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ブルーコミックス論14 やまじえびね『インディゴ・ブルー』(祥伝社、二〇〇二年)

インディゴ・ブルー


やまじえびねの作品を最初に読んだのは『LOVE MY LIFE』だった。その主人公で十八歳のいちこはママを七年前に失い、大学助教授とアメリカ文学翻訳者を兼ねるパパと二人暮らしである。ところが彼女はレズビアンで、弁護士をめざしている完璧な恋人エリーができたこともあり、カミングアウトも含め、パパに恋人を紹介する。そのような場面を経て、パパはいちこに自分がゲイで、ママもレズビアンだったと告白し、「やっぱりいちこはパパとママの子だと思った」と話す。そのようにして『LOVE MY LIFE』の物語は始まっていく。

LOVE MY LIFE

これを初めて読んだ時、フランソワーズ・サガン『悲しみよこんにちは』の同性愛ヴァージョン物語で、つくりものめいたレズビアンファンタジーのようにも感じられた。それに加えて、「あとがき」の文章が記憶に残った。それは二年ほど「まんが」を描くのを止めていたこと、「アメリカ人女性作家の書いた薄い本を読んでいる最中に」、いちこたちが突然現われてきたこと、この作品が「私にとって特別な一冊」で、「ここからはじまるのだ」と書いていたことなどだった。このアメリカ人女性作家とはおそらく『独り居の日記』みすず書房)などのメイ・サートンであろう。その『LOVE MY LIFE』に続く作品が『インディゴ・ブルー』である。

悲しみよこんにちは 独り居の日記

『インディゴ・ブルー』のヒロインは小説家の中川留都(ルツ)で、デビュー作『ラブ・セッション』は大学での告白できなかった恋をテーマにしたものだった。そのデビューから六年が経っていた。ルツは担当編集者龍二と大学の文芸学科のゼミの同級生で、作家と文芸誌編集者の関係から、「私は彼に恋していない」にもかかわらず、愛人関係にあった。

そこに美術雑誌編集者の矢野環(たまき)が現われる。環は初対面のルツにむかって、昨日読んだばかりの新しい短編集の中の『束の間』を話題にする。それは染織家Yと女子大生のワンナイトスタンドを描いたものだった。そして環は短編の一節を引きながら、次のように問うのだった。

 「Yの青く染まった指に胸をまさぐられ、固くなった乳首が吸われると、もう一秒もわたしは立っていられない……
 あの作品は不思議だわ。Yは果たして男なのかどうか」

確かに『束の間』において、ルツは「Y」を女性と想定していたので、「Y」はずっと「Y」のままで、「彼」とも表記されていないのだ。その指摘にルツは驚き、環に魅せられていく自分を強く感じていた。そして環と再会し、キスされたことで、ルツは「何かが起こりはじめている」ことを自覚した。

またルツは女の子たちが大きくなったらお嫁さんになるというのが理解できなかったこと、結婚、家庭、子育てに対する無縁の思いから、自分は「人種がちがう」という考えにも至る。環も十四歳の時から迷わずレズビアンとして生きてきたことが明らかになる。

そのかたわらで、ルツの新しい小説は書かれていく。それは非の打ち所のない恋人を持ったヒロインが同性愛に目覚め、彼と自分とを裏切っていく心的現象を描いていくものだった。すなわち『インディゴ・ブルー』内において、同じ物語が反復され、進行していることになる。デビュー作『ラブ・セッション』における告白できなかった恋は、男の恋人がいる相手だった。今度はレズビアンの女性であり、大学時代に果たせなかったことを実現させるのだ。そしてルツの環への求愛と二人の性的場面が七ページにわたって描かれ、ここで真摯なレズビアンの愛の行為に立ち会うに至る。それは「深い深いインディゴの青/Yの指にしみついてその藍色で」と表象されているように、また「手」がクローズアップされているように、「手」や「指」に関するフェティュシュな投影をリアルに浮かび上がらせている。

書きつつある連作小説と同様の関係、つまりルツと龍二と環の三角関係が成立し、それを龍二と環は知らない。龍二はルツとの結婚を望み、環はレズビアンという「ひとつの道を選ぶ」ことで、「他の道を捨てる」選択をしているのに、小説の主人公とルツは二人の間を揺れ動く。いずれそれが露見し、龍二や環から問われることになろう。

ルツは「小説を書き終えるまで、環と愛しあいながらも龍二とも寝る」関係を続けてきたが、「うまくきりぬける」ことができるのだろうか。

しかし破局はいきなりやってきた。龍二とのことが環に伝わり、「わたしはあなたが好きなのよ! 別れる理由なんかどこにもないわ!」というルツに対して、環は「わたしがあなたを嫌いになったのよ」と答え、遠ざかっていった。

龍二との関係も破綻し、作家と担当編集者という仕事でつながっているだけになった。そうしているうちに再び環との関係が始まったが、それは元に戻ったことを意味しておらず、ルツは環を少しも理解していなかったことに気づいた。その章は「名づけえぬもの」と題され、ルツと環の性愛、ルツと龍二のセックスが男と女の異なる視点から描かれ、語られ、ジェンダーレスな深いエロスを覗かせている。

そのようなプロセスを経て、ルツは小説を完成させる。私小説ではないが、描写の向こうには三人がいる。そしてルツ=作者、他ならぬ「Y」のイニシャルを持つ環=読者の出会いから始まった物語は閉じられようとしている。最初の出会いを語る環に、「どこかでずっと待っていたのよ。深い藍色の気配をまとったYのような人を」とルツはいう。そのイメージは「インディゴの青」だとも。「それはあなたのイメージだわ」と環は応じる。

深い藍色、インディゴ・ブルーの世界はレズビアンの世界のメタファーでもあり、三人の世界を包んでいた色彩なのであろう。その象徴としての小説、自らが書いた痛みを伴った小説を長い時間をかけて忘れようと決意するところで、『インディゴ・ブルー』の物語は終わっている。また忘れることで、さらに奥深いレズビアンの世界へと降りていくことを告げているのだろう

次回へ続く。

◆過去の「ブルーコミックス論」の記事
「ブルーコミックス論」13 よしもとよしとも『青い車』(イースト・プレス、一九九六年)
「ブルーコミックス論」12 松本大洋『青い春』(小学館、一九九三年、九九年)
「ブルーコミックス論」11 鳩山郁子『青い菊』(青林工藝社、一九九八年)
「ブルーコミックス論」10 魚喃キリコ『blue』(マガジンハウス、一九九七年)
「ブルーコミックス論」9 山本直樹『BLUE』(弓立社、一九九二年)
「ブルーコミックス論」8 山岸涼子『青青の時代』(潮出版社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」7 白山宣之、山本おさむ『麦青』(双葉社、一九八六年))
「ブルーコミックス論」6 狩撫麻礼作、谷口ジロー画『青の戦士』(双葉社、一九八二年)
「ブルーコミックス論」5 安西水丸『青の時代』(青林堂、一九八〇年)
「ブルーコミックス論」4 佐藤まさあき『蒼き狼の咆哮』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」3 川本コオ『ブルーセックス』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」2 序 2
「ブルーコミックス論」1 序 1