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ブルーコミックス論12 松本大洋『青い春』(小学館、一九九三年、九九年)

青い春(93年版) 青い春(99年版)


松本大洋の短編集『青い春』のタイトルを見ると、高校時代に読んだヘンリー・ミラー『暗い春』吉田健一訳)を思い出す。それは一九六五年に集英社から出された『世界文学全集』6のミラー所収の作品で、英語タイトルはBlack Spring となっていた。

暗い春 (福武文庫版)

『暗い春』の最初の「第十四地区」は「わたしが育ったブルックリン第十四地区がわたしの祖国である」と書き出され、ミラーにとってそこは「世界の全部」であり、その「街の中で、人間とはほんとうにどういうものかということを教わる」場所でもあった。そしてそのようなトポスとして、街、人間、生活、事物、風景などがミラー特有のごった煮的描写によって次々に浮かびあがっていく。いずれにしても、その世界はクレイジーで、苦痛と悲鳴にもあふれ、暗澹とした深い憂鬱に捉われ、破壊衝動にも駆られるのだ。それが『暗い春』というタイトルにもこめられているのだろう。

このミラーの『暗い春』Black Spring であるとすれば、松本の『青い春』の英訳タイトルはBlue Spring ということになろうか。『青い春』は総タイトルで、同名の作品は含まれておらず、七つの短編によって構成されている。そのタイトルと粗筋を示す。

 「しあわせなら手をたたこう」/高校の屋上の棚の外につかまり、何回手をたたけるかのベランダゲームを競っているうちに、一人が落ちながらも十二回たたき、踊り場のコンクリにぶつかり即死。
 「リボルバー」/三人の高校生が浮浪者らしきおっさんの手引きでリボルバーを手に入れ、それをめぐって事件が起きていく。原作は『青の戦士』狩撫麻礼
 「夏でポン!」/準決勝で敗け、甲子園に出られなかった野球部員たちが部室で甲子園の試合とダブらせながら、夏の間麻雀を続ける。
 「鈴木さん」/ヤクザの鈴木さんと腐った魚のような目をした高校生の奇妙な関係。
 「ピース」/「ゆきおくんは、しょうらいなにになりたいの?」と小学生の時にいわれ、暴走族になり、仲間を殺すはめになってしまった話。
 「ファミリーレストランは僕らのパラダイスなのさ!」/ファミレス騒動記。
 「だみだこりゃ」/二人の高校生のスラップスティック的抗争劇。

青の戦士

いずれもが教師がいう「オチコボレども」の高校生を主人公とする作品で、そこに晴れがましい物語はひとつとしてない。そのような彼らと物語群がどうして『青い春』としてまとめられたのだろうか。

一九九八年の「あとがき 其の弐」で、松本は次のように述べている。

 どれだけ情熱を燃やそうと血潮を滾らせようと、青春とはやはり青いのだと僕は思います。
 それは多分夜明け前、街の姿がおぼろげにあらわれる時の青色だと思います。

この松本の言葉から考えれば、タイトルの『青い春』は青春の代名詞でもあり、その「青」は同時に夜明け前の街を包むおぼろげな色彩だということになる。きっと九八年版表紙カバーに使用されているライトブルー、もしくは勿忘草色(わすれなぐさいろ)はそれらを表象しているのだろう。

それを確認するために、もう一度最初の短編「しあわせなら手をたたこう」を取り上げてみよう。本連載でふれた山本直樹『BLUE』や角喃キリコの『blue』が、高校や物語の重要なトポスとして、屋上を舞台としていたように、「しあわせなら手をたたこう」もまた屋上の物語であり、いずれの登場人物たちにとっても、そこがアジールに他ならないからである。山本は『BLUE』の最後の場面において、屋上から飛び降りる姿を描いているが、松本も口絵の二ページ分を使い、学生服とセーラー服姿の二人が屋上から手をつないで飛び降りるシーンを追い、おそらくその場面を見ないように両手で目を覆っている少年を登場させ、その横に青く「春」という字を書き添えている。

BLUE blue

「しあわせなら手をたたこう」も屋上のシーンから始まり、半分は屋上の光景で占められ、物語が展開されていく。そして口絵でも示されなかった血を流した死体が白ヌキで描かれ、それは思いがけないことに、それまで記録を残していなかった「青木ちゃん」だった。「マヌケな野郎だ……」との言葉に対して、「だけどちょっと格好良いぜ、あいつ。十二回たたいたんだ」という声が上がり、それが「ツッパリ」の死、すなわち「青い死」だったことが明らかになる。

松本は九八年の「あとがき 其の弐」に先立つ九三年の最初の「あとがき」で、学生時代に「不良」の類の友人が多く、憧れも含んだ「一番身近にいたヒーロー」で、放課後の屋上などで、「『夜露死苦』だの『喧嘩上手』などの文字をバックに凄んで見せる彼らの写真をよく撮らされました」と書いている。

松本の証言によって、八〇年代にすでに「夜露死苦」といった言葉が使われていたとわかる。都築響一『夜露死苦現代詩』(新潮社、後にちくま文庫)を刊行したのは二〇〇六年になってからであり、松本はそれを二十年近く前に見出し、作品に取り入れていたことになる。「ピース」の最初のページにその言葉が書きこまれている。都築は「過去数十年の日本現代詩の中で、『夜露死苦』を超えるリアルなフレーズを、ひとりでも書けた詩人がいただろうか」と記している。それゆえに自著に『夜露死苦現代詩』とのタイトルをつけたのであろう。それをもじって私もこの作品集『青い春』を「夜露死苦現代コミック」と称んでみたい。
夜露死苦現代詩
まさに「青木ちゃん」も「夜露死苦」といって落ちていったかもしれないのだ。


次回へ続く。

◆過去の「ブルーコミックス論」の記事
「ブルーコミックス論」11 鳩山郁子『青い菊』(青林工藝社、一九九八年)
「ブルーコミックス論」10 魚喃キリコ『blue』(マガジンハウス、一九九七年)
「ブルーコミックス論」9 山本直樹『BLUE』(弓立社、一九九二年)
「ブルーコミックス論」8 山岸涼子『青青の時代』(潮出版社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」7 白山宣之、山本おさむ『麦青』(双葉社、一九八六年))
「ブルーコミックス論」6 狩撫麻礼作、谷口ジロー画『青の戦士』(双葉社、一九八二年)
「ブルーコミックス論」5 安西水丸『青の時代』(青林堂、一九八〇年)
「ブルーコミックス論」4 佐藤まさあき『蒼き狼の咆哮』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」3 川本コオ『ブルーセックス』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」2 序 2
「ブルーコミックス論」1 序 1