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ブルーコミックス論35 原作李學仁・漫画王欣太『蒼天航路』(講談社、一九九五年)

蒼天航路 1 蒼天航路2 蒼天航路 3 蒼天航路 4 蒼天航路 5 蒼天航路6 蒼天航路 7 蒼天航路 8


前回の江戸川啓視と石渡洋司の『青侠ブルーフッド』は秦の始皇帝時代に端を発し、墨子を祖とする青幇への弾圧を物語のベースに置いていた。
青侠ブルーフッド 1

秦の始皇帝といえば、ただちに秦始皇陵兵馬俑坑を思い浮かべてしまう。これは一九七〇年代に発見された中国古代文明の至宝、彫塑芸術の宝庫でもあり、数千体に及ぶ実物大の兵馬俑群、戦車、兵器などが埋まり、壮大な量感を伴って圧倒的に迫ってくるもので、日本各地で公開された展覧会、及びその発掘隊と博物館共編の図録『秦始皇陵兵馬俑』(平凡社)でも、奇跡のような発見を追体験させてくれた。

秦始皇陵兵馬俑

しかも私は同書を繰ってからしばらく後で、リサイクルショップにおいて、四頭立ての青銅色の二輪馬車のレプリカを見つけ、それを購入し、再び確認したところ、そこには墓主の始皇帝の霊魂が乗って巡業する馬車に供せられた儀仗用の副車ではないかとの説明が施されていた。このかなり重量感のあるレプリカは中国、もしくは日本の展覧会で誰かが買い求め、おそらくその人物が亡くなり、リサイクルショップに放出されてしまったのではないだろうか。

そしてあらためて『秦始皇陵兵馬俑』の兵士の写真とレプリカの馬や馬車を眺めていると、中国古代の戦国状況が立体的に浮かび上がってくるような気にさせられた。それらはいうまでもなく、小説であれば、吉川英治の『三国志』、コミックであれば、横山光輝の『三国志』などを始めとする、多くの中国古代を舞台とする歴史物語に他ならず、この連載との関連からすれば、原作李學仁(イハギン)・漫画王欣太『蒼天航路』ということになる。

三国志 三国志

その前にまず秦以後の中国史を簡略にたどっておこう。始皇陵に象徴される始皇帝の死後、漢の高祖による前漢王朝が始まり、三世紀前半の後漢に至って、魏、呉、蜀の三つの国が鼎立し、以後数十年に及ぶ抗争の時代、所謂「三国時代」に入っていく。この「三国時代」を生きた人々の列伝を記したのが、蜀と魏の史官で後に晋に仕えた陣寿の、同時代史としての『三国志』であり、中国の正史のひとつとされる。この『三国志』は陳寿の死後、百三十年を経て、南朝の同じく史官の裴松之によって増補、校訂にあたる「注」が施され、登場人物たちがリアルな立体像を持つに至ったとされる。ここに三国時代の英雄たちの祖型と物語が確立されたのである。
三国志

それらの英雄の物語は時代が進むにつれて、大衆芸能の説話として後半に流布していくようになる。そうした説話を取りこみ、ベースにして、元末明初の小説家の羅貫中が『三国志』を小説化し、中国の「四大奇書」のひとつ『三国志演義』を書くに至ったのだ。これもまた周知であるにしても、長編ゆえにコミックも多くの巻を重ねざるをえないので、ここで簡略なストーリーを提示しておくべきだろう。
三国志演義

後漢王朝は宦官が実権を握り、政治は混乱し、社会の窮乏と不満はピークに達していたことから、民間宗教の教祖張角が農民を組織し、黄巾の乱を起こす。それに対し、朝廷は民兵を集め、官軍を向かわせる。それに加わった劉備は関羽、張飛と義兄弟の約を結び、曹操、孫堅たちの奮戦もあって、反乱はかろうじて平定されるが、各地方は群雄割拠となる。それでも彼らは袁紹を連合軍の盟主とし、皇帝を擁して権力をふるう将軍菫卓を討つ。しかし内紛を起こし、各自が支配権を争うようになる。その中でも曹操が勢力を伸ばし、劉備は諸葛孔明を軍師に迎え、孫賢の息子孫権と連合し、曹操と戦う。そして曹操の病死後、子の曹丕が魏、劉備が蜀、孫権が呉の皇帝の座につき、三国分立となる。だがその後も三国の戦いは続き、政治も安定せずに国も衰えていき、晋の台頭を見て、三国時代も終わりを迎えるのである。

『三国志演義』の主要人物は劉備、曹操、孫権、関羽、張飛、孔明たちで、劉備が正義に位置する主人公であり、曹操は悪役だが、智恵と実行力に富み、スケールの大きなキャラクター、関羽は義気のある理想的武人、張飛は民衆と等身大の生一本な野人として、ともに義兄弟の劉備への深い愛情を示す。

この『三国志演義』の物語と登場人物たちは、日本において明治以後も講談や読み物として広く流布していたが、吉川英治の『三国志』が時代小説的にアレンジして書かれたことで、日本人にとっても極めて身近な存在となり、様々な分野において、繰り返し語られていく物語祖型とキャラクターを形成したと見なしていいだろう。

