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古本夜話176 新潮社「感想小品叢書」、菊池寛『わが文芸陣』、『座頭市地獄旅』

ずっと大正時代の出版物にふれてきたこともあって、久しぶりに紅野敏郎『大正期の文芸叢書』雄松堂出版)を開いてみた。するとこの大正時代に出版された文芸書シリーズのエンサイクロペディアは何度読んでも面白く、またしても拾い読みしてしまった。最近は研究者が古書どころか、新刊の専門書すらも買わなくなった風潮が蔓延化したらしく、出版社が学会に出張して販売しても、一日一万円の売上に至らないことがよくあると伝えられ始めている。近代文学研究者の世界でも同じような傾向にあるのだろうか。筑摩書房の未刊の『大正文学全集』を出すように「日本近代文学会」で支援すべきだとか、研究者の誰もが紅野のように収集に励めとはいわないが、せめて近代文学研究者だけでも古書を買い続けてほしいと思う。

大正期の文芸叢書

紅野の『大正期の文芸叢書』はまさに古書の収集が研究へと結実した大冊で、収集に費やした労力と時間と金は想像を絶するものと考えられる。私などはここに挙げられた叢書の揃いのひとつすらも所持していない。それでも時々は大正時代の文芸叢書の端本を見かけることもあるので、買った場合は同書と照らし合わせ、その叢書の全体像を確認するようにしてきた。

それらのひとつに新潮社の「感想小品叢書」があり、菊池寛の『わが文芸陣』と中村武羅夫の『文壇随筆』の二冊を入手している。この叢書の成立事情について、『新潮社四十年』や『新潮社七十年』にはまったく言及がないが、紅野の解題によれば、二人の他に正宗白鳥芥川龍之介泉鏡花などの九人からなる、関東大震災の直後から大正末期にかけてのシリーズとされる。

中村の『文壇随筆』の巻末広告には「文壇諸家の主張感想と、其生活ぶりを窺わしむ可き随筆の集」とある。私は菊池と中村の二冊しか読んでいないけれども、関東大震災後のパセティックな感情が作用しているせいなのか、確かに「随筆」よりも「主張感想」の色彩が強く、「感想小品叢書」とシリーズ名の範疇に収まらない文章が多く含まれている。

菊池寛の『わが文芸陣』は文芸作品における芸術的価値を論じ、自分の理想は生活価値と芸術的価値とを共有した作品で、「文芸は経国の大事」でありながらも、「生活第一、芸術第二」と述べ、大正時代の読者の位相にまで及んでいる。

 現在の読者階級ほど、茫漠として、たよりない物はないと思ふ。極端に云へば、字がよめる群衆(モツブ)だ。字が読める野次馬だ。(中略)比喩が下品だと云ふ勿れ、書肆が挑発的な性欲的内容の広告に釣られ何等の定見もなしにつまらない翻訳などを、買い煽る読者階級と従来の野次馬との間に、多くの本質的差違を見ないのだ。

これは大正十年に大日本雄弁会から刊行され、大ベストセラーとなった『人肉の市』をさしていると思われる。そしてさらに菊池は次のようにいっている。

 書籍の広告などに、まどはされず、また駆け出しの月評家の妄評などには頓着なく、真に自分の趣味と嗜好とで、読書して行く、真の読書家が欲しいと思ふ。さう云ふ読書家が一万人もあれば、日本の文芸は、決して正道を放れはしないと思ふ。

驚くほど多くの優れた文芸叢書が出され、文芸書出版が盛んであった大正時代においてすら、すでにこのような嘆息がもらされていたのだ。菊池の嘆息から一世紀近く経とうとしているが、読書状況は悪化するばかりで、そのような読者を千人見つけることも難しいし、出版状況は「正道」どころか、「邪道」に入っているとしか思えない。それこそ「読者」ではなく、「群衆(モツブ)」に向けての出版が全盛を迎えているからだ。『文藝春秋』を創刊した菊池が現在の出版状況に立ち合っていたら、どのような言辞が吐かれたであろうか。

またその一方で、台頭しつつあるプロレタリア芸術論、サンガー夫人来日と避妊問題についてもポレミックな文章が収録されていて興味深いが、ここでは叢書にふさわしい「小品」に分類されている「石本検校」を紹介したい。この短編は初読であるにしても、「石本検校」からヒントを得て、私の好きな戦後の映画の一本が構想されたのではないかと思ったからだ。

まずストーリーを追うと、子の刻を回った頃、将棋指しの天野富次郎と石本検校が深川の茶屋金万を出るところから始まる。天野は諸国を回って勝利を収め続けてきた若い天才的将棋指しだったが、かつて天野を破っていた石本検校はその評判を喜ばす、実力五段を有する旗本の勧めで、四番指すことになった。ところが検校は一番しか勝てなかった。そして同じく芝を住まいとする勝者と敗者が一緒に帰るはめになったのだ。永代橋までは黙って歩いてきたが、負けて面白くない検校は天野に心眼で指す盲将棋を挑む。「真剣の立合ひをでも始めるように、二人とも殺気を含んでいた」。天野が「七六歩」というと、検校は「三四歩」と応じ、京橋に至るまで、二人は「盲将棋」を続けていく。

この菊池の「小品」を読んで、三隅研次監督、伊藤大輔脚本による勝新太郎『座頭市地獄旅』が「石本検校」をベースにして構成されたとほぼ確信するに至った。これは昭和四十年の座頭市シリーズ第十二作にあたり、私は小学生の頃から座頭市のファンだったこともあり、映画館でリアルタイムに見ている。この映画の中で、勝新太郎座頭市が、将棋好きな浪人で居合斬りの使い手成田三樹夫と出会い、「盲将棋」を打ちながら道中をともにするようになる。成田が扮する浪人は将棋の争いから上役を斬り、仇討ちをとげようとする兄妹に追われる身だった。それを知った座頭市は兄妹に味方し、最後の盲将棋を打ちながら、将棋対決が居合対決となるクライマックスに向けて進んでいく。これは私の気に入りの一本である。

座頭市の原作が子母澤寛の十ページばかりの「座頭市物語」(『ふところ手帖』所収、中公文庫)なのは周知の事実であるが、菊池の「石本検校」と『座頭市地獄旅』の相似は、映画のシリーズ化につれて様々な時代小説が引用され、接ぎ木され、「座頭市物語」が変奏されていったことを示していよう。

座頭市地獄旅 ふところ手帖
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