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ブルーコミックス論21 羽生生 純『青(オールー)』(エンターブレイン、二〇〇二年)

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羽生生 純の『青(オールー)』全五巻の表紙には主要な登場人物たちの裸の姿がコバルトブルーに染められ、描かれている。「オールー」とは「青」をさす沖縄方言で、それを告げるかのように、冒頭のページに沖縄の空と海の「青」が鮮やかな背景となって現前している。

まずはこの『青(オールー)』ピカレスクスラップスティックとでもいうべき物語を要約紹介しておくことにしよう。漫画家の差能構造は『オルタナトス』というメディアミックス化もされた大ヒット作を生み、人気絶頂にありながらも、漫画を描くための熱とモチベーションを失い、失踪し、沖縄の空っぽの家で奇妙な隠遁生活を送っている。その沖縄の漁村に週刊コミック誌の編集者安対武が訪れてくる。彼は離婚のための慰謝料と子供の養育費の捻出、及び社内での出世を目的とし、編集者生命を賭け、差能に新連載を依頼するためにやってきたのだ。

その後二人は街に酒を飲みに出かけ、たまたま地元の暴力団抗争に巻きこまれ、差能は仁原組を襲ってきた奥蒸組の鉄砲玉を射殺するはめになる。だが差能は銃を撃つ行為に失禁するほどの官能を覚え、仁原組の報復をめざすヒットマンになることを強く望み、その妄執に「俺だって編集者だ。ものを考えてメシ食って来たんだ」と思う安対も引きずりこまれていく。銃と死体と大金を見せつけられ、「その瞬間から俺達は狂ったまま走りはじめた」。かくして二人は漫画家と編集者ではなく、仁原組の同じヤクザとなり、もう一人の宿命の女とでもいうべき与木区々と出会う。彼女は喫茶店のウェイトレスで、沖縄のユタの血筋を引く娘だった。そして三人は敵対する奥蒸を射殺し、逃亡の旅に出る。

ただ銃撃戦で、区々は視力を失うが、霊感を得る。三人はその霊感に導かれて行動することになる。だが精神を病んだ少年グループ、追手の暴力団員、女殺し屋たちによって捕われ、窮地に陥り、拷問されたり、また助けられたりする。

その過程において、差能は重傷を負い、死の淵を彷徨い、同時進行の事件を新たなる物語に仕立て上げようと思いつく。「物語の無い現実など存在しない」ことに覚醒し、漫画家が漫画を構想して描くように、自らの人生を自らの創作する物語として捉え、自らが考えた物語の大団円、つまり英雄的にして悲劇的な死に向かっていこうとする。当然のことながら編集者もそれに同行しなければならない。それは具体的にいえば、マイクロバスを購入し、武装した差能たちが乗りこみ、暴力団の跡目相続の場へと突入し、そこを戦場となさしめることだ。このようにして、『青(オールー)』の物語は狂乱の中でクロージングへ向けて暴走していく。

これが簡略な『青(オールー)』の要約であるのだが、おそらくこの物語は様々な映画やコミックをベースにしてシャッフルされたものだと見なせるだろう。それは差能が自らの作品『オルタナトス』に関して、ホラー映画や『AKIRA』『風の谷のナウシカ』『名探偵コナン』からパクリ、模写したとの告白と通底している。

AKIRA 風の谷のナウシカ 名探偵コナン

また映画のことをいえば、差能の名前からわかるように、これは『仁義なき戦い』の美能からとられ、三人の逃避行と差能のインポテンツは『俺たちに明日はない』、沖縄は北野武『ソナチネ』にそのパターンと起源が求められるように思われる。

仁義なき戦い 俺たちに明日はない ソナチネ

それは現代において、すべての漫画がシミュラークルパスティーシュ、パロディを抜きにして存在しないこと、それが差能の描くことのモチベーションの喪失、謎の失踪と隠遁生活を暗示している。ちなみに『オルタナトス』とはAll Tanatosであろうし、それはすべての死を告げている。それゆえに銃と殺人がもたらすリアルな官能への覚醒、スラップスティックな逃避行による物語の再生が、沖縄という異界で試みられていくことになる。

だがそれらの新たなる物語の覚醒と再生のためには、沖縄という土地に根づく触媒が不可欠であり、そこでユタの血筋を引く区々が召喚されるのだ。そして彼女は銃撃戦に巻きこまれ、視力を失ったことで、霊感に目覚め、「青色を感じます」と語り出す。それは第一巻の冒頭のカラーページに示された沖縄を象徴する海と空の「青(オールー)」の抱擁を伝えているのだろう。

