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ブルーコミックス論26 原作・高山 路爛、漫画・やまだ哲太『青ひげは行く』(集英社、一九九九年)

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この『青ひげは行く』は医者を主人公とする多くのドクターコミック群の中にあって、特筆すべき作品ではない。だがタイトルにある主人公の町医者の名称「青ひげ」にいくつかのイメージと記憶を喚起させられたので、それらを書いてみたい。思わず医者を主人公とするドクターコミックと書いてしまったが、それも病院を舞台とする医者、看護婦、患者も含んだメディカルコミックと総称すべきかもしれない。

町医者の設定とその物語の展開からして、この『青ひげは行く』山本周五郎『赤ひげ診療譚』を原作とする黒澤明監督の『赤ひげ』を意識し、描かれていることは明らかであろう。だが「赤ひげ」ならぬ「青ひげ」の命名は、主人公の姓が青田であることが作用しているにしても、別のところからとられ、それが登場人物の口から語られている。拝金主義の現代医療に抗って、患者第一の医療を実践する「よろず診療所」を営む青田草平は「青ひげ」と呼ばれ、その由来の問いに対して、次のように説明される。

赤ひげ診療譚 赤ひげ

 「ああ、フランスの怪奇小説の主人公だ。女を次々手ごめにして、血を吸うドラキュラさながらの化け物だよ。
 あの図体とヒゲ面、それに青田という名に因んで、ワシがつけたんだ。ようするに蔑称だよ」

この「青ひげ」が「フランスの怪奇小説の主人公」だという発言は後に考察することにして、まず誰もが「青ひげ」から連想するのは、子供の頃に読んだ、あるいは聞かされた「青ひげ」をめぐる童話であろう。それは様々な童話集に収録され、読み継がれてきた。

例えば、『ペロー童話集』新倉朗子訳、岩波文庫)にも「青ひげ」La Barbe-Bleueの一編が収録されている。あらためて紹介する必要はないかもしれないけれど、それでも最小限のプロットだけは記しておいたほうがいいだろう。

ペロー童話集 La Barbe-Bleue


何でも持っている金持ちの男がいた。だが彼は青ひげが生え、そのために醜く恐ろしげに見え、またそれだけでなく、これまで何度も結婚したにもかかわらず、妻たちの行方が知れないことも無気味だった。隣人に美しい二人の娘がいて、彼はどちらかのひとりと結婚することを望み、屋敷によんで手厚い接待をしたところ、妹娘がこの人はそれなりに教養ある紳士だと思い始め、結婚することになった。
一ヵ月後、青ひげは地方への出張を告げ、その間は友達でもよんで楽しく暮らしてほしいと言った。だがその際に彼はいくつもの鍵をわたし、どこを開けてもいいが、大廊下の奥にある小部屋にだけは入ってはいけないと固く禁じた。しかし若い妻は小部屋に入る誘惑を抑えられず、その扉をついに開けてしまった。彼女がそこで見たのは床一面の凝固した血の海と、壁際にくくりつけられた女たちの身体だった。それらは青ひげが結婚した女たちで、次々と喉を切られてしまっていた。若い妻は恐ろしさのあまり、鍵を落としてしまった。するといくら鍵をふいても血がとれないのだ。
旅から戻った青ひげは妻の様子から何が起きたかを察し、小部屋の鍵を要求した。そして鍵の血を見て、今すぐ死んでもらうと言った。彼女は死ぬ前に神様にお祈りする時間を乞い、ひとりになると姉を呼び、塔の上から今日会いに来るはずの兄たちの姿が見えたら、急ぐように合図してと頼んだ。そうしているうちに、青ひげは大きな剣を片手に、妻の首を切り落とそうとした。その時、剣を手にした二人の騎士が入ってきて、青ひげを追いつめ、殺してしまった。青ひげは後継ぎもなかったので、妻が全財産を手に入れ、姉の結婚と兄たちの隊長の地位取得のための費用に使い、残りは自分のものにし、教養ある人と再婚し、悪い思い出を忘れることができた。


同じくこの物語を『初版グリム童話集』(吉原高志・吉原素子訳、白水社)に見てみると、こちらは「青髭Blaubartで、姉はいなくて兄が三人、屋敷ではなくて城である他はペロー「青ひげ」とほとんど同様である。ペローやグリムにほぼ同様の物語が収録されていることからわかるように、これはヨーロッパに広く伝わる民間伝承の昔話によるものである。

初版グリム童話集 Blaubar

それゆえに『青ひげは行く』の「青ひげ」の由来も、ペローやグリムの童話に出てくるとしたほうが自然であるのに、どうして「フランスの怪奇小説の主人公」となっているのだろうか。これは原作者の間違いなのだろうか。

いや、おそらくそうではないと思われる。原作者はあえて童話の登場人物ではなく、「フランスの怪奇小説の主人公」を召喚しているのであって、「怪奇小説」とはユイスマンス『彼方』田辺貞之助訳、桃源社のち創元推理文庫)、「主人公」とはジル・ド・レをさしているのではないだろうか。ジル・ド・レは十五世紀の西フランスの領主であり、英仏百年戦争において、ジャンヌ・ダルクの輝かしき戦友として武勲を上げたが、ジャンヌの処刑後、自らの城に立てこもり、莫大な富を蕩尽し、錬金術と黒魔術にふけり、子供たちを誘拐殺戮して倒錯的行為に走ったことから、彼もまた「青髭」として知られているのだ。
彼方

