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古本夜話173 新光社と『日本地理風俗大系』

前回記したように、それこそ新光社の出版物に対するこれ以上の言及は、もう少し企画や編集の詳細が判明してからと考えていた。ところが最近になって、昨年の三月に二村正之の『ニッポン時空写真館1930−2010』という写真集が誠文堂新光社から刊行されたことを知った。これは「名所旧跡・街頭風景の今昔」とサブタイトルが付され、「現代版日本地理風俗大系」とのキャッチコピーがあるように、昭和円本時代の新光社の『日本地理風俗大系』に収録された写真、つまり八十年前の写真に対比させ、同じ場所を〇三年から一〇年にかけて撮影し、モノクロの前者を上段、カラーの後者を下段に配置し、それぞれにキャプションを加えた一冊である。

ニッポン時空写真館1930−2010

これらのモノクロ写真のほぼ二百枚は『日本地理風俗大系』全十八巻のうちの三冊を除く十五巻から抽出したもので、時宜を得た円本の再発見再評価の企画として歓迎すべきものだと思われる。しかしこれは無理もないことかもしれないが、『日本地理風俗大系』についての「解題」は全十八巻の写真と各巻の収録地方、刊行年、ページ数がメインとなり、編集者の仲摩照久に関しては誠文堂新光社に具体的な記録が残っていないという理由で、何の言及もなされていない。

昭和四年から七年にかけて刊行された『日本地理風俗大系』はその奥付に編輯者仲摩照久、発行者小川菊松とあるように、仲摩の新光社が関東大震災の被害を受け、実質的に破綻後、誠文堂の小川が新たに一万五千円の株式会社新光社を設立して出版したもので、円本といっても、すべてをアート紙とした二円八十銭の豪華本だった。これは小川の『商戦三十年』に「仲摩君と仕事」という写真ページが挿入され、そこに先行する『万有科学大系』『世界地理風俗大系』を加え、「新光社の三大予約出版」の書影が掲載されているが、そのふたつの製作出版、流通販売システムを踏襲したものであった。

つまり小川の新光社は仲摩の編集方針をそのまま引き継ぎ、予約出版物で起死回生の試みに打って出た。その第一が『万有科学大系』の第二回予約募集、第二が『世界地理風俗大系』で、後者はすばらしい成功を収め、全二十九巻、二円八十銭という高定価ゆえに当時の出版界の羨望の的となるほどの資本蓄積を可能にした。その勢いで、第三の『日本地理風俗大系』が続いたのである。小川は『商戦三十年』の中で、次のように述べている。ルビは省略する。

 此成功によつて(中略)、「日本地理風俗大系」を出版すべく、徐ろに進めつゝあつたのである。所が、図らずも玆に強敵が現はるゝを知つたのである。夫れは改造社が「日本地理大系」を発刊せんとし、鋭意準備を急ぎつつありとの情報に接したのであつた。這は一大事と仲摩君と協議し、急速に仕事を進捗せしめる傍ら、泥仕合を避け、何とか妥協の方法なきやと、改造社を訪問したりした。(中略)
 結果は両虎の争ひで、新光社は八万円の大損害となつたのである。既に「世界地理」の関係は著者の連絡と同情があり、編集技術は堂に入つている、読者も其の大半以上会員となつて居つても、尚且つ八万円の大損害であつた。然らば、改造社はどうであつたか、夫れは云わぬが華であらう。かくして第三回の「日本地理風俗大系」では経済的には、意外な失敗に終わつたのである。

このように小川によって経営と営業の視点から、『日本地理風俗大系』刊行の経緯と失敗事情は語られているし、またその編集に携わった鈴木艮の『編集者の哀歓』(大日本絵画)の中に、やはり改造社とのバッティング、編集の実務のことなどが記されている。だが仲摩の証言が残されていないために、『世界地理風俗大系』も含めたブレーンとの関係、及び企画の成立、執筆陣の確保と編集スタッフの顔触れ、編集の詳細などは明らかになっていない。

だが新光社の再建にあたっては小川の経営的手腕もさることながら、それらの「三大予約出版物」を企画した仲摩の編集者としての突出した力量にあらためて注目すべきだろう。何よりも『万有科学大系』は初めて本文をすべてアート紙使用とし、多くの写真を配したことで、平凡社の同じく円本『世界美術全集』などの範となったし、その後の新光社の「科学画報叢書」や雑誌『世界知識』の成功も、仲摩の企画、アート紙使用、写真の応用という三位一体的コンセプトによるものだった。

それから『日本地理風俗大系』と改造社の『日本地理大系』の編集委員のことであるが、新光社が帝国大学教授陣を揃えているのに対して、改造社は高等師範学校教授がメインになっている。とすれば、『世界地理風俗大系』も含んで、どのような出版人脈によって、アカデミズムと新光社とこれらの企画が結びついたのだろうか。例えば、『日本地理風俗大系』の第十五巻は「台湾篇」、第十六、十七巻は「朝鮮上・下」にあてられ、それらの記述と多くの写真は貴重な民族学的資料であると同時に、植民地に対する帝国主義的眼差しがひどく生々しい。当然のことではあるが、円本企画もその時代の政治的状況と世界史を反映させている。それこそ地政学の時代でもあったのだ。

またこの『日本地理風俗大系』の経済的失敗を小川は語っているにしても、実質的にはこのふたつの地理風俗大系を刊行したことで、新光社は多くの学者の執筆を得ることができ、学術書籍出版の新光社という地位を高めることに成功したのである。そしてそれをスプリングボードにして、昭和十年における誠文堂との合併があり、その後の誠文堂新光社としての成長があったと考えるべきだろう。

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