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ブルーコミックス論29 高田裕三『碧奇魂 ブルーシード』(新装版講談社、二〇一〇年)

碧奇魂 ブルーシード(新装講談社版) 碧奇魂 ブルーシード1 碧奇魂 ブルーシード2(竹書房版)



 『古事記』における出雲神話は次のように伝えている。
古事記

高天原を追放された須左之男命は出雲国に降り立った。するとそこに老夫婦と娘の奇稲田姫がおり、泣いていた。須左之男命がどうして泣いているのかと問うと、わしには八人の娘がいたが、身体はひとつで頭と尾が八つある、目がホオズキのように赤い巨大な八俣の大蛇が毎年娘を食べにきて、ついに一人になってしまい、今またその時が近づいているからだとの返事が戻ってきた。そこで須左之男命は娘をもらいたいと申し出て、八俣の大蛇に酒を飲ませ、酔わせて、その十拳剣で蛇を切り、退治してしまった。蛇の尾の部分から出てきた草薙の太刀は天照大御神に献上された。その後出雲国に宮殿を作り、「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」という歌を詠んだ。

『古事記』のこの部分は国家や家族をめぐる複合的な神話の原型として、様々に論じられてきたし、物語の規範を形成してもいたし、これから取り上げる高田裕三『碧奇魂 ブルーシード』も例外ではない。だがこの作品の特色はスサノオでもアマテラスでもなく、クシナダ姫をヒロインとしていることにある。高田によってヒロイン=「碧奇魂(あおくしたま)」として召喚されているのは藤宮紅葉で、今年から高校一年生になる十五歳の少女なのだ。彼女は島根県奥出雲の巫女の家系に生まれ、何を祀っているのかわからないが、毎朝祖母とともに山に登り、洞窟の泉で身を清める日常生活を送っている。祖母は彼女の小さい頃から、次のように言い聞かせていた。

 「よいか紅葉……お前の生命はお前のモノではない。我ら日本民族全てのモノじゃ。多くのくだらぬモノにまどわされるな。時が来たならば、その生命全ての人々のために捨てねばならんのじゃからな」

その紅葉は登校途中に、猫のような目をした青年に待ち伏せされ、十五年前にクシナダ家に生まれた双子のかたわれで、おまえの姉が昨日死んだから、次はおまえの番だといわれ、殺されそうになる。その青年の手の甲には青い勾玉が埋めこまれていた。しかしそこに髭を生やした中年の男が乗った車が通りかかり、青年は逃げ去った。奇しくも中年の男は彼女の家を訪ねてきたのだ。

紅葉の祖母と会った中年男は荒神たちによって、紅葉の姉の楓が殺され、紅葉もすでに狙われていると報告する。実際にその頃、学校で紅葉は黒い蛇のようなものに襲われ、地下に引きずりこまれ、山道の地上へと放り出された。「何なの !? 」と問う紅葉に対して、蛇はいう。「それはお前が、“奇稲田”の血族、その血の中に特異な力を秘めているからだ」と。だがそこに再び猫目の青年が現れ、蛇から紅葉を奪い返す。蛇は青年を「草薙」と呼ぶ。しかし草薙は紅葉を殺すことができない。それは彼の紅葉殺しの意志とは裏腹に、「“奇稲田姫”を捜し出し護れ」という命令が彼の身体に課せられているからだ。

そして草薙は説明する。女系の「奇稲田」家=藤宮家一族は神話の時代から、動物に寄生し、「化け物・妖怪・鬼・荒神」と様々に呼ばれる生物に対する「イケニエ」「人柱」として、彼らを深く長い眠りに陥らせる能力があったが、双子の誕生は逆に覚醒をもたらすことになった。それゆえに彼女たちは恐れられながらも、護るべき存在となり、草薙は寄生され、その役目を命じられていたのだ。だがそれを断ち切るために紅葉を殺そうとしたのである。

