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ブルーコミックス論33 原作江戸川啓視、作画クォン・カヤ『プルンギル―青の道―』(新潮社、二〇〇二年)

    


新宿の廃ビルで、身体中の関節を外され、血を抜かれ、捻じ曲げられた若い女性の奇怪な全裸死体が発見された。死体のそばの壁には血で書かれたハングルの文章が残されていた。ちょうど一ヵ月前にも横浜で同じ状態の女の死体が見つかっていて、明らかに連続殺人だった。

警視庁捜査一家の刑事猪瀬は在日朝鮮人絡みの事件ではないかと推測する。その一方で、新宿の事件現場に韓国の刑事の姜青道(カンチョンドゥ)も現れていた。姜の伝えるところによれば、韓国でも同じ事件がやはり二度起きていて、新宿の現場に残されたハングルの意味は「鬼神の血・恨み・至福―これらのおどろおどろしい言葉を私はこころより理解した」というもので、韓国の現場にあった筆跡と同一だったし、それらは十六世紀朝鮮朝の軍人の哀美里の兵法書に記されている言葉であった。彼は朝鮮に攻めこんだ豊臣秀吉軍の何千人をも惨殺し、加藤清正を三度にわたって暗殺しようとした軍人で、「凶戦士」と呼ばれていた。だが彼は豊臣軍のあまりの暴虐ぶりに怒り、朝鮮軍に味方するに至った「降倭」と呼ばれる日本人であることが、姜の口から明かされる。

これらの共通点から見て、犯人は同一で、日韓両国を股にかけた殺人事件であり、猪瀬は情報を求め、韓国に渡り、姜の協力を得て捜査を進めていくことになる。すると今度は韓国で三人目の犠牲者が出る。また姜は自分の武道の師で、哀美里の末裔である洪斗英(ホンドウヨン)を探すが、彼も同じように殺されていた。猪瀬は歴史学者の張教授から、哀美里の専門家は亡くなったソウル大の全教授で、その唯一の弟子が日本人留学性の日向義則だったと聞かされる。しかもその日向が哀美里の末裔を見出し、伝説の兵法書の実在を証明したのだ。それゆえにその兵法書を読んだのは全教授と日向、子孫の洪斗英とその弟子の姜の四人だけだった。しかし全教授と洪は亡くなり、日向は一九七八年にスパイ容疑で韓国を強制退去になっていた。

韓国で捜査から外された姜を伴い、日本に戻った猪瀬は、八二年に能登半島で同様の死体が発見されたことを知る。二人は日向の行方を追うが、さらに元左翼で国会議員の女優が殺され、それには元在日の彼女の秘書、日本の左翼や在日犯罪組織が深く絡み、事件は大きな闇に包まれていることが浮かび上がってくる。また捻じ曲げられた死体は加藤清正の虎退治の朝鮮版で、虎に朝鮮人の怨念が乗り移り、日本人をくわえてぐるぐる引っ張り、捻れたボロ布のようにしてしまうという伝説に由来していると判明する。

そのような中で、殺人犯に拉致されていた女性が保護され、彼女の情報から音楽大学教授の江見に至り着く。しかも捜査を進めていくと、江見を名乗る人物はまったく別人であることがわかってくる。どうも江見とは哀美里の日本姓であり、七九年の朴正煕大統領暗殺事件に関係しているようなのだ。彼は一体何者なのか。

ここまでが『プルンギル―青の道―』の第4巻半ばに至るストーリーであるのだが、これから先をたどってしまうと、ミステリーコミックとしての興をそぐことになるので、ここで止めておくことにする。それにこのあまり知られていないと思われる『プルンギル―青の道―』を、ぜひ読んでほしいし、私にしても、この「ブルーコミックス論」の連載というきっかけがなければ、読まずに過ぎてしまったにちがいないからだ。

それでもこのタイトルのよってきたるところだけは付け加えておくべきだろう。第1巻で説明されているところによれば、「プルンギル」=「青の道」はソウルの甘谷(カンゴク)地区にある通りをさす。甘谷地区は治安が悪く、貧しい場所として有名だったが、韓国でのワールドカップ開催を機に、再開発が決まり、スラムは撤去され、跡地には美観を考えた市営住宅が建設されることになっている。そのような地区の中に、よく風が通り、他の道と異なり、落書きもなく清潔な道があり、それが「青の道(プルンギル)」なのだ。

その道は、ソウルで最も凶暴だったギャング団をたった一人で叩きのめし、追い出したという伝説の高校生の家の前にあった。彼こそは後に刑事となる姜青道で、その名前にならって、「青い道」と命名されたのであり、この姜のルーツに他ならないスラムと「青い道」に連続殺人事件の始まりが潜んでいることに彼は気づいていく。そしてここでの「青の道」がスラムそのものではなく、日韓の近世から現代史、スターリン時代と朝鮮少数民族問題、ソ連邦崩壊に絶えず呪縛されてきた一族の脱出の願望の象徴だったことが明らかになる。かくしてこの「青」は、日韓両国にまたがる深い歴史の哀しみと希望を合わせもった色彩だと判断できよう。

