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ブルーコミックス論24 島本和彦『アオイホノオ』(小学館、二〇〇八年)

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前回の石川サブロウの『蒼き炎』は読者よりも同業者に対して大きな影響と波紋を生じさせたようで、それは第5巻のやはり表紙カバーの見返しの部分に寄せられた星野之宣の言葉に明らかであろう。星野は石川の『北の土龍』『蒼き炎』以前には「絵画の世界を扱った漫画がほとんどなかったこと」、絵画と漫画の似て非なる組み合わせに意表をつかれ、「格別の関心」を払ってきたことを語っている。
蒼き炎5

そのような「格別の関心」を払ってきたのは星野たちだけでなく、若い漫画家たちも同様だったのではないだろうか。また石川によるこの分野への挑戦と開拓があって、里見桂の『ゼロ』や細野不二彦の『ギャラリーフェイク』や山田貴敏の『マッシュ』のような作品の出現も可能になったのかもしれない。

ゼロ ギャラリーフェイク マッシュ

そしてまた今回取り上げる島本和彦の『アオイホノオ』『蒼き炎』のカタカナ表記に近いタイトルであり、島本による石川の作品へのオマージュと見なしていいのではないだろうか。

『蒼き炎』は二十世紀初頭の日本の絵画の世界を対象とし、物語は東京からフランスまでへと至ったが、『アオイホノオ』は一九八〇年から始まり、舞台はまだ大阪にとどまっている。その時代と舞台背景は大作家芸術大学とされているが、当然のことながら大阪芸術大学と考えるしかない。中扉に「実在の人物・団体等の名前が一部登場するが、あくまでこの物語はフィクションであるとの断わりが置かれ、主人公名が「焔燃(ホノオモユル)」となっていても、「実在の人物・団体等の名前」からして、「焔」は作者の島本和彦に他ならない位置を占め、それは『燃えよペン』の同名の主人公「炎尾燃」の学生時代の前身でもあるからだ。

燃えよペン

『アオイホノオ』は「日本の漫画・アニメ業界は新たな局面を迎えようとしていた」という一節が冒頭に記され、これがこの物語の状況と時代背景のすべてを象徴しているように思える。その「新たな局面」のひとつは「漫画業界全体が甘くなってきている!」ことであり、絵が下手な「焔」であっても、漫画家としてデビューできる時代を迎えたことを意味していた。それに彼にとって、「漫画・アニメを超える芸術」は世界中どこを探しても存在せず、大学もまたそのような若者たちであふれかえり、誰もが漫画家やアニメーターになることを目論んでいた。そのような漫画やアニメ状況について、島本は繰り返し注釈と説明を加えている。

 読者側から見た漫画業界はひとつの時代の壁にぶつかり、行きづまりを感じさせる一方、新しい時代を迎えようと、気がつかない部分で何かが確実に動き始めてきていた。

 この時期―アニメ界も従来の子供向けのTV漫画を脱し、どっちの方向に向かうかをさまよっている時期。昔のサバイバルやリニューアルものに頼るものが多い中、こちらもまたひとつの新時代を迎えようとしていた。

漫画の新しい時代を告げるものはあだち充の『みゆき』『ナイン』、高橋留美子の『うる星やつら』『めぞん一刻』、大友克洋の『ハイウェイスター』『童夢』、アニメでは宮崎駿の『ルパン三世カリオストロの城』、永井豪の『マジンガーZ』、安彦良和の『機動戦士ガンダム』、松本零士の『さよなら銀河鉄道999』などの出現だった。

みゆき ナイン うる星やつら めぞん一刻 ハイウェイスター 童夢 ルパン三世カリオストロの城 マジンガーZ
機動戦士ガンダム さよなら銀河鉄道999

そして一九八〇年代を迎え、漫画とアニメはかつてない成熟の時代を甘受し、「焔」=島本のような若者たちを得ることで、最高に面白い表現手段にして「芸術」という頂へと登りつめたのだ。その若者たちとは「実名」で登場する、後に『新世紀エヴァンゲリオン』の監督になる庵野秀明、及びそれを交えたアニメ会社の社長やプロデューサーとなる山賀博之、南雅彦、赤井孝美、漫画研究会(CAS)に属していた克・亜樹、畑建二郎、矢野健太郎たちであり、その他にも多くの漫画家を挙げることができる。まさに八〇年代の「大作家芸術大学」=大阪芸術大学は、漫画とアニメの聖地のようなアカデミーにして、八〇年代の「トキワ荘」だったことになる。彼らの存在を抜きにして、九〇年代以後の漫画とアニメを語れないという事実はそれを証明していよう。
新世紀エヴァンゲリオン

石川サブロウの『蒼き炎』のアカデミーが東京美術学校で、登竜門が白馬会だったとすれば、『アオイホノオ』にあっては前者が大阪芸術大学、後者は小学館の「新人コミック大賞」に代表される大手コミック出版社の新人賞なのだ。『アオイホノオ』の「焔」=島本はそのような野望に燃え、まだ具体的に動き出してしないが、漫画家になることを目論み、その「夜明け前」にいると繰り返し説明されている。すなわちその「夜明け前」が「アオイホノオ」のひとつの意味を示しているのだろう。

