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古本夜話246 ドイツ語版キント『女天下』と沼正三『ある夢想家の手帖から』

これは戦後編でと思っていたのだが、前回、土井晩翠訳『オヂュッセーア』に関連して、沼正三と『家畜人ヤプー』にふれたこと、また最近内藤三津子へのインタビュー『薔薇十字社とその軌跡』を行なったことも重なり、本連載5「アルフレッド・キントの『女天下』」で示した、沼正三と倉田卓次は別人との見解を修正しておかなければならないので、ここで書いておく。
家畜人ヤプー

私は、沼が自らいう、まさに「マゾヒストによる・マゾヒストのための・マゾヒズム随筆」に他ならない『ある夢想家の手帖から』(都市出版社、潮出版社)におけるいくつかの記述などから、沼と倉田は別人だとの判断を採用していた。しかし内藤へのインタビューで、彼女の義兄たちが加わっていた旧制一高、東大出身者を中心とする文芸誌『世代』の近傍に倉田もいて、『家畜人ヤプー』の主人公の名前が他ならぬ内藤の義兄と同じであることを、あらためて確認した。
ある夢想家の手帖から(『集成 ある夢想家の手帖から』、太田出版)

そしてこの人物も同様の文化環境にいたと推測できる森下小太郎の「『家畜人ヤプー』の覆面作家は、東京高裁・倉田卓次判事」(『諸君!』昭和五十七年十一月号所収)を再読した。それからさらに倉田の『裁判官の書斎』(勁草書房)などの著作、沼の『ある夢想家の手帖から』、沼の代理人、もしくは本人とされる天野哲夫の『わが汚辱の世界』(毎日新聞社)などももう一度読んだ。『日本幻想作家名鑑』(幻想文学出版局)のような人物事典では沼正三=天野哲夫となっているが、天野とは比較にならない沼の卓抜なその学識、語学力、読書量からして、沼は倉田だとの結論を下さざるを得なかった。それに森下の言及に加え、内藤から、沼と天野は別人だとの新たな証言も得ていたからだ。これらの問題の詳細は十二月刊行予定のインタビュー集で明らかにされるので、興味ある読者はぜひそれを参照してほしい。
裁判官の書斎わが汚辱の世界

これらの事情に加え、実は続けて『ある夢想家の手帖から』のバックボーンとなっているキントの『女天下』を購入してしまったのである。『ある夢想家の手帖から』はキントの「理念(イデー)と行為(タート)は性(エロティーク)の分野においては等質である」という言葉を、エピグラフに掲げて始まっている。このマゾヒズム文献の聖典とも称すべき『女天下』こそが倉田と森下を結びつけたもので、私が沼と倉田を別人だと考えたのも、沼が昭和二十年代に『女天下』をすでに入手していて、倉田が昭和三十年代初頭に森下のところに『女天下』を読みにいった事実と抵触することによっていた。

それは『ある夢想家の手帖から』2所収の「漫画の効用」に明らかで、そこには『女天下』全四巻の解題も施されていた。私はこの「漫画の効用」が「漫画家のマゾヒズム」として、『奇譚クラブ』の昭和二十八年六月号に掲載されたとの巻末注記から、『女天下』解題も同年のものだと思いこんでいたが、これは「附記」で、後に付け加えられたものではないかとの推定も可能である。その「附記」と2の昭和四十六年二月に記された「あとがき」に、「十五年ほど前に」森下と文通し、「その後私は、『女天下』の前記四冊を全部入手した」との証言を照らし合わせると、沼が『女天下』全巻を入手したのは昭和三十年以降であり、倉田が森下のところに、ナチス焚書の対象とされたために稀覯本となった第四巻を読みにきたのは事実だったと見なせよう。これらの『女天下』をめぐる事実からあらためて判断しても、沼と倉田は同一人物だとの結論に至るしかないのである。

その沼=倉田による『女天下』の解題を引いておこう。管見のかぎり、この記述以外に『女天下』に関する解題は見当らないからだ。
[f:id:OdaMitsuo:20121018181712j:image:h120]   [f:id:OdaMitsuo:20121018181731j:image:h120](『女天下』)

 全四巻を通じて、挿画一七〇〇、別刷図版二〇〇にのぼる。各章標題をいちおう紹介しておこう。正篇二冊は全一七章。一 男と女、二 求愛、三 活発な気力、四 権力の快感と屈服、五 臣従、六 男性の粗暴、七 支配的女性、八 母権制、九 婦人運動、一〇 アマゾン、一一 女とズボン、一二 ミンネ、一三 フェティッシュ、一四 奴隷制、一五 神話、一六 法的見解、一七 史的諸像、続三巻は、第一部が右各章の「補遺」、第二部が「リビドーとピカ」と題する。続第四巻は、全一〇章。一 解放された女性と女性化した男性、二 性的能動女性、三 羞恥心なきエヴァ、四 近代のアマゾン、五 感傷を知らぬ女性、六 煽情に酔う女性、七 権力を自覚せる女性、八 残酷な女性、九 男性の粗暴、一〇 回顧と展望、以上である。なお本書正篇上巻は、戦前「世界奇書異聞類聚叢書」の一冊として、村山知義によって抄訳されているが、検閲事情から、挿絵に関するかぎり、訳書は原書の面影を全く伝えていない。

私も本連載5で、村山訳に言及しているが、それ以外にこの『女天下』は現在に至るまで翻訳されていない。

さてこの『女天下』の入手についても記しておくべきだろう。以前から探書を依頼していた駒場の河野書店にそのことに関して電話したところ、話が『女天下』に及んでしまい、そちらは美本の全四巻の在庫があるとのことで、洋書の古書価も下がっていて、バブル時の半額の四万円だという。それに倉田や『家畜人ヤプー』の話も重なっているので、とても偶然のようにも思われず、ドイツ語も読めないのに『女天下』を買ってしまったのである。

しかし送られてきた『女天下』全四巻は菊倍判の大きさで、二千近い挿絵と図版も判型に見合った迫力を秘め、それらを見ていると、かえってドイツ語がわからないことも相乗し、様々な妄想を喚起させ、一週間ほどそれらを眺め入って過ごしてしまった。マゾヒストではない私ですらも、そのような「夢想」に駆りたたせるのだから、沼を始めとするマゾヒストたちがこの『女天下』に歓喜し、聖典ならしめたことは想像に難くない。

それゆえに沼は『女天下』の書影も示し、そこからエピソードや挿絵を縦横無尽に引用、転載し、『ある夢想家の手帖から』を紡いでいったと思われる。そしてこれは私の出版者、編集者としての「夢想」だが、倉田による『女天下』全四巻の完訳が実現すれば、日本のマゾヒストたちへの最高の贈り物になり、彼らは欣喜雀躍したのではないだろうか。だが時はすでに遅く、倉田も鬼籍に入ってしまった。

なお原タイトル、出版社を記しておく。
Alfred Kind , Die Weiberherrschaft.Verlag für Kulturforschung , Vienna , 1930 . 31

河野書店にはまだこの二巻本も在庫があるようだ。村山知義が入手したのも二巻本であった。

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