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古本夜話214 福田久道と成光館版『明治文学研究』

前回左翼系出版社として補足を加えることができた一社に木星社書院があり、その社主が福田久道だと記しておいた。福田に関しては『日本近代文学大事典』に立項されているので、まずはそれを引いてみる。明治二十八年生まれは判明しているが、出身地、経歴、没年は不明のようで、それらの記載はない。
日本近代文学大事典

 翻訳家、出版人。筆名鈴木謙彰。大正九年に一月より一〇月まで「白樺」にカートライトのミレー伝を掲載、翌年ドイツ語からの重訳で『ドストエーフスキイの手紙』(大正一〇・九 聚英閣)を出して早くその理解者として知られた。一三年高踏的な文芸美術雑誌「木星」を発行したほか、戦前まで出版書肆を経営、「季刊 批評」「唯物論研究」「明治文学研究」等の編集発行を手がけた。

これらの雑誌を同じく確認してみると、『木星』は大正十三年から昭和三年にかけて、中断をはさみ、前期九冊、後期十五冊を刊行し、いずれも木星社発行、編集兼発行人を福田とするもので、おそらく『木星』を創刊するにあたって、福田は木星社を発足させたと思われる。『季刊批評』は昭和七年に第一冊、『唯物論研究』はやはり同年の創刊号から翌年の第五号までが木星社を発行所としている。それゆえに時代的に考えれば、木星社が左翼系出版社と見なされたのは、昭和初年であるから、『唯物論研究』の発行所だったことによるのではなく、『木星』の内容と執筆者人脈、もしくは出版物ゆえと推測されるが、両方とも未見なので、判断を留保するしかない。

また『日本近代文学大事典』において、昭和九年から翌年にかけて出された明治文学談話会の編集発行、耕進社発売の『明治文学研究』は立項されているが、福田と木星社のそれは見当らない。しかし私の手元に編輯兼発行者を福田久道とする『明治文学研究』があり、それは雑誌ではなく、箱入り単行本として、昭和八年に成光館から定価三円で刊行されている。

これは明治文学資料として口絵写真に斎藤緑雨、二葉亭四迷、尾崎紅葉の筆蹟などを掲載し、菊判七百ページを超える大冊である。そして前半が「明治作家研究」で、前記の人々を含んだ十六人の作家たちの研究、後半は「明治文学の諸様研究」で、こちらは様々なジャンルと推移についての十四本の論考で、その中には木蘇穀の「明治の探偵小説」とか、伊藤整の「明治に於ける心理小説の発達」といった、関心をそそられるものも含まれている。また人数が多いために執筆者名をすべて挙げられないが、明治文学談話会の中心メンバーの柳田泉、篠田太郎、神崎清などの寄稿もあるので、談話会との近しい関係がうかがわれる。

だがノンブルをたどってみると、「明治作家研究」と「明治文学の諸様研究」が別になっていて、両者がそれぞれ独立した単行本、もしくは雑誌で、『明治文学研究』はこのふたつの合本だとわかる。これは何を意味しているのだろうか。

おそらくこの成光館版『明治文学研究』の刊行年から考えて、談話会版の創刊以前にその露払いのようなかたちで、福田を編輯発行人として、『明治作家研究』と『明治文学の諸様研究』が出されていた。しかしこの二誌は談話会版『明治文学研究』へと統合されることになり、それらの残本が成光館版の合本として刊行され、このことが『日本近代文学大事典』における福田の『明治文学研究』の編集発行との立項につながっていると思われる。だがこれは前述したように、福田が『明治作家研究』と『明治文学の諸様研究』の編集発行を手がけたと考えるべきだろう。

発売所の成光館については本連載194でふれたように、特価本の河野書店の出版部門だが、ここでもう一度河野書店と成光館のプロフィルを描いてみる。

明治時代を迎え、江戸期の地本草紙問屋仲間は東京地本彫画営業組合、さらに関東大震災後の大正十三年に東京書籍商懇話会と改称し、市を伴うようになった。その過程で数物屋、見切本屋と呼ばれた特価本卸問屋が加わるようになり、そのパイオニアが河野源の成光館、後の河野書店であった。明治三十六、七年から出版社の見切本を大量に仕入れ、また出版社がツブシ屋に出していた雑誌や書籍を一貫二十銭か三十銭で買い、組合仲間や露天商に卸す仕事を始めた。当時は安くても数がある同じ本を誰も買わなかったので、そのうちに見切本屋、数物屋と称されるようになり、また月遅れ雑誌を専門とする酒井久三郎の淡海堂も立ち上がり、次第にそれらの流通も全国的に拡がっていく。

このことに関して、特価本の卸売り業者たちと講談や娯楽小説や貸本、漫画や絵本、実用書などの出版社を群像ドラマのようにレポートしている『全国出版物卸商業協同組合三十年の歩み』に、河野源の次のような証言がある。「これらの大部分の品は私のところから流れ出るので、いわば私の店は特価本の水源地のようなものだ。この商売は出版屋と小売店の間の一種の取次屋」だ。とりわけ河野書店の活躍はめざましく、七つの倉庫は各社の円本であふれんばかりで、平凡社の『大衆文学全集』の『鳴門秘帖』だけでも七万冊あり、飛ぶように売れたが、それでも売り尽くすのに二年を要したとされる。
鳴門秘帖(講談社)

円本の大量仕入れと特価販売をきっかけにして、下町中心だった特価本業界も神田に進出するようになり、東京書籍商懇話会も従来と異なる新たな分野の書籍を刊行するようになる。前出の『三十年の歩み』に挙げられている成光館の三冊の中に、『明治作家研究』が見え、定価三円、正味六十五銭と注記にある。他の二冊は『最新図解日本造庭法』と『近代哲学大系』で、これらは他の出版社の紙型などを流用したり、もしくは合本化による「造り本」に分類してかまわないだろう。『三十年の歩み』は他社の出版物も含めて、「この例にみるように学術書、画集、民話や民謡の研究と実に多彩な出版物が、低い正味で市会を通じて流れていった」と述べている。まさに『明治文学研究』もそのような一冊だったことになる。
最新図解日本造庭法 (大空社復刻)

このような特価本業界と木星社や福田との関係から推測されるのは、戦前において赤本とか特価本とか呼ばれ、マイナーなイメージに包まれているこの業界が、確固とした出版のバックヤードを形成していたという事実である。それゆえに特価本業界が近代出版史の中で果たしてきた役割は流通販売だけでなく、出版の分野においても大きかったのではないだろうか。『三十年の歩み』に収録された巻末の「特価本資料」は、この業界から出版史を照らすリストといえよう。

それに戦後の貸本屋と貸本マンガ出版の関係、及びその流通販売も、全国出版物卸商業協同組合を抜きにしては語れないのである。


〈付記〉
例によってこの一文も数年前に書いたものであり、アップするにあたってネット検索してみると、福田と木星社などに言及した「落合道人 Ochiai−Dojin」 が見つかった。こちらもぜひご覧あれ。

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