さて前置きがかなり長くなってしまったけれど、そうした一編が『蒼天航路』であり、この作品は従来悪役とされてきた曹操もまた必然的に三国時代における「俠」の一人として登場し、彼は関羽と黄巾の乱に加わることになる農民の武装訓練を見て、次のようにいう。「俺たちの俠の力を借りず、自分たちの力で立ち上がろうとしているんだよ」。さらに作者はこの「俠」に注をつけ、「結社をつくり、法にしたがわず、義理を重んじる人、またはその集団を古代中国では俠と呼んだ」と記している。これは『蒼天航路』もまた「俠」の物語であることを自ずと示していよう。

そして曹操は兵を集めるにあたって、「蒼天已死(そうてんすでにしす)」の四文字を天下に放つ。「蒼天」とは「天帝」を意味する。すなわちそれは漢王朝をさし、曹操はここにその死を告げたのだ。彼は続けていう。

 「漢帝国は400年の長きにわたり、よく大乱を逃れてここに至ったが、そのことは無数に臥龍を飼い殺しにしてきたということだ。漢が縮まれば、全土に龍が出現する。すなわちこの4文字こそ、蒼天からいったん龍を解き放ち、再び蒼天に戻すに至る先駆となろう。(中略)
 まずは臥龍たちを蒼天に解き放つのだ! 我もまた一匹の臥龍であろうぞ!」

ここにタイトルの『蒼天航路』の意味が力強くこめられている。「蒼天航路」とは、これから切って落とされる「三国時代」そのものを意味するメタファーにして言葉であり、それが「俠」という「臥龍たち」の物語であることを告げている。新しい「三国志」の物語がここでも始まろうとしているのだ。

おそらく『蒼天航路』は横山光輝の『三国志』を意識して構築され、描かれたと思われる。なお『北斗の拳』の兄弟編ともいえる、原哲夫の『蒼天の拳』もあり、この作品も「三国志」物語と、それにまつわる様々なファクターのアマルガム的構成で、これも「蒼天」という言葉の意味をこだまさせている。

北斗の拳 1 蒼天の拳


次回へ続く。

◆過去の「ブルーコミックス論」の記事
「ブルーコミックス論」34 原作江戸川啓視、漫画石渡洋司『青侠ブルーフッド』(集英社、二〇〇五年)
「ブルーコミックス論」33 原作江戸川啓視、作画クォン・カヤ『プルンギル―青の道―』(新潮社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」32 高橋ツトム『ブルー・へヴン』(集英社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」31 タカ 『ブルーカラー・ブルース』(宙出版、二〇一〇年)
「ブルーコミックス論」30 立原あゆみ『青の群れ』(白泉社、一九九六年)
「ブルーコミックス論」29 高田裕三『碧奇魂 ブルーシード』(新装版講談社、二〇一〇年)
「ブルーコミックス論」28 秋里和国『青のメソポタミア』(白泉社、一九八八年)
「ブルーコミックス論」27 やまむらはじめ『蒼のサンクトゥス』(集英社、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」26 原作・高山 路爛、漫画・やまだ哲太『青ひげは行く』(集英社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」25 柳沢きみお『青き炎』(小学館、一九八九年)
「ブルーコミックス論」24 島本和彦『アオイホノオ』(小学館、二〇〇八年)
「ブルーコミックス論」23 石川サブロウ『蒼き炎』(集英社、一九九〇年)
「ブルーコミックス論」22 志村貴子『青い花』(太田出版、二〇〇六年)
「ブルーコミックス論」21 羽生生純『青(オールー)』(エンターブレイン、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」20 入江亜季『群青学舎』(エンターブレイン、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」19 さそうあきら『さよなら群青』(新潮社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」18 篠原千絵『蒼の封印』(小学館、一九九二年)
「ブルーコミックス論」17 木内一雅作・八坂考訓画『青龍(ブルードラゴン)』(講談社、一九九六年)
「ブルーコミックス論」16 松本充代『青のマーブル』(青林堂、一九八八年)
「ブルーコミックス論」15 やまじえびね×姫野カオルコ『青痣』(扶桑社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」14 やまじえびね『インディゴ・ブルー』(祥伝社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」13 よしもとよしとも『青い車』(イースト・プレス、一九九六年)
「ブルーコミックス論」12 松本大洋『青い春』(小学館、一九九三年、九九年)
「ブルーコミックス論」11 鳩山郁子『青い菊』(青林工藝社、一九九八年)
「ブルーコミックス論」10 魚喃キリコ『blue』(マガジンハウス、一九九七年)
「ブルーコミックス論」9 山本直樹『BLUE』(弓立社、一九九二年)
「ブルーコミックス論」8 山岸涼子『青青の時代』(潮出版社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」7 白山宣之、山本おさむ『麦青』(双葉社、一九八六年))
「ブルーコミックス論」6 狩撫麻礼作、谷口ジロー画『青の戦士』(双葉社、一九八二年)
「ブルーコミックス論」5 安西水丸『青の時代』(青林堂、一九八〇年)
「ブルーコミックス論」4 佐藤まさあき『蒼き狼の咆哮』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」3 川本コオ『ブルーセックス』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」2 序 2
「ブルーコミックス論」1 序 1