しかしあらためて考えさせられるのは、漫画をめぐるコンセプト、受容の地平、技術についてのパラダイムチェンジであり、それは藤子不二雄の『まんが道』『愛…しりそめし頃に…』と比較すれば歴然だろう。かつて大学で漫画を学ぶことなど想像もできず、漫画家志望の少年たちはそれぞれ独学で、主として石森章太郎の『マンガ家入門』(秋田書店)をバイブルのようにして学んでいたと思われる。私の手元にある『マンガ家入門』の奥付を見ると、一九六五年八月初版、六七年七月十七版とあるので、ベストセラーに近い売れ行きだったとわかる。しかも同書も『アオイホノオ』に出てくることからすれば、八〇年代になっても売れ続けていた入門書だったことになる。だがそこで問題となっているのは、石ノ森の「かき方」についての二ページであり、それを引用転載して「焔」はいう。石森は「かんたんです。だれにでもできます」と書いているが、彼は元々絵がうまいからへたな人の気持ちがわからない、それに自分の絵がうまいと思うのは素人しかいないのだと。それに応じて、彼を励ますトンコはいう。「素人がだまされれば、それでええやん。マンガ描くのはプロでも、読むんは……みんな、素人なんやし」。

まんが道 愛…しりそめし頃に… マンガ家入門


その言葉を聞いて、「焔」は思う。「そうか! そうですよ、確かに!! 気がつかなかった……オリンピックじゃないんですよ! 商売なんですよ! 一番を目指さなくても! 売れればいいんだよ!」。これからは凡庸にして二流の漫画家が無数に出現してくることを予言するようなセリフでもある。

ここでとても深い意味におけるパラダイムチェンジが語られているように思える。プロが素人をだまして、「売れればいい」という論理が初めて肯定的に語られているからだ。冒頭に記されていた漫画の「新たな局面」とはこのような八〇年代を迎えての社会の倫理の変化を意味しているし、それゆえに「漫画業界が甘くなってきている!」との観測が生じたと考えていいだろう。しかしこのような観測が漫画やアニメのフリークで、プロの読み手である「焔」の口から語られていることに強いリアリティを感じてしまう。これは八〇年代における出版業界の変貌をも告げているように思える。それはまた出版の世界だけに起きていたことではなく、社会のすべての領域に及んでいた現象ではなかっただろうか。八〇年代は日本が初めて経験することになった高度資本主義消費社会であり、バブルと未知の倫理の時代へと入りつつあったのだ。マンガ家を娘に持つ吉本隆明が八二年に「素人の時代」と題する対談を大西巨人と持ち、それを収録した同名の本を角川書店から刊行したのも八三年であった。
素人の時代

その端境期の兆候を『アオイホノオ』は敏感に察知し、体現していたといっていい。しかし「もし、そんな姿勢で大人気の漫画家になった日には……手塚治虫先生に何を言われるか心配です!」というセリフも書きこまれている。この言葉の中に、『まんが道』などにおける手塚の継承と同様の倫理がまだ保たれているとわかる。だが手塚は八九年に亡くなってしまう。『アオイホノオ』は現在七巻まで出されているが、その死までは描かれないにしても、手塚の死もまた漫画史の分岐点だったのではないだろうか。

次回へ続く。

◆過去の「ブルーコミックス論」の記事
「ブルーコミックス論」23 石川サブロウ『蒼き炎』(集英社、一九九〇年)
「ブルーコミックス論」22 志村貴子『青い花』(太田出版、二〇〇六年)
「ブルーコミックス論」21 羽生生純『青(オールー)』(エンターブレイン、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」20 入江亜季『群青学舎』(エンターブレイン、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」19 さそうあきら『さよなら群青』(新潮社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」18 篠原千絵『蒼の封印』(小学館、一九九二年)
「ブルーコミックス論」17 木内一雅作・八坂考訓画『青龍(ブルードラゴン)』(講談社、一九九六年)
「ブルーコミックス論」16 松本充代『青のマーブル』(青林堂、一九八八年)
「ブルーコミックス論」15 やまじえびね×姫野カオルコ『青痣』(扶桑社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」14 やまじえびね『インディゴ・ブルー』(祥伝社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」13 よしもとよしとも『青い車』(イースト・プレス、一九九六年)
「ブルーコミックス論」12 松本大洋『青い春』(小学館、一九九三年、九九年)
「ブルーコミックス論」11 鳩山郁子『青い菊』(青林工藝社、一九九八年)
「ブルーコミックス論」10 魚喃キリコ『blue』(マガジンハウス、一九九七年)
「ブルーコミックス論」9 山本直樹『BLUE』(弓立社、一九九二年)
「ブルーコミックス論」8 山岸涼子『青青の時代』(潮出版社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」7 白山宣之、山本おさむ『麦青』(双葉社、一九八六年))
「ブルーコミックス論」6 狩撫麻礼作、谷口ジロー画『青の戦士』(双葉社、一九八二年)
「ブルーコミックス論」5 安西水丸『青の時代』(青林堂、一九八〇年)
「ブルーコミックス論」4 佐藤まさあき『蒼き狼の咆哮』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」3 川本コオ『ブルーセックス』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」2 序 2
「ブルーコミックス論」1 序 1