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古本夜話215 西東書林、土方定一『近代日本文学評論史』、飯島正『新映画論』

本連載209で、昭和九年に矢野文夫による全訳『悪の華』が耕進社から刊行され、その出版にあたって明治文学談話会の山室静と土方定一の助力を得たこと、耕進社が談話会の機関紙『明治文学研究』の印刷兼発行所だったことを既述しておいた。この事実は矢野もまた明治文学談話会に属していたことを示している。

その明治文学談話会について、ここでそのアウトラインを提出しておく。会員名の配置などの関係から、『日本近代文学大事典』『現代日本文学大事典』(明治書院、昭和四十年)の双方の立項を参照している。東大系の「明治文学会」の神崎清と篠田太郎、早大系の柳田泉と木村穀たちによって、昭和七年に創設され、それに山室静や土方定一が加わり、本郷基督教青年会館を根城として例会や各種研究会を開き、機関紙を発行し、十一年頃まで続いた。明治文学に関心を持つ者を広く会員とし、明治文壇の古老や大正文壇の大家を招き、若手の研究者に関しても気鋭の平野謙や小田切秀雄も参加し、研究、資料発掘、講演会などの多彩な活動を展開し、自由主義的精神によって支えられ、明治文学の意義を文化的、かつ社会的視野との関心から位置づけ、その研究を深めることに寄与したとされる。
日本近代文学大事典

この明治文学談話会の広範な活動と人脈を背景にして、矢野の『悪の華』も刊行されたことになる。そしてまた少し遅れて、山室静も土方定一も最初の評論集を刊行している。山室は昭和十四年に赤塚書房から『現在の文学の立場』、土方は同十一年に西東書林から『近代日本文学評論史』で、前者は冬樹社の『山室静著作集』第一巻に収録され、後者は法政大学出版局から復刊 されている。おそらく明治文学談話会に集ったのは研究者や文学者たちばかりでなく、編集者や出版者たちも多くいたにちがいない。矢野の『悪の華』の版元の耕進社もそうであったように、赤塚書房や西東書林も明治文学談話会の近傍に位置していたのではないだろうか。
[f:id:OdaMitsuo:20120626143349j:image:h140]『近代日本文学評論史」(昭森社版)

山室の『現在の文学の立場』の出版の労をとったとされる平野謙に、この当時の文学状況を論じた『文学・昭和十年前後』(文藝春秋)があり、まさに同時代の小出版社の芝書店、野田書房、砂子屋書店(ママ)、竹村書房、人民社などの「昭和出版史の一齣」に少しばかりふれているのだが、残念なことに山室の著作と赤塚書房と明治文学談話会についての言及はない。そこには平野なりの判断があると考えられる。彼はこの「文学史的漫談」において、それにふさわしい次のような言葉を残しているからだ。

 執筆者と小出版社との関係は出世まえの青年男女の恋仲みたいなもので、いつかはきっと破れる。どんなに熱烈に出版屋さんが惚れこんでも、相手の青年が優秀であればあるほど、浮世の風はふたりの間を割くように働く。問題は、その別れぎわの手腕である。いつまでも自分をなつかしんでくれるような別れかたは、手だれの色ごと師でも至難のわざと聞いている。

そして平野は小林秀雄や河上徹太郎を例に挙げ、彼らはつぶれた芝書店や文圃堂とよほどうまく別れたにちがいないと付け加えている。それは「小出版社」ばかりでなく、研究会やリトルマガジンも同様であり、平野にとって赤塚書房や明治文学談話会はうまく別れられなかった記憶を引きずり、それで言及がなされていないのかもしれない。

そのくせ一方で、『明治文学研究』の後を受けた山室との同人雑誌『批評』や土方についてはふれている。特に土方のことは生活のプロフィルを描き、処女作が難解きわまる『ヘーゲルの美学』(木星社書院)で、『近代日本文学評論史』は類書のない著作であり、また千葉亀雄名義で出された『坪内逍遥伝』(改造社)は土方の手になるものだったのではないかとも述べている。ここで土方と前回の福田久道と木星社書院の関係が明らかになる。

