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ブルーコミックス論25 柳沢きみお『青き炎』(小学館、一九八九年)



石川サブロオの『蒼き炎』島本和彦『アオイホノオ』と続けてきたからには、もうひとつのほぼ同名のタイトルを有する作品に言及しないわけにはいかないだろう。それは柳沢きみお『青き炎』である。

蒼き炎 アオイホノオ1

この作品はピカレスクコミックとよぶことができよう。主人公は海津龍一といい、地方の高校三年生で、来年は東京の私立大学を受験し、上京するつもりでいる。彼は口数も少なく、誰とも親しくしておらず、どの運動部にも入っていないが、毎日身体を鍛えるためにランニングを黙々とこなしていることから、「変わり者」扱いされ、それでいて女生徒には人気があった。だが友達は一人もおらず、男たちは彼を不気味な存在だと捉え、次のように噂していた。「ようするに冷たいんだな……他人にたいしてひどく。ま、氷のような人間ってのは、やつのようなのをいうのじゃないか。山ん中で砂漠でも、平気でひとりで生きていけるんじゃないかい、やつは」と。

しかし彼の家庭や生い立ちが特異なのかというと、そうではなく、それなりに裕福な家庭であり、両親も健在で仲のよさそうな妹もいる普通の生活を送っている。ただ父親だけは龍一が「なにを考えているのか、さっぱりわからん子で、どうしても、かわいく思えない」と愚痴をこぼしていたりする。

だが龍一には誰にも知られていない私生活があった。それはバーのホステス小夜子を愛人としていることで、その一方で彼は好意を寄せる二年生の絵美ともつき合い始めていた。彼女は県で最大の総合病院の一人娘で、将来は医者の婿養子をとり、跡を継ぐことになっていた。それを承知で龍一は絵美と関係を持ち、彼女の父親もそれを知ることになる。父親はどうしても娘の医者との結婚を望んでいるので、龍一に娘と別れるように迫るが、二人はそれを拒否する。

しかし龍一は秘かに父親を呼び出し、一千万円の手切れ金を条件に、絵美と別れることを提示したのである。それを知った絵美は睡眠薬自殺を図る。一千万円を手にした龍一は、家を出て一人で生きていくことを宣言し、小夜子とともに東京に向かうつもりでいる。そして希望通り慶応大学に合格し、二人で上京する。田舎には「もうウンザリだ !! 」、東京は「最高に最高さ !! 」

龍一は小夜子と同棲生活を送りながら、慶応ブランドを発揮できるテニスサークルに入会し、ディスコで黒服のアルバイトを始め、ヤクザと知り合いになる。そしてサークルのキャプテンの恋人、大手財閥の娘、貸しビル経営者の年増の未亡人たちと関係し、金と女と暴力の世界へと限りなく接近していく。またラグビー部にも入部し、大学ラグビー界の新星ともてはやされるようになるのだが、悪への傾斜はとめどなく、殺人までをも犯すに至る。大学はサラリーマンという奴隷養成機関であり、世の中の仕組みは「わかるやつと、わからないやつ、使うやつと、使われるやつ!」のふたつしかないのだ。

そのような龍一に対して、貸しビル経営者の未亡人は龍一がラグビー関係者から、闘志を内に秘め、常に冷静に戦う「アイスボーイ」と呼ばれていることに関し、当たっていると述べ、次のように続けている。

 「キミの場合、その燃える炎が人に熱いと感じさせないのよね。ううん、そもそも熱く燃えてないのかも……(中略)
 なんて言うのかな、こう冷たい炎なのよ! そう、赤く燃えているのじゃなくて、キミのは青い炎なのよ、決して熱くはない……(中略)
 そう、青き炎よ……キミは……」

その指摘に対して、龍一は肯定も否定もしないで、「青き炎……ですか !? 」と応じる。だがその場面は、龍一のこれまで描かれることのなかった我が意を得たりというような表情を含んだ一ページのクローズアップで処理され、柳沢はここにタイトルと同時に、この物語の核心を浮かび上がらせているのだろう。そして彼の「青き炎」によって、財産目当ての結婚を経て、彼女は殺されてしまうのだ。