ユイスマンス『彼方』は主人公の作家デュルタルがこのジル・ド・レ伝を「物語の中の物語」として書き進め、それとパラレルにデュルタルのサタニスム追求が描かれていき、フランスにおいても、ミスティックこの上ない「怪奇小説」とよぶことに躊躇しない。それを象徴する人物として、ジル・ド・レは『彼方』の物語の中に顕現している。

ジョルジュ・バタイユもまた『ジル・ド・レ論』伊東守男訳、二見書房)を著し、彼を「聖なる怪物(モンスター)とよび、その「怪物が実は子供のごとき存在であった」ことを論じている。ユイスマンスバタイユにそって、ジル・ド・レをたどっていくと深みにはまってしまうので、それは慎み、ここでそのバタイユの小説『空の青み』((伊東守男訳、二見書房のち河出文庫『青空』として天沢退二郎訳、晶文社)があることだけを付け加え、話をコミックへと戻したい。

ジル・ド・レ論 空の青み 青空

安彦良和『ジャンヌ』NHK出版)はジル・ド・レの戦友であるジャンヌ・ダルク、彼女と運命の糸で結ばれたエミールを出現させているのだが、そこにはジル・ド・レも登場し、その城にこもり、倒錯した肉欲にふけり、サタニスムに捉われ、動き回る姿を生々しく描いている。特筆すべきはこの菊判の『ジャンヌ』全三巻の全頁がカラーで印刷され、まさに安彦が想像したと思われる「ヨーロッパ中世の色彩」に包まれ、異色のジャンヌ・ダルクとジル・ド・レの物語を形成するに至っている。
ジャンヌ

安彦はこの原作として、大谷暢順の『聖ジャンヌ・ダルク』河出書房新社、中公文庫)を挙げている。だがジル・ド・レの物語はそこに見えないので、安彦の紡ぎ出したものと考えたい。さらにこれは“Jeanne”(Èditions Tonkam)という仏訳版も刊行されているし、フランスでも読まれたと思われる。どのような反響を及ぼしたのかは確かめていないが、「クール・ジャパン」論とは一線を画する、とても興味深い出版の試みと見なせるだろう。
ジャンヌ

『青ひげは行く』のようなまったく異なるコミックから、『ジャンヌ』といったフランス中世絵巻のような物語に至ってしまったが、これも前者を読んだからであり、そのような誘い水としての機能を、『青ひげは行く』は果たしてくれたことになる。

すこしばかり異なる「ブルーコミックス論」であることは承知しているけれども、これも一興かと考えたい。またジョージ・スタイナーの、バルトークのオペラに基づく『青ひげの城にて』(桂田重利訳、みすず書房)を参照したい誘惑にもかられたが、これは他日を期したい。

青ひげの城にて

次回へ続く。

◆過去の「ブルーコミックス論」の記事
「ブルーコミックス論」25 柳沢きみお『青き炎』(小学館、一九八九年)
「ブルーコミックス論」24 島本和彦『アオイホノオ』(小学館、二〇〇八年)
「ブルーコミックス論」23 石川サブロウ『蒼き炎』(集英社、一九九〇年)
「ブルーコミックス論」22 志村貴子『青い花』(太田出版、二〇〇六年)
「ブルーコミックス論」21 羽生生純『青(オールー)』(エンターブレイン、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」20 入江亜季『群青学舎』(エンターブレイン、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」19 さそうあきら『さよなら群青』(新潮社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」18 篠原千絵『蒼の封印』(小学館、一九九二年)
「ブルーコミックス論」17 木内一雅作・八坂考訓画『青龍(ブルードラゴン)』(講談社、一九九六年)
「ブルーコミックス論」16 松本充代『青のマーブル』(青林堂、一九八八年)
「ブルーコミックス論」15 やまじえびね×姫野カオルコ『青痣』(扶桑社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」14 やまじえびね『インディゴ・ブルー』(祥伝社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」13 よしもとよしとも『青い車』(イースト・プレス、一九九六年)
「ブルーコミックス論」12 松本大洋『青い春』(小学館、一九九三年、九九年)
「ブルーコミックス論」11 鳩山郁子『青い菊』(青林工藝社、一九九八年)
「ブルーコミックス論」10 魚喃キリコ『blue』(マガジンハウス、一九九七年)
「ブルーコミックス論」9 山本直樹『BLUE』(弓立社、一九九二年)
「ブルーコミックス論」8 山岸涼子『青青の時代』(潮出版社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」7 白山宣之、山本おさむ『麦青』(双葉社、一九八六年))
「ブルーコミックス論」6 狩撫麻礼作、谷口ジロー画『青の戦士』(双葉社、一九八二年)
「ブルーコミックス論」5 安西水丸『青の時代』(青林堂、一九八〇年)
「ブルーコミックス論」4 佐藤まさあき『蒼き狼の咆哮』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」3 川本コオ『ブルーセックス』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」2 序 2
「ブルーコミックス論」1 序 1