松の名前も出たことからすれば、ヴァイニンガーと同年生まれの青年が出版した、同じドイツのベストセラーにも言及しておくべきだろう。この本の出版と翻訳の当事者はおそらく室伏と村松であるからだ。

馬齢を重ねているうちに、もう数年すれば還暦を迎える歳になろうとしている。あらためて多くの古典を読み残してきたことを痛感し、残りの年月でどれだけそれらに目を通せるのだろうかと思う。

そのような一冊にオスヴァルド・シュペングラーの『西洋の没落』がある。昭和四十二年に林書店から刊行された村松正俊訳の第一巻を持っているのだが、当時高校生だった私には歯が立たず、読了せずに投げ出してしまった。
西洋の没落 五月書房版

『西洋の没落』は第一次世界大戦直後にドイツで出版され、ゲーテやニーチェの影響を受けた文化形態学的視点から、西洋文明の没落を予定し、各国語に翻訳されて多くの影響を与え、それはトインビーの『歴史の研究』に引き継がれたとされる。確かこの本は寺山修司の著作で教えられたはずだ。
歴史の研究

だがその後はずっと書棚に置かれたままで、十五年ほどが過ぎ、たまたま森本哲郎の『思想の冒険家たち』(文藝春秋)を読むと、そこにシュペングラーを扱った「世界史の医師」と題する一章に出会った。森本はその章をミュンヘンの書店で見つけた、黒くて分厚い上下本の『西洋の没落』DER UNTERGANG DES ABENDLANDES を購入した一九六〇年代のエピソードから始めている。それは上下巻で千ページを超え、奥付に百四十版とあった。しかし十数年後に森本がミュンヘンを訪ね、再び書店に入り、書物をあれこれ物色したが、ヒトラーに関する本がやたら目につくばかりで、大冊の『西洋の没落』は見つけられなかったという。かつてのベストセラーも半世紀を経て、本国でも忘れられつつあったのではないだろうか。
DER UNTERGANG DES ABENDLANDES

ところが森本自ら「何たる偶然」というが如く、ミュンヘンから帰った後、神田の古書街で戦前の邦訳にめぐり合うのである。

 それは大判の四冊本だった。スペングラー著『西洋の没落』村松正俊訳、とあった。フランスとじのすっかり色あせたその一冊を取りあげ、奥附を見ると、「大正十五年十二月十八日発行」と印刷されていた。シュペングラーのこの大著は村松氏によって、つい最近訳書が出たばかりだと思っていた私は、なんと五十年も前にすでにこうした形で訳本が出されているのを知ってびっくりし、かなりの金額をはたいてこれを買った。

この記述によって、大正時代における『西洋の没落』の翻訳出版を知ったのだが、出版社もわからず、また「かなりの金額」に示されているように稀覯本らしく、古本屋で見かけることもなく、これまた二十年以上が過ぎ、実物を手に入れたのは数年前であった。しかもそれは古本屋ではなく、図書館の交換市に出されていたものだった。

菊判のフランス装の第二冊で、奥付には大正十五年九月十七日四版発行とあり、出版社は東京大森の批評社、発行者は鳥山鑛造と記されていた。半分ほどのページがアンカットのままで、途中までしか読まれていないことを物語っていた。それにしてもどうして一世紀近く前の書物が、交換市のありふれた本の中に混じって出現したのであろうか。近代日本の翻訳出版史も謎だらけだが、流通、販売、伝播もまたそれ以上の謎を含んでいる。

批評社という出版社も初見であり、巻末には「発行図書目録」が掲載され、そこには室伏高信の著作集を含んだ、彼の本だけが九冊並んでいた。室伏は戦前の多方面にわたる評論家で、夥しい著作を出し、それらは現在でも古本屋でよく目にするし、また戦後の総合雑誌の嚆矢『新生』のブレーンにして誌名の命名者だった。出版物から考え、批評社はこの室伏と関係の深い出版社だと推測できた。そして調べていくうちに、この出版社は室伏が大正八年に創刊した雑誌『批評』(復刻、龍渓書舎)と関係があるのではないかと思った。

そこで昭和十三年に出版された小林善八の『日本出版文化史』(同刊行会、後に復刻青裳堂書店)を繰ってみた。そこには二十五ページに及ぶ八百社近くの「明治・大正時代の出版業興廃表」が収録されているからだった。管見の限りではこれが最も詳細で、大正時代創業出版社として、五百社余りが挙がっている。大正十五年のところに、すでに廃業の×印がつけられているが、批評社があり、創業者は室伏高信とあるではないか。つまり批評社は彼が創業した出版社で、『西洋の没落』の実質的発行者は室伏自身だったことになる。

意外に思われるかもしれないが、室伏は『葦』(弘道閣、昭和十六年)と『椰子』(育生社弘道閣、同十七年)という二冊の自伝小説を残している。主人公の名前は藤木となっているにしても、その他の登場人物はほぼ実名であり、自伝小説と考えてかまわないだろう。とりわけ後者は藤木が大正八年に『デモクラシイ講話』(日本評論社)によって、浮草的ジャーナリストから評論家としてデビューし、改造社の山本実彦の提案を受け、改造社の特派員としてほぼ一年間に及ぶ欧米滞在を詳細に描いている。これらはアインシュタインの来日が彼の交渉に起因していることなど様々に興味深いが、「藤木にとって必要なのは書店と酒場だ」とあるように、書店ばかりでなく、各地で古本屋漁りも続けていることも印象的である。特にドイツでは急激な円高の恩恵を受け、『資本論』を始めとして大量の書物を買い、いくつかのトランクにぎっしり詰め、帰国している。

実はこの『椰子』の第一部「火遊び」は外遊以前の『批評』創刊事情を描き、そのスポンサーの存在と執筆人脈、当時の雑誌状況と売れ行きなどがかなり詳細に言及されている。だが残念ながら批評社と鳥山については何も記されておらず、また村松も登場していない。しかし出版状況から考えても、室伏がドイツで『西洋の没落』も購入したことは確実であり、それに端を発し、自ら興した批評社での翻訳出版も試みるに至り、それを鳥山が引き継いだのではないだろうか。『批評』の復刻版を手にする機会があれば、いずれ確かめてみたい。


〈付記〉
これを書いたのは三年ほど前なので、すでに還暦を迎えてしまった。
このしばらく後で青蛙房の出版物にふれることになるのだが、それらを再読した。すると宮川曼魚の『江戸売笑記』の岡本経一による「編集後記」において、昭和二年に同書を出したのは批評社の鳥山鉱造であると記されていた。「その人の面影は摑めない。奥付裏に広告もないので、他にどんな本を出していたのか、消息を調べようもなかった」との言があった。また最近になって『江戸売笑記』の新版が出された。
江戸売笑記


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