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ブルーコミックス論19 さそうあきら『さよなら群青』(新潮社、二〇〇九年)

さよなら群青 1 さよなら群青 2 さよなら群青 3 さよなら群青 4


さそうあきらは一貫してビルドングスコミックを描いてきたように思われる。しかしそれは熱情的な筆致や声高な語り口によって表現されるのではなく、その たおやめぶりを想起させるキャラクター造型と、描写にふさわしい物静かな淡々とした物語展開によって。

ピアニストや指揮者を中心とする音楽の世界である『神童』『マエストロ』、犬として育った青年を描いた『トトの世界』、小学生の妊娠と出産を正面から捉えた『コドモのコドモ』などにおいて、主人公たちはいつだって困難や未知の出来事と向き合い、それらを乗り越え、克服するプロセスをたどっていく。また花村萬月の原作を得た『犬、犬、犬』にしても、主人公はアンチヒーローであるにもかかわらず、同じ存在を示す。それはさらに、さそうの物語がビルドングスロマン=教養小説と同様の構造を有している事実を告げる。それゆえに、ビルドングスコミック=教養コミックと呼んだのである。そのようなさそうの世界の特色は彼ならではの資質に加え、おそらく欧米ではなく、インドで小学生時代を送ったことなども作用しているのではないだろうか。

神童 マエストロ トトの世界 コドモのコドモ 犬、犬、犬

ここで取り上げる『さよなら群青』も、同じビルドングスコミックに三島由紀夫『潮騒』的物語を重ね合わせた作品のように読むことができる。父親と二人だけで、人が住むようなところではないとされる黄泉島に暮らしてきたグンは、父の遺体とともに海女たちが生きる小さな離島の波切島に漂着する。それは父の遺言でもあった。十六歳のグンはそこで初めて父以外の人間を見る。それは車も金も商店も同様だったし、美しい少女の海女の岬に一瞬にして心を奪われ、胸をときめかせる。

潮騒

岬を始めとして、グンは波切島の漁業長、宮司、漁師、同世代の少年たちとも知り合いになり、島に馴染んでいく。しかしグンの父の遺体は龍の入れ墨があったことから、島民たちは十五年前の事件を想起し、かつての亡霊が蘇ったと考える。十五年前に本土から五人のヤクザが密輸の基地にする目的で島にわたってきて、金品の強奪、薬物の密売、殺人と女たちへの強姦などを犯し、島を恐怖と混乱に陥れたのだ。それらの事件の最大の被害者は松子で、婚約者はバラバラ殺人の犠牲者となり、自分は犯され、二度と犯されないために自ら顔を焼き、今でもその姿のままで生きているのだ。さすがにそれがきっかけとなって島民は立ち上がり、ヤクザたちを島から追い出したとされる。

そのヤクザの一人がグンの父だったことがわかり、グンは島から本土へと追放され、船に乗せられる。だがグンは船から脱走し、秘かに島に戻る。そうした波切島とグンとの関係、その人々との絆の深まりが明らかになる一方で、島には様々な出来事と事件が起きていく。グンの存在に端を発する隣島の鶴島と波切島のアワビの漁場「根」をめぐる争い、それに続く海女たちの対決、離婚した父親の住む鶴島に家出する少女、漁業長の息子の新しい船への放火、宮司の女性関係に絡む岬の母との問題などが次々に起き、それらを背景に舌を失い、穢れた人間と呼ばれる男や片腕の老人が現われていく。

そして島に潜むグンは岬に助けられ、大風雨の中をけもの道の向こうある早瀬桜という人目につかない地に向かい、偶然にもそこで埋められた人骨を発見してしまう。かくして隠され続けてきた島の秘密と十五年前の真相がフラッシュバックされ、明らかになる。島民によってヤクザたちは殺され、ここに埋められたのだ。しかしその夜、ヤクザのひとりが島の娘と赤子を連れ、島を脱け出したのだ。それがグンの父であり、片腕の老人はその娘の父、すなわちグンの祖父だったのである。祖父はグンに語る。「海がすべてを呑み込んでくれる。海がすべてを忘れさせてくれると思うた―」と。だが「お前が父の亡骸とともに姿を見せたとき、これは何か神様のお告げであると思うたよ。」

