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古本夜話189 企画編集者としての吉江喬松と中央公論社『世界文芸大辞典』

私は自らの浅学非才と無知をよく承知しているので、それを補うことと編集の仕事の必要もあって、かなり多くの辞典や事典類を所持し、毎日のようにそれらのいくつかを引いている。

それらの辞典や事典の中で装丁、内容、図版、用紙など、どれをとってもすばらしい出来だと考え、愛用してきたのは『世界文芸大辞典』で、これは日本における戦前の外国文学の知識と情報の集大成のように思われる。それに本の佇まいが独特で、紛れもなくアウラを感じさせてくれる。だがそれは復刻では失われてしまっている。

世界文芸大辞典 (日本図書センター復刻版)

この辞典は昭和十年から十一年にかけて、中央公論社から全七巻で刊行されたもので、その編輯責任者は二回にわたって言及してきた、他ならぬ吉江喬松なのである。

この辞典に関しては本連載70でも取り上げているし、十年ほど前に「『世界文芸大辞典』の価値」(「古本屋散策4」、『日本古書通信』〇二年七月号)としてふれたことがあった。これは島尾敏雄の『「死の棘」日記』(新潮文庫)の中で、島尾が生活費に窮し、この辞典を古本屋に売りにいき、五千円を受け取ったという昭和二十七年十二月の記述を枕にしていて、その内容と出版事情にふれたものである。その際にこの辞典が名著にふさわしいと見なせるにもかかわらず、『中央公論社の八十年』などの社史などにも記述がなく、またまとまった言及も見当たらないと書いておいた。

「死の棘」日記

すると谷沢永一より、次のような便りが届いた。文脈の関係から省略ができず、私の名前が入ってしまうことはご容赦願いたい。

 (前略)『世界文芸大辞典』(中略)の秀れた価値を、小田光雄氏が強調されたのを、我が事のように嬉しく思う。原則として、辞典は戦前の製作に限る。戦後は宙に浮いた時局便乗であるのに対し、戦前の仕事は実証的で、細部に詳しく信用できるからである。
 (中略)時間を遡ると、この大辞典の原型がすでに出来ていた。すなわち早稲田大学文学社(代表者島村抱月)著作『文芸百科全書』(明治42年・隆文館)である。(中略)
 全体の行き届いた構成は何から何までのちの大辞典そっくりである。大辞典の特色として指摘される各国文学史は、すでに記述が細分されて引き出し易い。間然するところなき見事な出来栄えであった。

なお谷沢の全文は「早稲田派の天晴れ」というタイトルで、『日本古書通信』〇二年八月号に掲載されている。谷沢の教示によって、『世界文芸大辞典』の原型が『文芸百科全書』にあることを教えられたのだが、明治三十八年に吉江は早稲田大学英文科の研究生として、帰朝した島村の指導を受けているので、その事実から『文芸百科全書』の企画にも関係していた可能性が高い。実際にこの編集責任者は楠山正雄であり、彼については本連載で後述する。なおこの発売元が草村北星の隆文館であったことは、それこそ「早稲田派」の出版人脈によっているのだろう。

この谷沢の便りの他にも、近代文学研究者の曽根博義からは確か『国文学』掲載の『世界文芸大辞典』の紹介の一文のコピー、浜松の時代舎からはその内容目録を恵贈され、私以外にもこの辞典に関心を寄せ、現在でも使用している人たちがいることも知らされたのである。

またその月報に当たる「世界文芸」も見事で、月報のコンセプトを超えたリトルマガジンに近く、その第一号には春山行夫が「文芸辞典談叢」を寄せ、欧米のそれらを渉猟した後、日本における「この種の最初のそして完璧な内容によつて刊行せられる」ことを祝いでいる。そういえば、本連載70の江戸川乱歩の「シモンズ、カーペンター、ジード」の掲載も「世界文芸」第六号だったのである。

この「月報」に比肩するように、内容見本も辞典と同じ四六倍判、折り込み部分を含んで十ページ余に及んでいる。社長の島中雄作の「大出版の完成へ」、吉江の「死力を尽して―編輯責任者としての言葉」に続いて、その特色がゴチック文字で、次のように並べ立てられている。中央公論社創立十周年記念出版界不世出の驚異的偉観、百万部普及をモットー、文芸文化大殿堂のルネッサンス的構築、総合的有機的画期的な編集、大学文学部の徹底的解放、何ら誇長なく世界唯一無二、総費用五十万円、関係延人員十万人といった大仰な言葉の洪水にも似た羅列で、これらは出版物というよりも映画の宣伝に近いように映る。それゆえにケルト模様の端正で瀟洒な装丁と造本のもたらすイメージを裏切っている。

ここで明らかに見てとれるのは、中央公論社におけるこの辞典の編集と営業の分裂である。それはまた明らかにクオリティの高い専門的な外国文学辞典として受けとめられたはずにもかかわらず、特価五円で百万部普及をモットーとの宣伝文句は、現実の出版業界の状況と遊離していたと考えざるをえない。それに中央公論社の辞典や書籍出版経験の浅さも相乗し、『世界文芸大辞典』は内容のすばらしさとは逆に、いや、それが当然というべきなのか、悪夢のような赤字出版に終わり、それゆえにこの辞典を封印してしまったのではないだろうか。おそらく新潮社の円本『世界文学全集』の辞典版の成功を夢見たにもかかわらず、それは破れてしまったのだ。

しかしそれらの出版事情はともかく、ここであらためて確認しておきたいのは吉江の編集者としての軌跡であり、それは外国文学者として特筆すべきだと思われる。吉江は国木田独歩の近事画報社(後の独歩社)に入り、雑誌『新古文林』の編集に携わっている。彼の独歩社に関する感慨を拙著『古本探究2』で引用しておいた。そして言及してきたように、早稲田大学教授に就任するかたわら、フランス留学から帰国後に農民文芸会を設立したことによって、新潮社の『フィリップ全集』、二冊しか出なかったにしても、春秋社の『ゾラ全集』の企画者と見なしてよく、これに『世界文芸大辞典』も続いている。
このような編集、出版歴に加えて、『吉江喬松全集』第六巻所収の「年譜」を追っていくと、彼の六十有余年の人生が大学教授というよりも、編集者の色彩に包まれているように映ってくる。それら早稲田文学社の「文学普及会講話叢書」の執筆、在仏中における坪内逍遥『役の行者』などの仏訳のパリでの出版、早大文学部会の機関紙『文学思想研究』の編集、欧羅巴文学研究会機関誌『欧羅巴文学研究』の企画、中央公論社の『モリエエル全集』、河出書房の『バルザック全集』、改造社の『フロベエル全集』、海外文化協会設立といった軌跡をたどっている。

古本探究2 役の行者

このような軌跡をたどった吉江喬松も今こそ企画編集者として、翻訳者として、もう一度見直すべきではないだろうか。

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