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古本夜話119 ハウスホーファー『太平洋地政学』と太平洋協会

ナチズム三大聖典の日本での翻訳刊行に続いて、やはり重要なナチズム文献が昭和十七年に岩波書店から出版されている。それはハウスホーファー著、太平洋協会編訳『太平洋地政学』である。

この「地政学」なるタームが昭和五十年代に「ゲオポリティク」としてリバイバルしていた。それは倉前盛通の『悪の論理』日本工業新聞社)のベストセラー化によるもので、ソ連アフガニスタン侵攻を予測したとされ、『新・悪の論理』も続刊されるほどの売れ行きを示した。

悪の論理 新・悪の論理

それに対して、昭和五十五年に『文学界』で『成城だより』文藝春秋、後に講談社文芸文庫)を連載していた大岡昇平が、「前大戦中、聞き飽きた地政学なる古念仏にて、興味なし。地図に勝手に矢印をつけたるだけなり。前大戦に軍人はやたらに地図に筋を引き、作戦を立てて敗れたるなり」と評していた。この大岡の言によって、戦前には『太平洋地政学』がよく知られていた一冊で、そこに「地政学」という言葉の発祥があったとわかる。
成城だより 上

『岩波西洋人名辞典』などを参照すると、ハウスホーファーは一八六九年ミュンヘン生まれのドイツ陸軍将校で、参謀部の命を帯び、インド、中国、朝鮮を歴訪してその政治状況を探索し、日本には日露戦争後の明治四十一年から四十三年かけて滞在している。そして第一次大戦後にミュンヘン大学教授となり、地政学を研究し、ヒトラーの外交顧問につき、『わが闘争』外交政策に関する部分はハウスホーファーの見解だとされている。ナチズムと運命をともにし、敗戦後に自殺。

岩波西洋人名辞典 わが闘争 上

菊判六百ページを超える邦訳『太平洋地政学』は次のように書き出され、定義されている。

 地理政治学地政学=Geopolitik)―凡ての国家的生活形態が、地球上に生活空間(Lebensraum)を得んがために刊行する生存闘争に於ける政治的行動の芸術の科学的基礎―の任務と目標とは、地球の表面に依つて規定せらるる諸種の特徴、すなはち、右の闘争の中にあつて唯一に永続的なる諸形相を認識し、実験的応用より進んで、法則的に支配せらるる応用の域に達することにあるのであろう。

これが地政学であり、フランスやアングロサクソンの大西洋的な帝国主義に対する「科学であると同時に芸術、少なくとも技芸」として提起される。そして「海洋空間」として最大の太平洋が表面、境界、位置、形相、人種、白人世界との関係などにわたってトータルに論じられ、地理的生活空間と歴史的生活過程を結びつけ、統一的空間という思想を通じて、現在と来たるべき国家的状態に対する地政学的結論の抽出に至っている。これはナチの太平洋地域への戦略構想であり、日本の大東亜共栄圏や南方植民地政策と重なっていたことから、大岡の証言にあるように、地政学が喧伝されるに至ったと考えられる。確かに『太平洋地政学』は矢印を記した、興味深い折りこみ地図が九枚も収録され、これが日本の「聞き飽きた地政学」にも応用されたのではないかと推測できる。

ハウスホーファーの記述を追っていくと、二十世紀初頭から三〇年代にかけての「日本国の境界発展」図も掲載されているように、日清、日露戦争を経て、帝国主義的発展と生活空間の開発をとげた日本が大きく意識されていると断言できよう。それは明治末期の数年を日本で過ごしたことも作用しているだろうが、彼の日本に関する『大日本』『日本国』『日本及日本人』の三著が邦訳されていないので、そのイメージの変遷と造型をたどることはできない。

しかし「太平洋社会学」の章で示された「南洋島国」に関する記述は、それらを訪れた詩人や作家、地理学者や社会学者の著作から組み立てられたと見なすことができ、「乱行に至るまでの放縦なる歓楽」とか、「共同の部落歓楽境」とか、「崇高なる貞節と無検束なる本能生活」とかいった言葉が羅列され、オリエンタリズム的色彩に覆われている。

これらのことから類推すると、ハウスホーファーのおそらく大部であろう日本に関する著作も、同じオリエンタリズム的な地政学記述にあふれ、渡辺京二『逝きし世の面影』平凡社)において、訪日外国人の視点で描き出した近代日本と、異なる眼差しで構成されているかもしれない。この『太平洋地政学』もローゼンベルクの『二十世紀の神話』と同様に、「失はれた霊的の力」や「僅に救はれた幾多の霊的価値」を根底に秘め、書かれたと思われるからだ。
逝きし世の面影

「序文」は太平洋協会名で記され、太平洋文明の創造こそが「皇天の摂理」で、「大東亜共栄圏の完成」への道だと述べられている。この太平洋協会は「序文」によれば、太平洋の科学的研究がいまだに不十分ゆえに、「或は単行本の形式をもつて、或は叢書の形式をもつて、乃至は月刊雑誌の形式をもつて、その欠陥を補はんと努力して今日に及んでいる」と記されている。それを額面通りに受け取るのであれば、太平洋協会は出版社とも見なせるが、『太平洋地政学』岩波書店から出版されていることは、協会が取次口座を持っておらず政府の外郭団体のような立場で、出版物を刊行していたと考えるべきだろう。

そのことを反映してか、在独日本大使の斡旋によって、原著者から「協会に対し快く翻訳権を与へられた」とある。そして訳者は佐藤荘一郎で、協会の井口一郎と信夫清三郎が編集に携わっている。佐藤と井口は地政学に関する著書や論文を多く発表しているようだが、信夫は講座派マルクス主義に属し、戦前の日清戦争や戦後の大正政治史研究において、画期的な役割を果たした日本史研究者だとわかる。太平洋研究会とそれらの人々、ハウスホーファー『太平洋地政学』、及び発行所の岩波書店との関係はどのようなものであろうか。

岩波書店『太平洋地政学』の出版をめぐる謎は、倉前盛通の『悪の論理』を刊行した日本工業新聞社にもつきまとっていて、倉前の著書に続けて、犬塚きよ子の『ユダヤ問題と日本の工作』という「海軍・犬塚機関の記録」を刊行している。犬塚きよ子は本連載112「四王天延孝『猶太思想及運動』と内外書房」で言及した、反ユダヤプロパガンディスト犬塚惟重=宇都宮希洋の秘書を務め、後に夫人となった女性である。地政学、ユダヤ問題、犬塚と昭和十年代後半が再現される出版シーンを日本工業新聞社が担い、その時代の内外書房の役割を果たしているかのように思えてくる。これらの問題は錯綜し、複雑を極め、謎はいまだもって解けそうもない。

                                          

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