区々は逃避行の中で、すべてを捨てた差能との「今」における共生を自覚し、祖母ゆずりのユタの仕事を始める。そして「神つなぎの儀式」の代わりのように、紙粘土で神の似姿を造型し、それに近づいていく。そうするうちに、彼女はユタの仕事を通じて、「青い神よ 青い神よ」と唱え始める。差能も問いかける。「青い神は望む者全ての願いをかなえてくださいますよね?」と。

しかしそのユタの仕事場も襲撃され、差能は重傷を負い、区々は自らが造型した「青い神」を置き去りにし、差能の救出に至り、自分は差能と一体だと思う。そして差能は彼女の「青い神」となる。「青い神は私の世界のそこらじゅうに満ちている。私の中にいるのは青い神」。ここで彼女は逆に差能を触媒としてまさにユタへと変貌したことを意味していよう。差能と安対が漫画家と編集者からヤクザになったように、区々も喫茶店のウェイトレスからユタへと変貌したのだ。そして最後のバス突入の中で、差能はインポテンツから回復し、区々との初めての性交に至る。差能は物語を思うように仕上げることができたのだろうか。「俺は俺の物語は実を喰らうどころか、実に喰われるのか?」。

この後のことを安対は手記に書いている。「その時以来、他の奴等がどうなったのか知らないし、調べてもいない。差能が自分の物語を完成させることが出来たのか、結末がわからない以上、この手記もどきになんの意味も無い」。

区々は以前のウェイトレスに戻り、妊娠しているようで、オバアに「もう安定期に入った」と告げ、「私、神様を見つけたよ」と語りかける。「お前は立派な神人(カミンチュ)になるさ―」とオバアはいう。夜の浜辺に出た区々は「青い神にとどきますように」と青い海と空に向かって銃を撃つ。

そして最終話の「青」によって、四ヵ月前の「真相」のようなものが語られ、この物語はようやく閉じられる。それはいうまでもなく、差能によって語られる他はない。「イタイ」と叫び、「区々? どこだ?」と求めている血にまみれた差能がいる。その一方で裸身の区々と浜辺を歩くスーツ姿の差能がいる。自らの物語の分裂がここに表出しているが、前者がこの『青(オールー)』の結末と見るべきだろう。

なぜならば、区々は一人で歩き、そこには「やっと差能さんと私のすべてが/ひとつになれた。もう私/前に進める。あ、そうだ/家に帰ったら髪を染めよう。嘘みたいな/青い色(オールー)に」という独白が添えられている。そして前章でその後のオバアとの生活が描かれたわけだから、差能は死によって、自らの物語を完結させたと思われる。

次回へ続く。

◆過去の「ブルーコミックス論」の記事
「ブルーコミックス論」20 入江亜季『群青学舎』(エンターブレイン、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」19 さそうあきら『さよなら群青』(新潮社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」18 篠原千絵『蒼の封印』(小学館、一九九二年)
「ブルーコミックス論」17 木内一雅作・八坂考訓画『青龍(ブルードラゴン)』(講談社、一九九六年)
「ブルーコミックス論」16 松本充代『青のマーブル』(青林堂、一九八八年)
「ブルーコミックス論」15 やまじえびね×姫野カオルコ『青痣』(扶桑社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」14 やまじえびね『インディゴ・ブルー』(祥伝社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」13 よしもとよしとも『青い車』(イースト・プレス、一九九六年)
「ブルーコミックス論」12 松本大洋『青い春』(小学館、一九九三年、九九年)
「ブルーコミックス論」11 鳩山郁子『青い菊』(青林工藝社、一九九八年)
「ブルーコミックス論」10 魚喃キリコ『blue』(マガジンハウス、一九九七年)
「ブルーコミックス論」9 山本直樹『BLUE』(弓立社、一九九二年)
「ブルーコミックス論」8 山岸涼子『青青の時代』(潮出版社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」7 白山宣之、山本おさむ『麦青』(双葉社、一九八六年))
「ブルーコミックス論」6 狩撫麻礼作、谷口ジロー画『青の戦士』(双葉社、一九八二年)
「ブルーコミックス論」5 安西水丸『青の時代』(青林堂、一九八〇年)
「ブルーコミックス論」4 佐藤まさあき『蒼き狼の咆哮』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」3 川本コオ『ブルーセックス』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」2 序 2
「ブルーコミックス論」1 序 1