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古本夜話247 鈴木大拙訳、スエデンボルグ原著『天界と地獄』

このところ「出版状況クロニクル」52、53で記しておいたように、三島の北山書店の閉店セールなどで、探していた本をかなり見つけたので、それらについても続けてふれておきたい。

明治四十三年に鈴木大拙によって翻訳されたスエデンボルグ原著『天界と地獄』を、ようやく入手することができた。


これは書影を見たこともあるし、岩波書店の『鈴木大拙全集』第二十三巻に収録されているので、まったく初見ではないし、読むことのできない一冊でもない。

『鈴木大拙全集』第二十三巻

しかし実物を手にしてみると、やはり感慨を禁じ得ない。表紙は薄い藍色といっていいのだろうか、和本仕立ての造本で、左上部に題簽が貼付され、その厚さは三・五センチ、六百ページ余に及んでいる。奥付には訳者のみならず、発行者として英国倫敦スエデンボルグ協会代表者鈴木貞太郎、すなわち大拙の本名が記され、それはこの『天界と地獄』が同協会から出版資金を得ているか、もしくは大拙による自費出版だったことを物語っている。有楽社とその創業者中村有楽に関しては本連載229で既述している。

スエデンボルグと『天界と地獄』については他の注釈よりも、「付録」として巻末に置かれた同協会の主要メンバーのゼームス・スヒヤースJames Speirsによる説明を引いておこう。

 彼が心霊上の証覚は千七百四十三年始めて倫敦にて起れり。彼の記す所によれば、この時主自ら彼の前に現はれ給ひ、次の如きことを世に告げよと命じ給ひぬと、即ち基教の真信仰の既に全く亡失したるを更に顕にすること、死後における天界、地獄、及び此等両者の中間に存する境涯を説き示すこと、此中間の境涯は人の死後直ちに入り来る所なるも、生前吾等は既に此に住して而かも未だ之を自覚せざること、精霊と物体の間には相応の理ありて相連関し、聖典は此理を基として書かれたる者にして、吾人もしこれを体し、潜心凝神して聖文を読むときは其秘鑰を得て救済の途に入ると、是なり。

これに端を発し、スエデンボルグは『聖書』の注解に続き、『天界と地獄』などを著わすに至るのである。

『鈴木大拙全集』第二十四巻第二十五巻第二十三巻に続き、スエデンボルグの評伝や翻訳で占められ、明治末期から大正初年にかけて、大拙は『スエデンボルグ』(第二十三巻所収)の「序」にある「神学界の革命家、天界・地獄の遍歴者、霊界の偉人、神秘界の大王、古今独歩の千里眼、精力無比の学者、明敏透徹の科学者、出俗脱塵の高士、之を一身に集めたる」スエデンボルグの紹介と翻訳に取り組んでいた。その大拙は「吾国今や、宗教思想界の風雲、漸くまさに急ならんとす」という状況の中での、最初のスエデンボルグの翻訳、研究、紹介者と見なしていいだろう。なおそれらの出版は高島米峰の丙午出版社によっている。

しかしそこに至るプロセスは明瞭とは言い難い。『鈴木大拙全集』第二十三巻所収の『自叙伝』や「年譜」を見てみると、大拙は明治三十一年にアメリカに渡り、釈宗演の推薦で、ポール・ケーラスが編集長を務めるオープン・コート出版社に入っている。ケーラスは大拙訳『仏陀の福音』(第二十四巻所収)の「附録保羅馨蘭西小伝」によれば、ドイツ生まれの宗教学者で、アメリカにきてオープン・コート出版社に招かれ、哲学雑誌『モニスト』を創刊しているのだが、明治二十六年にシカゴで開かれた万国宗教会議で釈たちと知り合い、後に『仏陀の福音』を刊行するきっかけとなったのである。

オープン・コート出版社はイリノイ州ラサルの実業家エドワード・C・ヘゲラーによって設立されたのもので、ケーラスなどの主張する「レリジョン・オブ・サイレンス」に関心を持っていたとされる。実はケーラスよりも、このヘゲラーが大拙とスエデンボルグを結びつけたと思われる。大拙は「私の履歴書」(『自叙伝』所収)で、次のように述べている。

 わしは丁度十一年アメリカにゐたが、明治四十一年になつて日本に帰ることにし、ヘゲラー氏の好意でヨーロッパを回って帰ることになつた。イギリス、フランス、ドイツに行つたが、イギリスではスウェーデンボルグが協会の招きを受けてゐたわけだ。『天界と地獄』という訳本は、その時に原稿を昼夜兼行で書いた。今、その本があるかな。いつだつたか、古本でその本を見つけた人がわしに著名をしてくれといつて持つて来たことがあるが。

そして四十二年に帰国するのだが、ヘゲラーの死を知り、再びアメリカへ渡ることを断念する。これらの事実から考え、その翌年における日本でのビアトリス夫人との結婚も、ヘゲラーを媒介とするスエデンボルグへの傾倒と人脈が大いに関係しているのではないだろうか。

「年譜」によれば、四十一年の国際スエデンボルグ大会に、大拙は日本代表、翌々年の会議録には四十六名の世界の学者たちと並び、唯一の東洋人として、『天界と地獄』の日本語版訳者である、まだ若い三十代の大拙のポートレートが掲載されているようだ。後者について報告している工藤澄子「一九一〇年スエデンボルグ大会雑感」(第二十五巻「月報」所収)によれば、大会は四百名の出席者を集め、三つの部門に分かれ、四日間にわたって開会記念講演に続き、科学、哲学、神学に及ぶ学際的して、広範囲に展開されている。

そのようなスエデンボルグ大会の隆盛も、ジャネット・オッペンハイムが『英国心霊主義の抬頭』(和田芳久訳、工作舎)で描いている同時代の心霊研究協会などの活動とパラレルであったと考えられる。

『英国心霊主義の抬頭』

それは日本にも押し寄せていて、本連載226などで示しておいたとおりだ。この問題は後述するつもりでいる、同じく大拙の『日本的霊性』のところで、もう一度考えてみたい。
日本的霊性


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