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古本夜話177 窪田十一と『人肉の市』

前回ふれたように、菊池寛が『わが文芸陣』の中で、「文芸の名の下に、春画的興味を、そそるが如き広告をする者」とよんでいるのは講談社のことであり、その広告とは『人肉の市』をさしていると断言していい。石川弘義・尾崎秀樹共著『出版広告の歴史1895年―1941年』(出版ニュース社)の『人肉の市』の項は次のように書き出されている。
出版広告の歴史1895年―1941年 『出版広告の歴史』      [f:id:OdaMitsuo:20120216163139j:image:h155] 『人肉の市』

 ベストセラーはマスコミによってつくられる。大正一〇(一九二一)年一一月講談社(正確には大日本雄弁会)から出版された『人肉の市』は広告・宣伝の威力を発揮した代表的ベストセラーである。

そして三種類の扇情的な広告が引用されている。『人肉の市』は十三万部以上の売れ行きを示し、講談社の初めての大ベストセラーになった。当時の売れ行き部数としては驚異的で、賀川豊彦の『死線を越えて』(改造社)に続くものだった。

死線を越えて

私の手元にある『人肉の市』は大正十二年五月の七百六十版で、確かにこのような重版数字は見たこともない。『クロニック講談社の90年』はベストセラーになった要因について、「題名が刺激的だったこと、薄いベール越しに裸の女の姿が見える広告や挑発的なキャプションなど、広告作戦の成功」と述べている。このベストセラー出版を機にして、講談社は単行本研究委員会を発足させ、雑誌主体から書籍出版にも力を注ぐようになる。その意味で『人肉の市』は講談社の単行本出版のターニングポイントであった。

『人肉の市』の原題は“ Die Welsse Sklauin ”著者名はElisabeth Schöyen で、訳者の窪田十一は「エリザベート・シエーエン女史著『二十世紀の恥辱、白き女奴隷』と題する大正八年出版、独書を訳したものである」と記しているが、著者も訳者も詳しいことはわからない。しかし内容からすれば、翻訳というよりも翻案に近いと思われる。

この四六判二百ページ余の本はピンクの表紙に、蜘蛛の巣のようなものに絡め取られ、髪を乱れさせた半裸の女性が描かれている。その横にタイトルが付され、これまた見開きの口絵には高島華宵によって、ベッドで薄物を引き寄せ、片方の乳房を露出させ、不審な侵入者に怯えている全裸の女性の姿が映し出されている。タイトル、表紙、口絵は三位一体となり、内容をしのぐ扇情さで販売効果を挙げ、ベストセラー化を促進したにちがいない。

『人肉の市』は国際的な人身売買組織に捕われた退役海軍少佐の娘の春満子(はるまこ)の物語である。彼女はデンマークのコペンハーゲンで家族と暮らしていたが、家族も多くて窮状にあったので、新聞広告で英独語を話せる家庭教師募集を見て、応募しようと決意する。そして広告を出したベルギー人の貴婦人陀歩鈴(だぶれい)を訪ね、ブラッセルにいる彼女の姉の娘の家庭教師を務めることが決まり、その二日後に十八歳の春満子は汽車で出発する。ボーイの黒人と二人の少女が一緒で、彼女たちはブエノスアイレスに家庭教師として渡ると伝えられた。
乗換駅のハンブルグで、陀歩鈴は小さな娘を連れた番(ばん)一久(きう)と出会い、春満子にはわからないオランダ語の会話を交わす。二人は同じ女の半身像を浮き彫りにした象牙の留針(ピン)を差していた。男はアントワープで少女専門の人身売買を手がけているらしく、その客は「幾金でも取り放題、出し放題」の「年頃の女や年増ぢや既(も)う役に立たねえ爺さん相手」だという。陀歩鈴一行はアントワープに向かう。そこで自分が属している坡泥(バーデル)の店に春満子たちを売るためだった。春満子はロンドンの人身売買者の古楠に転売され、ロンドンの家へと運ばれ、豪華な部屋に幽閉される。この家には彼女と同じような身の上の少女たちが何十人もいるのだった。

そこに侯爵賀爾継(ガルヴイツク)が偶然に訪れ、春満子の身の上を知り、警視庁に訴えるが、彼女はすでにパリに売られ、さらにトルコのコンスタンチノープルに送られていた。彼女は皇帝のハーレムの女となった。「岩田帯といふやうなことにでも成て御覧なさい。それこそ女王様ですよ」という女官の声の中で、トルコの様々な衣装をまとい、化粧を施される。その場面がやはり高島の挿絵によって描かれている。だが最後に春満子は賀爾継に助け出され、ハンガリーのブタペストを経て、オーストリアのウィーンに逃れるのだが、警察につかまり、人身売買業者を次々と転売され、病いに倒れ、市立病院に運ばれ、死に至る。侯爵がようやく見つけた時、彼女は病院の解剖台の上にあり、彼は失神してしまう。

最後の一文の「ああ、醜草(しにくさ)はおのがじし蔓(はびこ)り芳草(ほうそう)は夕(ゆうべ)に枯る、天は何故悪を懲(こら)さぬか」に象徴されているように、『人肉の市』は舞台が外国であるにもかかわらず、講談的展開とリズムによる物語で、まさに大日本雄弁会の『講談倶楽部』の読者たちをも巻きこみ、ベストセラーになったのではないだろうか。「岩田帯」の部分もそうだが、「金槌の川流れさ、一生浮ぶ瀬がないや」とか、「有難山の不如帰てんさ」などの語り口にも、そのことを示しているように考えられる。それゆえに窪田十一という訳者もある程度ドイツ語に通じた講談関係者と思われてならない。読者のご教示を乞う。

なおこの『人肉の市』は同タイトルで、ドイツと日本で映画化されている。日本版は松竹キネマで制作され、ドイツ版も日本で公開されているようだが、未見である。

当初『人肉の市』にこめられたオリエンタリズムについても言及するつもりだったが、またの機会にゆずり、今回はここで終えることにする。

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