出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

ブルーコミックス論57 伸たまき『青また青』(新書館、一九九〇年)

『青また青』 青また青 (獸木野生短篇集2)



作家のビダー・ボイドは画家のフェルと知り合う。フェルはビダーのファンで、七千部の処女作『午前の光』の一冊を買い、その後の雑誌に発表された短編を追いかけて読んでいるという。フェルは自分がホモセクシャルだと告白しながら、彼女にどうしてニューヨークにきたのか、本を出すためなのかと尋ねる。するとボイドは答える。「いいえ、十五の時、両親が別れて母と姉と三人でテキサスから移って来たの。(中略)あたしは家で習作を書いて、ウエイトレスをしていた先で客だったエバンの父親と結婚して離婚して作家になっておしまい」と。

それに対して、フェルはいう。

 「――本を読みながらいつも思っていたんだ。いったいどんな人だろうって。(中略)全部そうとは限らないけど、本ていうのは不思議だろ。
 自分じゃ言葉にできなかったけど、確かに思ったり感じたりしたことが書いてあるんだ。でなきゃ生れる前か、ともかくどこかで知ってたことが――酷くなつかしい感じなんだ。
 だからぼくは君や作家たちは何か特別な鍵を握ってるんじゃないかと思ってたよ、何かの秘密をね。(後略)」

『青また青』はビダー自身が語った個人史と自らの小説との通底、フェルと同様にホモである版権代理人テシックとその愛人ハースの関係とが交錯して物語は進んでいく。

ビダーのトラウマは十一歳の時に隣りに越してきた若い石油技師に恋し、彼を石油事故で失ったことだった。その晩、彼女は姉とテレビのショーを見ていて、尼僧姿の黒人女性が霊歌「漕げよマイケル」を歌っていた。だが真夜中になって、空が赤く、表が騒々しくなり、石油技師も消えてしまった。母から石油技師が急に引越したといわれたが、彼の写真を新聞で見つけ、それで初めて彼の名前がグレイ・ハートだと知った。愛の意味や死の存在もよく理解していなかったけれど、彼が突然消えてしまったことで、何もかもが変わってしまい、街のどこもかもが灰色に見えるようになった。彼の名前は何かお祈りの文句のようで、その名をいつも唱えていた。そしてある日気づいた。それは石油技師がなくなった後の自分の名前だったんだと。

ちなみに付け加えておけば、何年か経って、「漕ぎよマイケル」を歌っていたのがダイアナ・ロスだとわかった。このグレイ・ハートなる名前はナサニエル・ウエストの、アメリカの三〇年代の暗い世相と救いのない人間の心を描いたMiss Lonely Hearts (邦訳『孤独な娘』丸谷才一訳、ダヴィッド社)にヒントを得ているのではないだろうか。

Miss Lonely Hearts

この石油技師を失った夜は三回にわたってフラッシュバックされる。ビダーが小説家になろうとしたのは、何かを取り戻し、その喪失感から回復するためだった。しかし夢の中で、石油技師の代わりにテシックが顔を出し、君が小説家になりたいのであれば、ストーリー・テラーになるコツを教えてあげるという。「かんたんなのはね。幸せな主人公を不幸のどん底につき落とせばいいんだ。窓の外をご覧」と。またしてもあの夜のことが再現されるのだ。

その一方でビダーの周囲で次々に事件が起きていく。前夫の出現と脅迫、フェルの負傷とさらなる襲撃が重なり、必然的に彼女も犯人探求に赴くことになり、それを彼女は新しい短編に仕上げたのだ。タイトルは「ユーウツまたユーウツ(ブルーアンドブルー)」、すなわち本タイトルの『青また青』ということになる。

この作品はデフォルメして完全なフィクションをよそおっているが、テシックにいわせれば、ビダーの自伝で、「作家の姉にホモの版権代理人ヤクザのせがれの前夫!」と「わざとわかるように書いた」のだ。しかもハースが殺人鬼だと指摘しているのである。ビダーはいう。「発表するために書いたんじゃないのよ。(中略)あなたの言うとおりゴシップ雑誌並みの駄作よ。」しかしテシックは答える。「だがゴシップ雑誌並みに売れるかもしれん!」

しかしハースは原稿を盗み読み、テシックを刺し、ビダーに復讐するために、息子のエバンのいる保育園に向かった。ビダーはハースにピストルを構えるが、彼はナイフを手にして向かってくる。彼女はピストルを撃つが、ハースもビダーの首を絞める。すると彼女は気が遠くなる中で、またしも石油技師を求めて彷徨っている少女時代が浮かび上がってくる。もうひとつのトラウマというべき真相が。「――いつも思っていた。あの時死ぬべきだったんだと。そうだ、わたしは死にたかったんだ。小説など書かずに」

繰り返しフラッシュバックされる石油技師の記憶とは、少女のエロスというよりもタナトスへとつながるものであったのだ。「死よ、わたしは長いあいだ、お前を愛おしく思ってきたのだ。あの時死んだ自分を愛おしんできたのだ」。それゆえに『青また青(ブルーアンドブルー)』は『ユーウツまたユーウツ』へと転化することになる。

しかしそれは同時にテシックにしてみれば、ホモセクシュアルのメタファーともなり、事件後にハース・ファンクラブなるところからの脅迫状に対し、ビダーが「覚悟することね、もとより陽に背を向けた倒錯愛よ」というと、彼は「ユーウツまたユーウツだ!」と答えていることも、それを示唆しているように思える。

