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古本夜話197 島中雄三、文化学会、『世界文豪代表作全集』

前回井上勇訳として『ナナ』も挙げておいたが、これは大正十五年に刊行され始めた『世界文豪代表作全集』(同刊行会)の第十五巻所収で、いまだに見つけられない。『ナナ』の私訳の際に参考にするつもりでいたけれど、それは発行部数が少なかったゆえなのか、果たせなかったことになる。
ナナ (小田光雄訳)

しかしそれでもこの『世界文豪代表作全集』の一冊だけは入手していて、それは第十二巻で、イプセンの『ブランド』『人形の家』『我等死者醒めなば』の三冊が収録され、訳者は中村吉蔵、秋田雨雀となっている。
人形の家

それからしばらくして、中野書店の古書目録で、この全集と同時期に刊行された『世界文学名著集』という全十巻のシリーズを目にした。版元は帝国出版で、訳者は示されていないにしても、第一巻が『ナナ』、第八巻が『獣人』だった。これは初めて目にする世界文学全集で、書誌研究懇話会編『全集叢書総覧新訂版』(八木書店)を繰ってみたが、掲載はなかった。出版社名から考え、特価本業界の造り本と考えられること、それに古書価が九冊で二万千円だったこともあって、購入は見送ってしまった。これ以外にもまだ未見の世界文学全集があるのかもしれない。
獣人 (寺田光徳訳)

さて手元の『世界文豪代表作全集』に戻ると、昭和二年発行、菊判箱入、上製天金五百ページに及ぶ堂々たる一冊で、発行所は世界文豪代表作全集刊行会、発行者は島中雄三となっていた。奥付の「非売品」表記から円本に類すると判断していいだろう。

この『世界文豪代表作全集』全十八巻の内容は幸いにして、矢口進也の『世界文学全集』(トパーズプレス)に紹介されている。矢口の解題によれば、大正十五年から昭和三年にかけて刊行され、その「母胎となる版元があると思うのだが実体はよくわからない」とされている。

そこで未来社の『秋田雨雀日記』第二巻の昭和二年のところを探したが、何の記載もなかった。また第十二、十三巻はドストエフスキーの中村白葉訳なので、中村の『ここまで生きてきて 私の八十年』(河出書房新社)も読んでみたが、『罪と罰』は大正四年に新潮文庫のために訳し、後に『世界文学全集』に入り、思いがけない金に恵まれたとあるだけで、『世界文豪代表作全集』には何の言及もなされていなかった。

それゆえに発行者の島中雄三をたどってみた。島中は中央公論社の島中雄作の兄で、奈良県に生まれ、東京法学院に在学する一方で、『婦女新聞』の編集を手伝い、ここで後の平凡社の下中弥三郎と知り合い、革命的文学雑誌『ヒラメキ』を創刊するが、発禁処分を受ける。その後『週刊サンデー』や『新公論』に移り、文化学会を設立主宰する。そして日本社会主義同盟に参加し、いくつかの研究会や協会に関わりながら、同十五年に安部磯雄を委員長とする社会民衆党を結成し、昭和四年に自らも東京市議会議員に当選している。ちょうどこの大正末期から昭和初期にかけて、『世界文豪代表作全集』は刊行されたことになるので、「母胎となる版元」は文化学会だと考えていいだろう。

この時代の島中の出版とその事情について、『下中弥三郎事典』(平凡社)における「島中雄三」の項がそのアウトラインを伝えている。文化学会は「現代文化の源泉たる諸種の学説思想を研究し、兼ねて当面の問題に対する批評、解決、指導の任務を尽す」目的で、島中が中心になり、安部や下中などを会員として発足し、後に会社組織としての出版部という企業体が設置されることになる。だがこれだけの記述で、具体的な出版活動についての言及はない。

島中は昭和十五年に亡くなり、その追悼集『あゝ島中雄三君』が三周忌の十七年に森長次郎を編者として、中央公論社から刊行された。森は島中の生涯を五期にわけ、それぞれの時期において親交を結んだ人々に原稿を依頼したようだが、第三期にあたる「文化学会時代」のことは、下中が寄稿しているだけだ。それでも下中の「島中君の思ひ出」によって、出版活動が具体的に浮かび上がってくるので、彼の証言を引こう。

 大正七、八年のあのはなやかな社会運動勃興期に、吉野博士、福田博士等の例の黎明会に並んで文化学会を組織した。黎明会が官学派の革新集団なら文化学会は私学派の革新集団とでも言はば言へたらう。(中略)
 文化学会は、黎明会と並んで当時の一つの大きな革新的指導力であつたが、君が中心となつて働いた。経済的には相かはらず苦しんでいた。同志の協力によつて、文化学会出版部を経営しはじめた。世界傑作文学選集だの、小川未明選集だの、何れも相応な成績を示したが、結局大をなすには至らなかつた。

この「世界傑作文学選集」は下中の記憶ちがいで、『世界文豪代表作全集』をさしていると思われる。調べてみると、『小川未明選集』全六巻も同刊行会出版となっているので、これらはいずれも予約出版のために設けられた文化学会出版部の別名ということになろう。

ちなみに吉野作造も同時代において、文化生活研究会という出版部を組織し、多くの単行本を送り出している。これについては拙稿「岡村千秋、及び吉野作造と文化生活研究会」(『古本探究3』所収)を参照されたい。
古本探究3

大正時代に顕著なのは文学、芸術、宗教、社会思想などのすべての運動が、必ず出版活動を伴っていたことで、そしてそれが大正時代における多くの出版社の誕生に重なっているのである。

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