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古本夜話234 大原社会問題研究所と同人社『日本社会主義文献』第一輯

前回の同人社と大島秀雄について、その後法政大学社会問題研究所編『大原社会問題研究所五十年史』を読んだこと、及び昭和四年の同研究所編、同人社刊行『日本社会主義文献』第一輯を入手したこともあるので、もう一編書いておきたい。それはまたこれまで参照してきた『社会運動と出版文化』の梅田俊英による大原社研コレクション『ポスターの社会史』などのシリーズも、近年刊行されているからだ。

[f:id:OdaMitsuo:20120907091710j:image:h110] ポスターの社会史 

大原社会問題研究所は大原孫三郎によって、大正八年大阪において創立された。大原は岡山県倉敷に生まれ、先代より引き継いだ倉敷紡績株式会社の経営で財をなし、ロバート・オーエンに傾倒し、クリスチャンで理想的な産業社会を夢見ていたことから、貧民救済や保育事業に続いて、組織的な社会事業研究機関の設立を構想した。そして大原は京大の河上肇を通じて、東大の高野岩三郎を推薦され、高野を所長として森戸辰男や櫛田民蔵などを研究員とする、大原の私財による社会問題研究所が発足したのである。

その主な目的のひとつは社会問題に関する文献の出版と翻訳であり、最初は大原社会問題研究所出版部がそれを担っていたが、大正十年から同人社へと移った。それに関して、『大原社会問題研究所五十年史』は次のように述べている。

ポスターの社会史(復刻、メタブレーン、POD版)

 研究所の刊行物も、年鑑、単行本や後述の雑誌などと共に本年度より多数にのぼり、其発行を専門的に取り扱う書店同人社が、この年の三月一六日東京で開店した。これはそれまで事務助手をしていた大島秀雄を社主として、研究所関係出版物を一手に引受け発行する書店である。同人社は後年栗田書店がこれに代るまで、長く所と密接な関係をもった。

このようにしてスタートした同人社だが、『同五十年史』に「同人社の経営難と再出発」の一節が割かれているように、大正十三年に経営が行き詰まってしまい、大原と研究所が新たに出資し、同人社を匿名組合にすることで、再出発することになった。これは他の出版社も同様だが、同人社も関東大震災により、社屋と多くの在庫が烏有に帰したことが大いなる原因だったと思われる。

しかしその同人社の復興も長くは続かず、『同五十年史』所収の「大原社会問題研究所出版目録」を見ると、その後の同人社についての言及はないにしても、昭和五年から発行所は栗田書店となり、同人社の名前は後退し始めている。おそらくこの時期に左翼出版物の衰退とともに、同人社も消滅へと追いやられたのであろう。とすれば、昭和四年九月の日付のある『日本社会主義文献』第一輯は、同人社の最後の出版物の一冊と見なすことができるし、その菊判箱入りの佇まいと布装の装丁、大原社会問題研究所編による明治十五年から大正三年にかけての日本社会主義文献のビブリオグラフィといった内容も含め、同研究所と社会主義に併走してきた同人社が送る集大成のようにも映ってくる。同研究所の目的のひとつは社会問題関係内外図書と資料の収集でもあったからだ。

『日本社会主義文献』第一輯の「序」は同研究所名で掲げられ、最近における社会主義運動の勃興と明治文化への関心の高まりにより、日本の社会主義思想の研究も注意を喚起するに至ったが、資本主義や立憲思想とちがい、異端的と見なされていることもあり、「信頼しうる便利な目録書の存在せざること」が述べられ、次のような言葉が記されている。

 (前略)社会主義運動の独立化後間もなく幸徳事件の勃発あり、社会主義運動は峻厳なる弾圧の下に置かれ、多くの社会主義書も亦、その著訳書と均しい迫害を被つた。かくして国禁の烙印を帯びさせられて読書界から姿を消した既刊書を追跡することの困難もさることながら、或は秘密出版として或は種々のカムフラージュを用ゐて出版流布せられた諸文書を今日蒐集することの困難は殆んど絶対に近かい。加ふるにこれら禁断書の数少ない避難所であつた社会主義者は屢々不断の迫害の下に、或は家宅捜索、或は転々流浪の生活、或は生活の窮乏等のために、彼等の貴重なる蔵書の全部又は一部を失はざるをえなかつた。かくて加へてかの大震災は辛うじて生残したこれら極めて珍貴なる諸文書の少からざる部分を灰燼に帰せしめたと云はれてゐる。此様な事情の下にあつて完全なる本邦社会主義文献誌を編纂することは想像以上の難事であるとともに、その必要もまた此上なく大きいのである。

今ではもはや忘れ去られてしまっているかもしれないが、出版という行為が常にこのような国家権力との緊張を孕み、読むことも所有することも危機にさらされる事態を覚悟しなければならない時代も長く続いていたのだ。それは社会主義書ばかりでなく、性をめぐる言説から、詩や小説に至るまで、そのような社会状況の中で刊行されていたことになる。しかもそれは近年になっても続いていたし、現在もまたかたちを代えて存続しているといっていい。

またこの『日本社会主義文献』第一輯の実際の編纂は、同研究所図書部員の内藤赴夫によるもので、それは本連載でもふれてきた木村毅の懇篤なる協力を受けているという。おそらく大正四年以後の第二輯も構想され、資料収集も進んでいたと想像されるが、同人社の退場によってそれは実現しなかったのではないだろうか。なお同書巻末には百冊近い単行本の「同人社出版図書目録」が収録されていて、これも偶然のようには思われない。

それにしても同人社と大島のその後はどうなったのだろうか。、『大原社会問題研究所五十年史』を通読してみて、あらためて社会主義とその研究の視点から見ると、いわば出版が端女の立場にあることが察せられる。同書には研究所の多くの人々の集合写真が口絵として掲載されているのだが、そこに大島の名前は見られない。前回記した大島の経歴からすれば、彼は研究所の不可欠のメンバーだったと思われるのに。

同人社の後を引受けた栗田書店、それらを戦後になって継承したと見なしてもいい法政大学出版局のことは、また別のところで語ることになるだろう。

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