一方で姉の楓は妖怪退治を専門とする総理府国土管理室に属していた。しかし開発された特殊電磁波吸収セラミックスは、彼女たちの「人柱」の能力を遮断できるために、「奇稲田」の力を恐れる必要がなくなり、根絶してしまえば、「化け物・妖怪・鬼・荒神」の天下となるのだ。それを象徴するかのように、蛇は紅葉を人柱のように串刺しにして、戦いの幕を開く。かくして彼らと紅葉と草薙の戦いは東京へと移って、本格的に展開されていくことになる。

このように『碧奇魂 ブルーシード』の物語は、最初に記した『古事記』における出雲神話を祖型として構成されている。『古事記』にあってはスサノオを中心とする物語であったが、この作品では脇役だったクシナダ姫がヒロインとなり、大蛇の体内から出てきた「太刀」に由来する名前の草薙がヒーローとなって変身し、彼女とともに戦いに加わり、荒神たちは「ドコから出て、どこへ行くのか !? 」を問い、それがスサノオ奇稲田姫の戦いに他ならないことを明らかにしていく。

こうした古代神話に則った物語の展開については、この作品以外にも多くのものを挙げることができるだろう。だがそのことに関して、これ以上言及することは止そう。ここで問題とすべきはタイトルにこめられた「碧」であり、「ブルーシード」であるからだ。先述したように「碧奇魂」とは胸に碧き勾玉を人柱の象徴として埋めこんだ巫女の紅葉=クシナダ姫を意味し、「ブルーシード」とは「貴種」を表象し、この『碧奇魂 ブルーシード』の物語そのものがこれも古代神話に祖型を見て、中世から近世、さらに近代文学などへと継承されていった「貴種流離譚」を暗示させているように思われる。

そしてここに古代神話からそれぞれの時代の文学を経て、コミックやアニメへとリンクするに至った物語のひとつの典型的パターンを見ることができるのかもしれない。

次回へ続く。

◆過去の「ブルーコミックス論」の記事
「ブルーコミックス論」28 秋里和国『青のメソポタミア』(白泉社、一九八八年)
「ブルーコミックス論」27 やまむらはじめ『蒼のサンクトゥス』(集英社、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」26 原作・高山 路爛、漫画・やまだ哲太『青ひげは行く』(集英社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」25 柳沢きみお『青き炎』(小学館、一九八九年)
「ブルーコミックス論」24 島本和彦『アオイホノオ』(小学館、二〇〇八年)
「ブルーコミックス論」23 石川サブロウ『蒼き炎』(集英社、一九九〇年)
「ブルーコミックス論」22 志村貴子『青い花』(太田出版、二〇〇六年)
「ブルーコミックス論」21 羽生生純『青(オールー)』(エンターブレイン、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」20 入江亜季『群青学舎』(エンターブレイン、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」19 さそうあきら『さよなら群青』(新潮社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」18 篠原千絵『蒼の封印』(小学館、一九九二年)
「ブルーコミックス論」17 木内一雅作・八坂考訓画『青龍(ブルードラゴン)』(講談社、一九九六年)
「ブルーコミックス論」16 松本充代『青のマーブル』(青林堂、一九八八年)
「ブルーコミックス論」15 やまじえびね×姫野カオルコ『青痣』(扶桑社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」14 やまじえびね『インディゴ・ブルー』(祥伝社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」13 よしもとよしとも『青い車』(イースト・プレス、一九九六年)
「ブルーコミックス論」12 松本大洋『青い春』(小学館、一九九三年、九九年)
「ブルーコミックス論」11 鳩山郁子『青い菊』(青林工藝社、一九九八年)
「ブルーコミックス論」10 魚喃キリコ『blue』(マガジンハウス、一九九七年)
「ブルーコミックス論」9 山本直樹『BLUE』(弓立社、一九九二年)
「ブルーコミックス論」8 山岸涼子『青青の時代』(潮出版社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」7 白山宣之、山本おさむ『麦青』(双葉社、一九八六年))
「ブルーコミックス論」6 狩撫麻礼作、谷口ジロー画『青の戦士』(双葉社、一九八二年)
「ブルーコミックス論」5 安西水丸『青の時代』(青林堂、一九八〇年)
「ブルーコミックス論」4 佐藤まさあき『蒼き狼の咆哮』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」3 川本コオ『ブルーセックス』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」2 序 2
「ブルーコミックス論」1 序 1