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ブルーコミックス論27 やまむらはじめ『蒼のサンクトゥス』(集英社、二〇〇四年)

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とりわけコミックやアニメの分野において、核戦争などに象徴されるカタストロフィが起きたその後の世界の物語が無数に紡ぎ出されてきた。例えば、大友克洋『AKIRA』は第三次世界大戦、宮崎駿『風の谷のナウシカ』原哲夫『北斗の拳』は核戦争といった著名な作品を、ただちに挙げることができるだろう。そしてまた原発事故を含んだ東日本大震災後を経験することによって、新たなその後の物語が出現してくるであろう。

AKIRA 風の谷のナウシカ 北斗の拳

その決定的な出来事である何かが起きた後の世界の物語のひとつとして、やまむらはじめ『蒼のサンクトゥス』も位置づけられる。この作品における何かの出来事とは、新世紀初頭に起きた「大光臨(メガバルシア)」とよばれるものだった。

 “それ”はやってきた―外の宇宙から。
 “それ”はこの星の3ヵ所に降り立ち―その地を、おそらくは自らの居住に適すると思われる環境へと変換した。
 〈A−NEST(エイリアンズ・ネスト)〉と呼称された直径200kmを超えるその空間は、かつての大地であって大地ではなく、海であって海ではないものとなった。
 極めて異質な内部環境でもって、人の手を寄せつけないその空間は、その深奥にあると推測される存在と、人類とを隔ててそこにあり続けた。

〈A−NEST〉は半球状の空間で、いくつかの層からなり、一番外側が従来の世界を隔てる〈外障壁(アウトバリア)〉、その次が中間空間である〈干渉領域〉、その内側が〈変換領域〉で、高濃度の微粒子雲が地球の環境を変換し、〈中心域(コアフィールド)〉を形成しているとされる。だがその中に何があるのかを見た者はいない。

〈A−NEST〉を生じさせた「大光臨」は太平洋側の沿岸部のことごとくに被害をもたらし、多くの街や人々が津波にさらわれた。だがそれは十数年前のことで、この物語の登場人物たちが暮らす地区は、旧世界の面影が唯一残された場所だった。

世界各国は何が起きるのかわからない謎の〈A−NEST〉を恐れ、遠巻きに静観を決めこんでいたが、そこに偶然ながら豊富なレアメタルが発見されたことで、状況が一変した。その中でもメタトロンと命名された物質は、常温超伝導を可能とするもので、次世代エネルギー革命の鍵を握る稀少鉱物資源だった。それを得るために〈A−NEST〉に積極的にかかわっていくことになり、やがてそこでの資源採集を専門とする「採掘屋」と呼ばれる民間の小グループが多く現れ、この地区にひとつのコミュニティを形成するようになった。『蒼のサンクトゥス』の物語は〈A−NEST〉をめぐる主人公の治基や やしほを始めとする、これらの採掘屋たちを中心にして展開されていく。

採掘屋たちは〈A−NEST〉の中間空間である〈干渉領域〉でメタトロンや他のレアメタルを採集している。しかしその水鳥と称される特殊艇による採掘は彼らだけでは不可能で、ナビゲーターとしての「レリクト」を必要としていた。「レリクト」とは、「大光臨」によって生じた〈A−NEST〉の中に巻きこまれたが、それらの島々から脱出してきた住民とその子孫をさし、その影響で〈A−NEST〉の環境に適応する体質と能力を有し、そこに入る際の「航方視」の役割を果たしている。彼女たちはその日常生活において、新興宗教「蒼成友愛協会」を結成し、「星典」の言葉や「星の客人」のお告げを伝え、〈詠唱姫(フルヴォイス)〉や〈復唱姫(サブヴォイス)〉などの階級に分かれている。
治基や やしほの「航方視」たる日奈は〈詠唱姫〉にして、〈A−NEST〉の最も深層へと近づいた「レリクト」とされる。また〈A−NEST〉と採掘屋たちをパトロールする「RAPTOL」(特別管区海上保安部特殊船団)の存在もある。

