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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話194 特価本出版社成光館

前回成光館における翻訳書と譲受出版にふれたこともあり、かなり前に書いたものだが、ここで成光館に関する一文を挿入しておきたい。その全貌はつかめないのだが、梅原北明出版人脈は特価本業界にまで及んでいて、それらの刊行物は特価本出版社によって紙型が買われ、再版され、主として古本屋ルートで売られ続けていたと思われる。本連載で取り上げた文芸市場社刊行の和田信義の『香具師奥義書』は文芸展望社、同じくシャンスールの『さめやま』は太洋社書店から再版されている。この二社も特価本出版社と見なせるだろう。

特価本出版社との関係は、関東大震災で廃業に追いやられた出版社や梅原北明一派だけのものではなく、宮武外骨や中山太郎なども無縁ではなかった。当時の最大の特価本問屋は河野書店で、その出版部門が成光館だった。私は成光館の二人に関連する本を持っている。それは中田薫の『徳川時代の文学と私法』(昭和五年)、中山太郎の『日本盲人史』(同十二年)である。

中田の著作は『徳川時代の文学に見えたる私法』として岩波文庫に収録されているものだが、これは大正十二年に宮武外骨が営む半狂堂から出版されている。中山の『日本盲人史』も昭和九年に昭和書房から刊行されていて、成光館版の両書とも、判型や装丁は初版を踏襲していると考えられ、特価本のイメージは感じられない。外骨と成光館の関係は深かったようで、『明治奇聞』以下四冊が成光館版として、古書目録に掲載されているのを、最近になって見たばかりだ。

徳川時代の文学に見えたる私法 明治奇聞  (河出文庫版)

これらの本を論じる前に、まずは河野書店のプロフィルを提出しておこう。赤本、特価本業界の貴重な資料庫『全国出版物卸商業協同組合三十年の歩み』に収録された「見切本屋のパイオニア河野書店」によれば、河野書店の前身である河野成光館は明治三十六、七年に河野源によって創業され、日露戦争直前の頃に特価書籍の卸売りとなった。明治末年にかけて特価書籍業者も増え、問屋としての形態も整ってきたこと、及び従来の地本業者、絵草紙業者と取引上での密接な関係があることから、東京地本彫画営業組合に加入し、河野書店は月遅れ雑誌も含めて、「数物屋」「見切本屋」としての地盤を築き、特価本屋としての実力を示し、それが最も発揮されたのは昭和円本時代で、七ヵ所の倉庫が各出版社の円本の全集で天井まで埋まっていたという。

河野源には息子がなかったために、店員の相馬清一が長女の婿となっている。この人物が成光館の奥付発行者の河野清一であろう。

さてここでは中田と中山の両書にはふれられないので、中山の『日本盲人史』に限る。それに前述の『全国出版物卸商業協同組合三十年の歩み』の巻末に「特価本資料(昭和9年〜14年・昭和25年)が掲載され、その昭和十年のところに、昭和書房の『日本盲人史』がリストアップされ、定価四円五〇銭が特価二円五〇銭となっていて、成光館前史がうかがわれるからだ。

ちなみに昭和書房の本は中山の他に、本山桂川『信仰民族誌』、森潤三郎『鴎外森林太郎』、同『紅葉山文庫と書物奉行』、森於莬『鴎外遺珠と思ひ出』の四冊が同じく特価本として並んでいる。昭和書房とは誰によって創業された出版社なのであろうか。

この事実から推測すると、『日本盲人史』は昭和九年に刊行されたが、売れ行きは芳しからず、同様の他の四冊も含めて特価本としてその市場に放出されたことを意味している。ところが『日本盲人史』は二年ほどで売り切れてしまったので、成光館が紙型を昭和書房から買い、再版したと考えていいだろう。

しかしこれは奇妙なことだが、私が三十年ほど前に古本屋から入手した『日本盲人史』は、本体が成光館版であるにもかかわらず、外箱は昭和書房となっている。半世紀にわたる過程で、どこかの古本屋において、箱と中身の交換が行なわれたのだろうか。それとも再版時に昭和書房版の箱が余っていたので、成光館版に再利用されたのだろうか。

それに加えて、成光館の奥付は様々なことを教えてくれる。中田の『徳川時代の文学と私法』には中田の押印がないのに比べて、『日本盲人史』には中山の印が押されていることから、こちらの再版が印税を含んでいるとわかる。またこれらの二冊の印刷者名が石野觀山となっているので、成光館は石野が営む福寿堂という印刷所と組んで、特価本を製作していたのであろう。成光館の全出版物を確認することは難しいと思われるが、かなり多くの出版点数に及んでいたことは確実で、これも近代出版史の盲点といえるかもしれない。

またこれも前回ふれた硨島亙の「震災の余滴」によれば、福寿堂(福寿印刷、もしくは福寿印刷所)の石野は、井上通泰の『今様歌』、自らの小唄集『さゝ舟』などを刊行し、成光館からは袖岳楼卉洲の号による『俳諧歳時記』を上梓しているという。特価本出版社の周辺にも外骨や石野といった人々が集い、ひとつの文化的トポスを形成していたにちがいない。

かつて拙稿「講談本と近世出版流通システム」(『古本探究』所収、論創社)において、当時すでに絶版とされていた坪内逍遥の晩青堂版『当世書生気質』(岩波文庫)が、それこそ赤本業界の先達である大川屋から合本となって刊行され続けていたことを記した。大川屋が紙型と版権を譲受したのは明治二十年で、二十五年には第九版を重ねていたのである。

古本探究 当世書生気質

それゆえに明治の半ばから昭和戦前にかけて、多くの本に赤本、特価本業界による第二の出版というステージがあったことになる。そしてそれは戦後になっても続き、とりわけ梅原北明一派のポルノグラフィに顕著で、様々な出版社がそれにかかわっていくのである。

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