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古本夜話165 『新声』、『明星』、「文壇照魔鏡」事件

二回にわたって言及してきた『美術辞典』に象徴されるように、田口掬汀における日本美術学院や中央美術社での出版が成功には至らなかったにしても、光の部分であったとすれば、影の部分を象徴する出版に田口が関わっていたことも記しておかなければならないだろう。それは明治文学史にも伝えられている有名な「文壇照魔鏡」事件である。

この事件は明治三十四年三月十二日付で、著作兼発行者を横浜市の大日本廓清会、及びその代表者を田中重太郎とする『文壇照魔鏡』という百二十八ページ、定価二十五銭の本が出されたことが発端だった。だがそれらの発行所も代表者もまったく存在しないものであり、その内容は与謝野鉄幹を誹謗中傷する怪文書で、彼の犯した架空の強盗、強姦、殺人、詐欺などを挙げ、明らかに悪意を持って鉄幹を陥れる目的が明らかだった。

この『文壇照魔鏡』は長らく稀覯本であったが、一九九〇年に湖北社から「近代日本学芸資料叢書第十五輯」として復刻されたことで、ようやくその怪文書を読むことができるようになった。その菊判の活字の組み方、強調傍点の多様性と執拗な打ち方、大文字の挿入などを実際に目にすると、怪文書独特のニュアンスがリアルに伝わってくる。また奥付に大きく記された「転載を許す」は鉄幹への悪意をさらに生々しく露出させていて、これが次なる鉄幹攻撃の伏線となっていたのである。

伊藤整『日本文壇史』6講談社)の「明治三十四年『文壇照魔鏡』事件」において、この「悪意の書」は「文壇に大きなショック」と、鉄幹に「頭上から巨石が落ちて来たやうな打撃」を与えたと書いている。そして続いて佐藤義亮の『新声』四月号に、記者の高須梅渓が『文壇照魔鏡』の内容を紹介しながら鉄幹を攻撃したため、この事件がライバル雑誌だった『新潮』と『明星』の代理戦争のようなイメージを与えるに至った。そこで鉄幹は『文壇照魔鏡』の匿名の筆者を『新声』の高須、田口掬汀たちだと考え、高須と発行人の中根駒十郎を誹毀罪で告訴し、新聞でも大きく取り上げられたが、二人は証拠不十分で無罪の判決を受けた。
日本文壇史 6

『新潮社七十年』もこの「『文壇照魔鏡』事件」に一章を割き、これらの経緯と事情を記し、「この事件の真相はいまだ不明であるが、この事件によって、新興出版社新声社の名が世間に強く印象づけられたことは確実であろう」と結んでいる。

しかし伊藤整はこの事件によって、『明星』の部数が五千部から半減してしまったこと、田口が『新声』に勝利宣言にも似た「与謝野寛対新声社誹毀事件顛末」を書いたこと、『新潮』と『明星』の確執に両誌をめぐる新進画家一條成美の存在があったのではないかということを書き添えている。

「文壇照魔鏡」事件についてはここまでは知っていたが、その真相は『新潮社七十年』の記述にあるように「いまだ不明」なのかとずっと思っていた。ところが〇四年に刊行された谷沢永一『遊星群明治篇』和泉書院)を読むに及んで、そこに「照魔鏡前後余波」が含まれ、その後の研究によって、すでにこの事件の真相が明らかになっていることを教えられた。
遊星群明治篇

谷沢はまず、岡保生が『明治文学論集』2(新典社)によって、『文壇照魔鏡』の筆者の研究史と表記文体の検討から、田口掬汀と推定し、その探索に終止符を打ったと述べ、さらなる補足資料として、昭和五十二年に刊行された小島吉雄の『山房雑記』(桜楓社)所収の「『文壇照魔鏡』秘文」を紹介し、五ページにわたって引用掲載している。私もその肝心な部分だけを抽出してみる。

明治文学論集 2

 さて、今だからもう事の真相をここで述べても差し支えないであろう。本当のことを言えば、この秘密出版書は、一条成美が材料を提供し、それを佐藤橘香(新声社主、本名儀助)と田口掬汀とが一夜がかりで書きあげたものである。そのことは鉄幹にも大体の察しがついていたのである。だから、新声社を告発することにもなったのであるが、彼らは極めて巧妙な仕組みでやったことだから、なかなか尻尾がつかめず、警察も確固たる証拠を握ることができなかったのである。
 (中略)成美は到頭『明星』を飛び出し、『明星』の競争相手であった『新声』に奔った。成美は胸中のうっぷんを晴らすために鉄幹の悪口を新声社の連中に話した。新声社の方では『明星』と鉄幹に対する妬みと野次馬的心理とで成美の言を採りあげて、針小棒大にあることないことを面白おかしく書きあげたのが『文壇照魔鏡』一篇であった。梅渓は執筆者の佐藤や田口へ義理立てをしたわけである。ひどい目にあったのは鉄幹だった。

小島はこれらの秘話を、新声社同人として佐藤と最も古い馴染みで、社員にもなっていた金子薫園から生前に聞いた話であるから、間違いはないと断言している。また鉄幹の不徳の致すところともいえるが、佐藤や田口のやり方もあまりに悪質で、腑に落ちぬものがあるとも述べている。

しかしそのような体質が新潮社のDNAにあったからこそ、『週刊新潮』の成功がもたらされたのではないかと思わざるをえない。それに『新潮社七十年』の執筆者は新潮社の顧問を務め、大のゴシップ好きの河盛好蔵であるから、真相を知らなかったはずもないのに、「いまだ不明」と記しているのは、とぼけているとしか言いようがない。同じく新潮社に勤めたことのある伊藤整もおそらく真相は知っていたはずで、それが『日本文壇史』への言及に示されているのだろう。かくしてこのような事実は、出版社の社史をそのまま鵜呑みにする危険性を自ずと示唆している。

なお谷沢はやはり同書の別のところで、田口が事件の翌年の明治三十五年に新声社から刊行した、明らかに鉄幹をモデルにした『魔詩人』の紹介引用を行なっている。これは『魔詩人天野詩星』と改題され、明治四十四年に大阪小説出版協会からも出版されているようだ。国会図書館のデジタルライブラリーではなく、紙の本の実物を読んでみたいと思うが、めぐり会えるだろうか。

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