これらが『蒼のサンクトゥス』の前提となる物語状況と背景、主要な登場人物たちであるが、とても好奇心をそそられる物語設定とキャラクターではないだろうか。それらの中でも謎に充ちた〈A−NEST〉の構造は、あのジュール・ヴェルヌ『地底旅行』(朝比奈弘治訳、岩波文庫)や『神秘の島』清水正和訳、福音館書店)を想起してしまう。特に後者の原題はVoyage au Centre de la Terre すなわち『地球の中心への旅』であり、『蒼のサンクトゥス』もまた『〈A−NEST〉の中心への旅』とよぶことも可能だからだ。それからもちろんタルコフスキーの映画『惑星ソラリス』『ストーカー』の影響も挙げられるだろう。

地底旅行 神秘の島 Voyage au Centre de la Terre 惑星ソラリス ストーカー

治基たちの採掘屋ハルナカンパニーを瑠子という少女が訪ねてくる。彼女の父はハルナカンパニーの元研究者で、〈A−NEST〉に入るという考えを思いつき、船の設計も担当していたが、破格の契約金で政府の研究機関に引き抜かれていた。その彼が新型の探査艇に乗り、〈A−NEST〉に入り、特殊なカプセルで〈干渉領域〉から〈変換領域〉の奥深くへ潜り、現地調査を行なっている最中に、気体や液体の密度が異常に高くなり、いきなり流動化したり固体化したりする「嵐」に遭い、行方不明になったというのだ。

治基たちは瑠子を同乗させ、〈A−NEST〉の中へと入っていく。厚くて黒い大気の壁の向こうにある、まったく異なる世界へと。彼らはそこに何を見出したのか、また何が起きようとしていたのだろうか。

これらはまだ『蒼のサンクトゥス』の第1巻のイントロダクションにふれただけで、物語はこの後まだ第5巻まで続いていくのだ。「サンクトゥス」とはラテン語のsanctusで、形容詞では「神聖な、聖別された」、名詞では「聖人、聖者」という意味であり、〈A−NEST〉の存在そのもの、及びそれに象徴される聖なる未知の世界へと向かっていく治基たちのメタファーであるように思われる。ここに「聖なるもの」のメタファーとしての重層的な「蒼」が表出しているのではないだろうか。


次回へ続く。

◆過去の「ブルーコミックス論」の記事
「ブルーコミックス論」26 原作・高山 路爛、漫画・やまだ哲太『青ひげは行く』(集英社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」25 柳沢きみお『青き炎』(小学館、一九八九年)
「ブルーコミックス論」24 島本和彦『アオイホノオ』(小学館、二〇〇八年)
「ブルーコミックス論」23 石川サブロウ『蒼き炎』(集英社、一九九〇年)
「ブルーコミックス論」22 志村貴子『青い花』(太田出版、二〇〇六年)
「ブルーコミックス論」21 羽生生純『青(オールー)』(エンターブレイン、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」20 入江亜季『群青学舎』(エンターブレイン、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」19 さそうあきら『さよなら群青』(新潮社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」18 篠原千絵『蒼の封印』(小学館、一九九二年)
「ブルーコミックス論」17 木内一雅作・八坂考訓画『青龍(ブルードラゴン)』(講談社、一九九六年)
「ブルーコミックス論」16 松本充代『青のマーブル』(青林堂、一九八八年)
「ブルーコミックス論」15 やまじえびね×姫野カオルコ『青痣』(扶桑社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」14 やまじえびね『インディゴ・ブルー』(祥伝社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」13 よしもとよしとも『青い車』(イースト・プレス、一九九六年)
「ブルーコミックス論」12 松本大洋『青い春』(小学館、一九九三年、九九年)
「ブルーコミックス論」11 鳩山郁子『青い菊』(青林工藝社、一九九八年)
「ブルーコミックス論」10 魚喃キリコ『blue』(マガジンハウス、一九九七年)
「ブルーコミックス論」9 山本直樹『BLUE』(弓立社、一九九二年)
「ブルーコミックス論」8 山岸涼子『青青の時代』(潮出版社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」7 白山宣之、山本おさむ『麦青』(双葉社、一九八六年))
「ブルーコミックス論」6 狩撫麻礼作、谷口ジロー画『青の戦士』(双葉社、一九八二年)
「ブルーコミックス論」5 安西水丸『青の時代』(青林堂、一九八〇年)
「ブルーコミックス論」4 佐藤まさあき『蒼き狼の咆哮』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」3 川本コオ『ブルーセックス』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」2 序 2
「ブルーコミックス論」1 序 1