まさに十五年前の事件のキーパーソンである松子も語ったように、グンは「この島のすべての罪と恥をうつし出す鏡」として、波切島へやってきたことになる。そして島の人々もグンの出現によって、「世界を違った目で見られるようになった」のだ。

漁業長は十五年前の事件の罪を背負い、海の祠にこもり、潮の満ちるのを待ち、自死する。そのかたわらで島は笛の音が響く祭りの中で、踊りと舟の競りでにぎわい、新たな生命も産まれていき、それは閉じられていた島が再生し、開かれた島へと変貌していくことを告げている。そのような変貌を司る少年として、グンは島に降臨したともいえるだろう。しかも彼は「黄泉」の島からやってきて、波切島の最も美しい娘と結ばれることになるのだから、この小さな離島をめぐる物語はひとつの神話のような色彩を帯び、クロージングの場面を迎えるのである。

グンと岬は裸で海の中へと降りていき、そこにはグンが岬に語りかける言葉が添えられ、「たとえ世界をすべて知り尽くしたとしても、このひとかけらの世界ほどに、大きい世界はないということをな」という言葉で、『さよなら群青』は閉じられている。この一編もまた、島をめぐる さそうのビルドングスコミックと呼ぶことに躊躇を覚えない。

そしてここであらためて、『さよなら群青』のタイトルの意味を考えてみよう。それにはアルファベットと英語のルビがふられ、「Sa-Yo-Na-Ra ultramarine」とある。最初の場面で、まだかろうじて息のある父はグンに「人の世に触れるがよい。お前がこれから向かう世界はな、人間でできている―」という。小舟は父と息子を乗せ、月と星明かりの下を進んでいき、その横にタイトルを浮かび上がらせている。

「群青」=ultramarineとは海の彼方と黄泉島のメタファーであり、「さよなら」=Sa-Yo-Na-Raは父の死によってグンがそれらに別れを告げ、「黄泉」の世界から出立し、「人間でできている」世界へと向かい、それまでの父子とは異なる別の物語が始まることを暗示させているのだろう。そのような期待と予感にたがわず、『さよなら群青』は醇乎たる作品として結実したと思われる。ここに山岸涼子と異なるもうひとつの『青青の時代』がある。
青青の時代

またここでは言及できなかったが、さそうには『トゥルー・カラーズ』イースト・プレス)という三十四の色をめぐる短編集があり、そこには浅葱色、スカイブルー、サファイアンブルーといった、ブルーをテーマとする小品も収録され、色彩に関するカレードスコープ的作品集となっている。
トゥルー・カラーズ

さらに島をめぐるコミックといえば、川上弘美作・谷口ジロー画の『センセイの鞄2』が、波切島のモデルとなった三重県の島とそれほど遠くない篠島を舞台にしている。こちらも読まれれば幸いに思う。

センセイの鞄2

次回へ続く。

◆過去の「ブルーコミックス論」の記事
「ブルーコミックス論」18 篠原千絵『蒼の封印』(小学館、一九九二年)
「ブルーコミックス論」17 木内一雅作・八坂考訓画『青龍(ブルードラゴン)』(講談社、一九九六年)
「ブルーコミックス論」16 松本充代『青のマーブル』(青林堂、一九八八年)
「ブルーコミックス論」15 やまじえびね×姫野カオルコ『青痣』(扶桑社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」14 やまじえびね『インディゴ・ブルー』(祥伝社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」13 よしもとよしとも『青い車』(イースト・プレス、一九九六年)
「ブルーコミックス論」12 松本大洋『青い春』(小学館、一九九三年、九九年)
「ブルーコミックス論」11 鳩山郁子『青い菊』(青林工藝社、一九九八年)
「ブルーコミックス論」10 魚喃キリコ『blue』(マガジンハウス、一九九七年)
「ブルーコミックス論」9 山本直樹『BLUE』(弓立社、一九九二年)
「ブルーコミックス論」8 山岸涼子『青青の時代』(潮出版社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」7 白山宣之、山本おさむ『麦青』(双葉社、一九八六年))
「ブルーコミックス論」6 狩撫麻礼作、谷口ジロー画『青の戦士』(双葉社、一九八二年)
「ブルーコミックス論」5 安西水丸『青の時代』(青林堂、一九八〇年)
「ブルーコミックス論」4 佐藤まさあき『蒼き狼の咆哮』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」3 川本コオ『ブルーセックス』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」2 序 2
「ブルーコミックス論」1 序 1