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古本夜話147 「赤本」としての築田多吉『家庭に於ける実際的看護の秘訣』

これまで書いてきたように、明治末期から大正時代にかけて、様々な健康法のブームがあり、それらを背景にして健康雑誌やスポーツ雑誌が創刊されたのであり、昭和四十九年の『壮快』マキノ出版)の創刊とパラレルに始まった戦後の多彩な健康法の隆盛も、その時代に起源が求められ、現在に至るまで反復されているとわかる。
壮快

その間に多くの健康法が出現し、流行し、また忘れられていったが、今でも読み継がれ、利用されている一冊がある。それは『赤本』と称される築田多吉の『家庭に於ける実際的看護の秘訣』で、刊行以来一千万部を優に超える長年のベストセラーであり、現在でも売れ続けているようだ。

家庭に於ける実際的看護の秘訣 家庭に於ける実際的看護の秘訣

私の所持する一冊は昭和三十七年千五百五十二版だが、その前に大正十四年以来の重版日が四段組み五ページにわたってもれなく記され、四十年近くにわたるベストセラーの事実をまざまざと示している。これは均一台で拾ったものだが、四六版、箱入、千ページ弱の七センチに及ぶボリュームで、著者が「赤本」と名づけたように箱の赤は汚れ、褪せていても、本体の表紙の赤はまだとても鮮やかだった。この赤は紅に近く、それが生命の源である血の色を意味すると同時に、著者の築田が属していた海軍看護科、及び衛生兵を示す色からも由来しているのではないだろうか。

この『赤本』=『家庭に於ける実際的看護の秘訣』は流通販売を取次や書店ルートにたよっていなかったこともあってなのか、これほど版を重ねたベストセラーであるにもかかわらず、近代出版史において、ほとんど言及されてこなかった。また田中聡『健康法と癒しの社会史』青弓社)の近代健康史チャートである「日本『健康』願望年表」にも築田と『赤本』は掲載されておらず、それらの原因は通常の出版社から刊行されていなかったことに求められるだろう。
健康法と癒しの社会史

築田の「自序」などによれば、初版一万五千部は海軍だけで売り切れ、毎年海軍省を通じ、戦死者遺族、傷病、除籍者に与えられ、昭和十九年には三万部を納入したという。手元にある一冊は神田神保町の広文館発行と箱に記されているが、奥付表記から判断すると、実際の発行、発売は渋谷区の三樹園となっている。この三樹園社は築田が戦後になって長男と興した製薬会社である。

広文館のほうは取次や書店ルートに対応するための注文口座的窓口だったと考えられる。住友信託銀行からの数千冊の採用が記されていることから推測できるように、流通販売の主流は様々な団体や企業の採用であり、それらは各種記念の贈呈品、営業の拡材品、香典返し、病気全快祝など、また地域や職域の販売商品として、三樹園者からの直販で取引されていたはずだ。それゆえに厖大な部数を売り続けることが可能だったのだろう。それを示しているのは奥付にある「特価600円」の記載で、書店販売を主とするのであれば、この表示は使えなかったと思われる。

この『赤本』の著者築田多吉の生涯と本のエッセンスを抜粋した山崎光夫の『「赤本」の世界』(文春新書)が、平成十三年になって出された。そこで山崎は『赤本』が戦前生まれの日本人であれば、まず知らない者はいないというほどの健康書で、富山の置き薬と同様に、一家に一冊常備されていたと始めている。そして明治五年生まれの築田が海軍に入隊し、看護科に配属となり海軍病院に三十五年勤務した衛生中尉としての経験と実績、自らの結核体験から、民間療法に基づく家庭看護や病気の知識を記した『赤本』を刊行するに至った事情を追っている。そして『赤本』がそのように普及した社会背景について、次のように書いている。
「赤本」の世界

 まだ今日のような医療保険制度は確立しておらず、大病するとその医療費で家が傾いた時代だった。西洋医学一辺倒の薬漬け医療が横行し、また、医者は輸入医療機器を充分に使いこなせず誤診と過誤が頻発した。(中略)
 医者のほうは相変わらず権威を振り回し、反省の意思がなかった。当時の国民にとって健康対策は文字通り死活問題だったのである。多吉の『赤本』はこうした悩める国民に、分かりやすく、廉価で、よく効く治療法を提示したのである。象牙の塔の威張った治療ではなく、生活に密着した身近な療法を教えたのだった。

しかもこの『赤本』は山崎がサブタイトルに付しているように、「民間療法のバイブル」的存在であったから、「西洋医学」の側からは文字通り「赤本」扱いされたにちがいない。そもそも「赤本」は江戸時代の草双紙などを意味したが、近代出版においては内容が低俗で、造本も粗末な本をさすようになり、それらを刊行する出版社は「赤本屋」とよばれていた。さらに具体的にいえば、赤本業界とは実用書、見切本、特価本、月遅れ雑誌、倶楽部雑誌、貸本、貸本漫画などを刊行したり、扱ったりする出版社や取次の総称である。

それらは大手取次や出版社と異なり、古本屋や貸本屋の流通も担っていたし、当然のことながら、アウトサイダー的な三樹園社のような版元も含まれていたことになろう。赤本業界に話を進めていくときりがないので、まとまった出版資料として、全国出版物卸商業協同組合の『三十年の歩み』、近年に復刻された『全国貸本新聞』(不二出版)を挙げるにとどめる。
全国貸本新聞 全2巻

近代出版業界の明治初期の形成は教科書をベースにしていたことで、公的出版物から始まり、それに「西洋医学」を始めとする欧米経由の政治、法律、経済、哲学が続き、明治半ばにようやく私的出版物に相当する文学、文芸書出版が誕生する。そして明治後半になって、雑誌出版の隆盛を迎え、末期には講談社に象徴される、後の大手出版社が立ち上がっていく。徳富蘇峰講談社を「私設文部省」とよんだように、大手出版社はそのような役割を果たし、近代出版業界の上部構造を形成していた。

そのような上部構造に対して、赤本業界は下部構造であり、近世から続いている娯楽、健康、療養、ガイド、宗教、占いといった民間出版物を主体とし、営まれてきたことになる。しかし現在の健康ブームのひとつの流れが築田の『赤本』にあるように、また日本の出版物の確固たる地位を占めるコミックにしても、その起源は赤本業界に求められる。一言でいってしまえば、日本の出版業界を根底で支えてきたのはプログラムマガジンとしてのエロ雑誌、コミック、大衆文学であり、それらは赤本業界が生み出してきたものに他ならない。

本連載の目的のひとつはそのような出版の世界を追求することにあるし、これまで取り上げてきた本の大半がそのような出版社、もしくは小出版社によって刊行されてきたことに、読者はあらためて気づかれるだろう。

またそれゆえに民間宗教に他ならない新興宗教は、これらの赤本業界周辺の出版社と結びつくか、自ら出版社を立ち上げる経路をたどっていくのである。それは民間療法の『赤本』がたどった出版史に象徴的に示されている。

三樹園社には築田多吉の写真と『赤本』の書影を掲載したホームページがある。そちらもぜひ参照されたい。

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