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古本夜話185 和田伝『沃土』

二回続けて農民文芸会の中心メンバーである和田伝の『農民文学十六講』の「仏蘭西に於ける農民文芸」、同じく和田編の『名作選集日本田園文学』を取り上げてきたが、和田のことについて、ほとんどふれてこなかったので、ここで一編を書いておこう。なぜならば、和田は犬田卯と並んで農民文芸会から始め、戦前戦後を通じ、農民小説家として歩んできたと見なせるからだ。まずはそのプロフィルをたどってみる。

和田は明治三十三年神奈川県愛甲郡の大地主の家に生まれ、大正九年早大文学部に進み、農民文学者である吉江喬松が創設した仏文科に進み、十三年に農民文芸会に加わり、昭和二年にその機関紙『農民』にも参加し、農民と農村を描くことを文学のテーマと決める。そして昭和七年から実家に戻り、帰農しながら創作に励み、いずれも砂子屋書房から創作集『平野の人々』(昭和十一年)、長編小説『沃土』(同十二年)を刊行し、第一回新潮社文芸賞を受賞。同十三年農相有馬頼寧の提唱による農民文学懇話会を結成し、幹事長となる。それから彼の戦後の軌跡はすでにふれた『土とふるさとの文学全集』にもつながっていくのだから、それもたどっておこう。

土とふるさとの文学全集  

和田は戦後も農民、農村小説などを書き続け、昭和二十九年に日本農民文学会が結成され、その初代会長に就任と各種文学辞典には記されているが、その事務局長を務めた鍵山博史の「創立総会」(『土とふるさとの文学全集』15、「月報」所収)によれば、初代会長は伊藤永之介で、和田は理事とある。翌年に『農民文学』が家の光協会を発売元として創刊され、事務所も家の光協会旧館に置かれている。このような関係から家の光協会を版元として、昭和五十年代に『土とふるさとの文学全集』『和田伝全集』が刊行されたと思われる。

その和田の戦前の代表作『沃土』を入手している。昭和十三年砂子屋書房刊行の「改訂新版」で、奥付に初版五千部とあり、本連載141で言及した島木健作の『生活の探求』と並んで話題をよび、島木ほどでないにしても、かなり売れていたとわかる。

生活の探求

『沃土』は平塚近郊の農村を舞台とし、日中戦争がはじまった時代を背景にしている。五反の田を持つ貧しい農民の兵太は、軍隊時代の朝鮮でもらった病気のために三十七歳になっても子供に恵まれず、三十三歳になる妻の銀はそのために流産を三度繰り返していた。兵太の両親は子供がいなければ、家と田の跡嗣はどうなるのか、老後の面倒は誰が見てくれるのかと言い暮らしていた。農村の論理において、子供とは跡嗣の意味ばかりでなく、次のような価値観を有していた。

 貧乏人には子供が唯一の財産で、どんなに苦しんでもともかく育てあげれば子供は金箱も同じだ。それは生きながらの抵当物件ともなりそれで金を借りられるのだ。餓鬼のない奴には金は貸せぬとは金貸や地主や商人などがよく言ふ言葉だ。子どもは箸箱と昔から言はれてきた言葉である。

それゆえに銀は医者に療治してもらい、何としても子供をつくろうとし、兵太はその費用を稼ぐために農閑期に山工事の土方仕事に従事し、山崩れにあって死んでしまう。

一方で兵太の弟の新次郎は本家に当たる二町六反を有する伯父のところに婿養子に入り、兄と異なり恵まれているように見えた。だが彼は行き遅れの義妹の貞代への土地分けを惜しみ、魔が差したかのように彼女を犯し、妊娠させてしまう。それは家族にも露見し、彼は貞代の堕胎を試み、彼女を死に至らしめる。またそれらは村中に知れ渡った事実となるが、その背景に土地分けをめぐる「田餓鬼」の問題があることは明白だったので、外部にはもれることなく、村の内部の論理で処理され、村の日常の中に葬り去られていく。

銀は兵太亡き後、甥の清平と結ばれ、その子供を身籠り、跡嗣とすることを暗示し、『沃土』の物語は閉じられるのだが、清平は次のようにいう。

 けれども農家の田地なんか、みんなさういふやうにして、それほどの思ひをして獲られて来たんだな。みんな血で塗られて譲られてきたんだ。そいつを護って、また譲るのにも血でなびるんだ。一軒のうちの財産が護られるためにはどんな犠牲だつて払はれていいんだからね。……(中略)それが二町五六反の財産故だ。三人の人間がそのために死んだも同じぢやねえか?……(後略)

このように銀に語る夫の姉の次男である清平は、かつて「表紙の赤い本」をいつも懐に入れ、平塚の警察署に留置されたことがあり、仕事も養子先も見つからず、満州にいって巡査試験を受けようとしていた。また平塚の町で、彼は銀を満州も出てくる映画『新しい土』(ママ)に誘うのだ。『日本映画作品全集』(キネマ旬報社)の『新しき土』の紹介によれば、これは昭和十一年の日本初の国際合作映画で、伊丹万作とドイツのアーノルド・ファンク共同脚本、監督によって製作された一本である。主演は小杉勇と原節子で、長いヨーロッパ留学から帰った小杉が旧家の養子として原と結婚することになっていたが、ドイツの女流記者にその古い因習を非難され、ヨーロッパと日本のふたつの文化の矛盾に苦しみ、満州に原とともに生きる大地を発見するというストーリーだとされる。
新しき土

この『沃土』で展開される農村の土地と跡嗣の問題をテーマにすえた物語の中にあって、それらはこの映画のことも含め、清平によってかろうじて相対化され、バランスシートが保たれている印象を与える。そのようなコントラストは和田伝という作家の当時のスタンスを物語っているのだろう。

それからこれは本連載で後述するが、『沃土』は紛れもなく、エミール・ゾラの『大地』の日本版であることを指摘しておこう。『大地』のと『沃土』のタイトルの共通性、両者における土地相続と家族の問題の通底は明らかだし、『沃土』における会話の部分がカギカッコではなく、フランス小説的にダーシュで処理されていることなども、そのことを示していよう。
大地

そしてこれは私自身が『大地』の訳者として断言するのだが、農民文芸会に始まる日本の農民文芸の展開にあって、和田のみならず、他のメンバーにとっても、ゾラの『大地』がその中心、もしくは範となっていたことは間違いないと思われる。

その後、映画『新しき土』を入手し、観る機会を得た。様々な感慨を覚え、言及したい誘惑にかられるが、これは後にゆずることにする。

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