伸たまきがどのような漫画家なのかまったく知らないが、『青また青』はタイトルも物語も重層的で、新書館系列に位置する漫画家の一面を教えられたようにも思う。

なお伸たまきは2000年にペンネームを獸木野生に変えている。

次回へ続く。

◆過去の「ブルーコミックス論」の記事
「ブルーコミックス論」56 水原賢治『紺碧の國』(少年画報社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」55 吉原基貴『あおいひ』(講談社、二〇一〇年)
「ブルーコミックス論」54 岡崎京子「Blue Blue Blue」(『恋とはどういうものかしら?』所収、マガジンハウス、二〇〇三年)
「ブルーコミックス論」53 ジョージ朝倉『バラが咲いた』(講談社、二〇〇三年)
「ブルーコミックス論」52 原作朝松健・漫画桜水樹『マジカルブルー』(リイド社、一九九四年)
「ブルーコミックス論」51 名香智子『水色童子K.K.』(小学館、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」50 吉田基已『水の色 銀の月』(講談社、二〇〇六年)
「ブルーコミックス論」49 かわかみじゅんこ『軽薄と水色』(宙出版、二〇〇七年)
「ブルーコミックス論」48 大石まさる『みずいろパーフェクト』(少年画報社、二〇〇八年)
「ブルーコミックス論」47 グレゴリ青山『マダムGの館 月光浴篇』(小学館、二〇一〇年)
「ブルーコミックス論」46 豊田徹也『アンダーカレント』(講談社二〇〇五年)
「ブルーコミックス論」45 漆原友紀『水域』(講談社、二〇一一年)
「ブルーコミックス論」44 たなか亜希夫『Glaucos/グロコス』(講談社、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」43 土田世紀『同じ月を見ている』(講談社、一九九八年)
「ブルーコミックス論」42 marginal×竹谷州史『月の光』(エンターブレイン、二〇〇五年)
「ブルーコミックス論」41 喜国雅彦『月光の囁き』(小学館、一九九五年)
「ブルーコミックス論」40 平本アキラ『俺と悪魔のブルーズ』(講談社、二〇〇五年)
「ブルーコミックス論」39 中村珍『羣青』(小学館、二〇一〇、一一、一二年)
「ブルーコミックス論」38 山田たけひこ『マイ・スウィーテスト・タブー ―蒼の時代』(小学館、二〇〇六年)
「ブルーコミックス論」37 山岸良子『甕のぞきの色』(潮出版社、二〇一〇年)
「ブルーコミックス論」36 金子節子『青の群像』(秋田書店、一九九九年)
「ブルーコミックス論」35 原作李學仁・漫画王欣太『蒼天航路』(講談社、一九九五年)
「ブルーコミックス論」34 原作江戸川啓視、漫画石渡洋司『青侠ブルーフッド』(集英社、二〇〇五年)
「ブルーコミックス論」33 原作江戸川啓視、作画クォン・カヤ『プルンギル―青の道―』(新潮社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」32 高橋ツトム『ブルー・へヴン』(集英社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」31 タカ 『ブルーカラー・ブルース』(宙出版、二〇一〇年)
「ブルーコミックス論」30 立原あゆみ『青の群れ』(白泉社、一九九六年)
「ブルーコミックス論」29 高田裕三『碧奇魂 ブルーシード』(新装版講談社、二〇一〇年)
「ブルーコミックス論」28 秋里和国『青のメソポタミア』(白泉社、一九八八年)
「ブルーコミックス論」27 やまむらはじめ『蒼のサンクトゥス』(集英社、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」26 原作・高山 路爛、漫画・やまだ哲太『青ひげは行く』(集英社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」25 柳沢きみお『青き炎』(小学館、一九八九年)
「ブルーコミックス論」24 島本和彦『アオイホノオ』(小学館、二〇〇八年)
「ブルーコミックス論」23 石川サブロウ『蒼き炎』(集英社、一九九〇年)
「ブルーコミックス論」22 志村貴子『青い花』(太田出版、二〇〇六年)
「ブルーコミックス論」21 羽生生純『青(オールー)』(エンターブレイン、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」20 入江亜季『群青学舎』(エンターブレイン、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」19 さそうあきら『さよなら群青』(新潮社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」18 篠原千絵『蒼の封印』(小学館、一九九二年)
「ブルーコミックス論」17 木内一雅作・八坂考訓画『青龍(ブルードラゴン)』(講談社、一九九六年)
「ブルーコミックス論」16 松本充代『青のマーブル』(青林堂、一九八八年)
「ブルーコミックス論」15 やまじえびね×姫野カオルコ『青痣』(扶桑社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」14 やまじえびね『インディゴ・ブルー』(祥伝社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」13 よしもとよしとも『青い車』(イースト・プレス、一九九六年)
「ブルーコミックス論」12 松本大洋『青い春』(小学館、一九九三年、九九年)
「ブルーコミックス論」11 鳩山郁子『青い菊』(青林工藝社、一九九八年)
「ブルーコミックス論」10 魚喃キリコ『blue』(マガジンハウス、一九九七年)
「ブルーコミックス論」9 山本直樹『BLUE』(弓立社、一九九二年)
「ブルーコミックス論」8 山岸涼子『青青の時代』(潮出版社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」7 白山宣之、山本おさむ『麦青』(双葉社、一九八六年))
「ブルーコミックス論」6 狩撫麻礼作、谷口ジロー画『青の戦士』(双葉社、一九八二年)
「ブルーコミックス論」5 安西水丸『青の時代』(青林堂、一九八〇年)
「ブルーコミックス論」4 佐藤まさあき『蒼き狼の咆哮』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」3 川本コオ『ブルーセックス』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」2 序 2
「ブルーコミックス論」1 序 1