この『プルンギル―青の道―』の原作は日本人、作画は韓国人によるコラボレーションからなり、それはこの特異な物語にふさわしく、常に予定調和的物語を拒絶しているような語り口と筆致は、日韓の歴史の軋みを伝えているように思える。その意味において、全巻の巻末に付された「読者の皆様へ」という出版社の声明にあるように、「日韓両国の愛憎というハードなテーマに真正面から取り組もう」とした「史上初めての日韓両国の読者に向けた漫画作品」として、『プルンギル―青の道―』はその先駆的な存在であり、きっと両国の漫画史に記憶されると確信したい。

またさらにいえば、そのような日韓の歴史だけでなく、この作品は多くの共時的なミステリーの素材も引用、反復され、つめこまれている。例えば、猟奇殺人テーマはトマス・ハリス『ハンニバル』新潮文庫)などのレクター博士、ロシアの猟奇殺人の場合はトム・ロブス・スミスの『チャイルド44』新潮文庫)と反響し合っている。それにコミック原作に関連していえば、船戸与一の豊浦吾朗名義によるゴルゴ13のルーツ譚をも想起させてくれる。そのようなエキスを江戸川はふんだんに盛りこみ、クォン・カヤの作画を得て、『プルンギル―青の道―』は成立したといえよう。

ハンニバル チャイルド44

ここで日韓両国のコラボレーションのコミックとして、もう一作挙げておかなければならない。それは作土屋ガロン、画・嶺岸信明『オールド・ボーイ』である。これはパク・チャヌク監督、チェ・ミンシク主演『オールド・ボーイ』として映画化された、しかもコミックにしても映画にしても、「青」が無縁ではない。謎の軟禁施設七・五階に十年間幽閉された男がその見えざる敵を追い求めていく物語であるのだが、その手がかりは「青龍」という中華料理屋の名前しかないのだ。土屋ガロンとは、本連載6『青の戦士』狩撫麻礼のもうひとつのペンネームだが、『オールド・ボーイ』はまた異なるスリリングな物語であるので、こちらも『プルンギル―青の道―』と同様に、あらためて読まれれば、とてもうれしい。

オールドボーイ1 オールド・ボーイ 青の戦士


次回へ続く。

◆過去の「ブルーコミックス論」の記事
「ブルーコミックス論」32 高橋ツトム『ブルー・へヴン』(集英社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」31 タカ 『ブルーカラー・ブルース』(宙出版、二〇一〇年)
「ブルーコミックス論」30 立原あゆみ『青の群れ』(白泉社、一九九六年)
「ブルーコミックス論」29 高田裕三『碧奇魂 ブルーシード』(新装版講談社、二〇一〇年)
「ブルーコミックス論」28 秋里和国『青のメソポタミア』(白泉社、一九八八年)
「ブルーコミックス論」27 やまむらはじめ『蒼のサンクトゥス』(集英社、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」26 原作・高山 路爛、漫画・やまだ哲太『青ひげは行く』(集英社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」25 柳沢きみお『青き炎』(小学館、一九八九年)
「ブルーコミックス論」24 島本和彦『アオイホノオ』(小学館、二〇〇八年)
「ブルーコミックス論」23 石川サブロウ『蒼き炎』(集英社、一九九〇年)
「ブルーコミックス論」22 志村貴子『青い花』(太田出版、二〇〇六年)
「ブルーコミックス論」21 羽生生純『青(オールー)』(エンターブレイン、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」20 入江亜季『群青学舎』(エンターブレイン、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」19 さそうあきら『さよなら群青』(新潮社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」18 篠原千絵『蒼の封印』(小学館、一九九二年)
「ブルーコミックス論」17 木内一雅作・八坂考訓画『青龍(ブルードラゴン)』(講談社、一九九六年)
「ブルーコミックス論」16 松本充代『青のマーブル』(青林堂、一九八八年)
「ブルーコミックス論」15 やまじえびね×姫野カオルコ『青痣』(扶桑社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」14 やまじえびね『インディゴ・ブルー』(祥伝社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」13 よしもとよしとも『青い車』(イースト・プレス、一九九六年)
「ブルーコミックス論」12 松本大洋『青い春』(小学館、一九九三年、九九年)
「ブルーコミックス論」11 鳩山郁子『青い菊』(青林工藝社、一九九八年)
「ブルーコミックス論」10 魚喃キリコ『blue』(マガジンハウス、一九九七年)
「ブルーコミックス論」9 山本直樹『BLUE』(弓立社、一九九二年)
「ブルーコミックス論」8 山岸涼子『青青の時代』(潮出版社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」7 白山宣之、山本おさむ『麦青』(双葉社、一九八六年))
「ブルーコミックス論」6 狩撫麻礼作、谷口ジロー画『青の戦士』(双葉社、一九八二年)
「ブルーコミックス論」5 安西水丸『青の時代』(青林堂、一九八〇年)
「ブルーコミックス論」4 佐藤まさあき『蒼き狼の咆哮』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」3 川本コオ『ブルーセックス』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」2 序 2
「ブルーコミックス論」1 序 1