龍一の身辺を探る刑事は彼が「汚れた英雄」ではないかと疑い始める。この「汚れた英雄」という言葉は続けて二度出てくることからして、龍一というダーティヒーローを主人公とする『青き炎』が、大藪春彦『汚れた英雄』に物語祖型の範を求めていると考えていい。だが大藪の『汚れた英雄』が紛うかたなき戦後の裏返しのビルドゥングスロマンであることに比べ、柳沢の『青き炎』はバブル時代の青年のひとつの欲望のかたちをあまりにも直截的に描いたドラマでしかないように思える。
汚れた英雄

この全6巻からなる『青き炎』の奥付を見ると、一九八九年から九一年にかけて刊行されているので、『ヤングサンデー』での連載はまさにバブル時代を背景としていたとわかる。もちろん資本主義の勃興と成長期には、同じような欲望を抱く青年たちを主人公とする多くの小説が書かれてきたが、それは故郷や家族といった出自を背景とする立身出世物語の色彩を帯びていて、これらもまたもうひとつのビルドゥングスロマンを形成していた。

しかし『青き炎』にあっては先述したように、そのような物語に必然的な故郷や家族は最初から捨象され、存在価値すらも希薄なものとして位置づけられている。つまりこの物語は帰るべき故郷も家族も切り捨てられ、成立形成されたものであって、その中を動き回る主人公の性格=「青い炎」もあえて考えれば、バブル時代が生み出した産物だと見なすこともできよう。そうした意味において、龍一はこれから登場してくるであろう若きバブル経済人たちの先駆的な肖像であったのかもしれない。またそのような時代の物語として、この『青き炎』を読むべきだろう。

なお三回にわたって同じようなタイトルのコミックを論じてきたが、どうしても一編の小説が思い出されてしまった。それはナボコフ『青白い炎』富士川義之訳、ちくま文庫)で、これは三編のコミックとまったく異なるメタフィクションであるが、現在のコミックの技術構成、表現水準からすれば、このコミック化も可能ではないかと思われてならない。どなたか挑戦する漫画家が出現しないだろうか。
青白い炎

次回へ続く。

◆過去の「ブルーコミックス論」の記事
「ブルーコミックス論」24 島本和彦『アオイホノオ』(小学館、二〇〇八年)
「ブルーコミックス論」23 石川サブロウ『蒼き炎』(集英社、一九九〇年)
「ブルーコミックス論」22 志村貴子『青い花』(太田出版、二〇〇六年)
「ブルーコミックス論」21 羽生生純『青(オールー)』(エンターブレイン、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」20 入江亜季『群青学舎』(エンターブレイン、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」19 さそうあきら『さよなら群青』(新潮社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」18 篠原千絵『蒼の封印』(小学館、一九九二年)
「ブルーコミックス論」17 木内一雅作・八坂考訓画『青龍(ブルードラゴン)』(講談社、一九九六年)
「ブルーコミックス論」16 松本充代『青のマーブル』(青林堂、一九八八年)
「ブルーコミックス論」15 やまじえびね×姫野カオルコ『青痣』(扶桑社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」14 やまじえびね『インディゴ・ブルー』(祥伝社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」13 よしもとよしとも『青い車』(イースト・プレス、一九九六年)
「ブルーコミックス論」12 松本大洋『青い春』(小学館、一九九三年、九九年)
「ブルーコミックス論」11 鳩山郁子『青い菊』(青林工藝社、一九九八年)
「ブルーコミックス論」10 魚喃キリコ『blue』(マガジンハウス、一九九七年)
「ブルーコミックス論」9 山本直樹『BLUE』(弓立社、一九九二年)
「ブルーコミックス論」8 山岸涼子『青青の時代』(潮出版社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」7 白山宣之、山本おさむ『麦青』(双葉社、一九八六年))
「ブルーコミックス論」6 狩撫麻礼作、谷口ジロー画『青の戦士』(双葉社、一九八二年)
「ブルーコミックス論」5 安西水丸『青の時代』(青林堂、一九八〇年)
「ブルーコミックス論」4 佐藤まさあき『蒼き狼の咆哮』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」3 川本コオ『ブルーセックス』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」2 序 2
「ブルーコミックス論」1 序 1