さて前置きが長くなってしまったが、実はこの土方の『近代日本文学評論史』を浜松の時代舎で入手して読み、昭和四十八年の法政大学出版局版「追記」に至って、この一冊の出版史を初めて知らされたのである。そこには「本書の初版は、友人、渡辺亦夫氏が出版事業の文化的意義を実行するためにはじめた西東書林から昭和一一年に出版され、敗戦直後に森谷均氏の昭森社から思潮文庫の一冊として昭和二三年、再版された」と書かれていた。

この初版を刊行したのが西東書林という一文に出会い、ずっと気になっていた小出版社の手がかりを得たように思った。西東書林の本を一冊だけ持っていて、それは飯島正の『新映画論』で、四六判の上製箱入りの一冊であり、昭和十一年の刊行である。あらためて奥付を見ると、確かに刊行者は渡辺亦夫の名前が記載され、この人物が西東書林を「出版事業の文化的意義を実行するためにはじめた」ことになる。

巻末広告には、まず最初に「西東書林版英文名義」として、小笠原長生子原著、井上十吉・当蔵共訳『英文東郷元帥伝』、夏目漱石原著、羽田三吉・白井同風訳『英訳夢十夜』、ルウイス辻村著『英詩集東雲』が掲載され、続いてシムノン『モンパルナスの夜』(永戸俊雄訳)、ルイス『西班牙狂騒曲』(飯島正訳)、バウム『乙女の湖』(岡田真吉訳)、筈見恒夫『現代映画論』、蘆原英了『現代舞踊評話』などが挙げられ、近刊として島村龍三『恋愛都市東京』、伊馬鵜平『桐の木横町』、徳川夢声と白柳秀湖の随筆集も予告されている。

「英文名著」の刊行が昭和九年とあるので、おそらく同年に西東書林は始まったと考えられる。しかし出版のラインナップを見ただけで、この書肆の活動期間は短かったのではないかと想像してしまう。それは『英文東郷元帥伝』に添えられた次のような注釈に表われている。

 誕生する書肆の名前をつけるに、ゲエテの西東詩篇を借りてきた若い出版青年が、出来たての本書を持つて、首途にあるラマンチャの騎士のやうに勇ましく、長谷川如是閑氏のお宅に参上した時、氏は「実に勇敢な!」といふ讃辞を下さつた。勇敢な、とは本を作るのに算盤を忘れることを云ふ。社会奉仕すぎる仕事をすることを云ふ。実際この書は何から何まで社会奉仕的でありすぎる。表紙のバクラムが上等すぎる。カワ゛ア一枚にも手間がかかりすぎてゐる。写真が豊富すぎて計算が合はぬ。だが、とに角、この伝記は世界に唯一の元帥全伝なのである。

渡辺なる人物の西東書林が「出版事業の文化的意義を実行」し、「算盤を忘れ」、「社会奉仕的」で、「計算が合わぬ」出版を重ねていけば、その破局は明らかであろう。おそらくそのようにして西東書林も消えていったのではないだろうか。

『新映画論』の著者飯島正は同書所収の「同じ著者に依りて」の紹介によれば、西東書林から五冊刊行し、もう一冊も近刊となっているので、この書肆や渡辺とは近しい関係にあったと思われるし、また飯島はこれもよくわからない往来社や赤爐閣から訳書なども出しているが、彼の自伝『ぼくの明治・大正・昭和』(青蛙房)にはそれらに関する言及はない。ここにも平野謙と同様に様々な事情が秘められているのだろう。

なおその後、千葉亀雄の『坪内逍遥伝』を古書目録で見つけ、入手した。これは昭和九年に改造社から出された全二十四巻の『偉人伝全集』の一冊であることからすると、この全集の大半が代作ということになるのかもしれない。

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