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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話256 成光館版『名作落語集』と金園社

河野書店関連が続いたので、ここで成光館書店の一冊にもふれておきたい。

本連載194214などにおいても、成光館の出版物を取り上げてきた。『全国出版物卸商業協同組合三十年の歩み』では成光館は河野書店の前身とされているが、これは特価本卸問屋としての呼称の推移で、二代目の河野清一に引き継がれてからも、出版部門は河野書店と成光館の使い分けがなされていたと見なしていい。ただその使い分けのはっきりとした基準は不明である。

しかしそのことはひとまず置くにしても、この河野書店と成光館が刊行した出版物は点数的にも量的にも膨大なものに及ぶと考えられる。それらは講談、浪花節、落語などの大衆芸能から辞典、書簡文に至るまで、また他の版元の焼き直し本、譲受本、造り本といった広範な領域に及んでいて、河野書店と成光館だけでもそれだけの種類を挙げられるのだから、全国出版物卸商業協同組合に属したり、それらのグループ傘下にあった出版社が刊行した書籍をトータルに考えれば、講談社や新潮社の全書籍を確実に上回ることになるだろう。さらにそこには雑誌に加え、貸本からコミックまでが含まれているのだから。だがそれらはすでに大半が散逸し、国会図書館にも収蔵されていないものが多く、コミックなどの一部の分野は別にしても、ほとんど研究も収集もされてこなかったこともあり、全貌を把握することはもはや限りなく困難だと思われる。

その成光館の落語に関する本を、やはり三島の北山書店の閉店セールで見つけたのである。それは菊半截判八百余ページに及ぶ『名作落語集』で、昭和九年に定価一円として出版されている。発行者はもちろん河野清一である。これは「探偵白浪篇」と「剣俠武勇篇」の二篇が収録されていて、ノンブルから両者の合本だとわかる。出版社は不明だが、以前にそれぞれが単行本として出され、それらが合本となって、成光館版『名作落語集』となって再度お目見えしたのではないだろうか。

内容は桂文楽、三遊亭金馬、柳家小さん、橘家円蔵などの師匠とその門下たちが揃い、五十席ほどの人情噺というよりも講談落語が総ルビつきで収録されていて、当時のまだ続いていた講談と落語の未分化を示していることになるのかもしれない。

私は以前に「講談本と近世出版流通システム」(『古本探究』所収)を書き、講談本の出版の雄が全国出版物卸商業協同組合の大川屋だったことを指摘しておいた。明治十八年に出版を始めた大川屋は全国の取次や書店のみならず、貸本屋、絵草紙屋、露店商、高町商人を取引先とし、大川屋の出版物を扱わないと商売にならないとまでいわれたという。そして大正になって立川文庫の時代を迎え、講談本などを大川文庫、八千代文庫、桜文庫と文庫化して刊行し、これらも好評を博したと伝えられている。
古本探究

さてそれらはともかく、昭和円本時代に講談社の『講談全集』が出ているが、これは大川屋などが出版した講談本を収集し、それをリライトしたものなのである。しかし昭和初期にはそれらの講談本は容易に入手できず、全国各地の古本屋や貸本屋にまで足を延ばし、収集したとされている。

それまでの事情の一端については『講談社の歩んだ五十年』に語られているけれど、ほぼ同時に刊行された『落語全集』に関しては何の言及もない。だが『講談全集』と同様の経緯をたどって出版に至ったと想像してかまわないだろう。そうした流れを受けて、成光館などの落語本も再び刊行されるようになったのではないだろうか。『名作落語集』の編者は名作落語集刊行会とあり、検印のところには「前田」という判が押されていることからすれば、この「前田」なる人物が名作落語集刊行会の代表者と判断していい。この人物を探すために、関根黙庵の『講談落語今昔譚』(東洋文庫)などに目を通してみたが、時代のタイムラグゆえか、彼の名前は見当らなかった。

講談落語今昔譚
しかし講談社の『落語全集』から成光館の『名作落語集』が編まれていく過程で、今の言葉でいえば、落語とその世界に通じ、落語家とも親しく交流できる出版プロデューサー的な企画編集者が生まれていったのではないだろうか。それでなければ、このような落語と落語家の多様なアンソロジーの編集と出版は難しいようにも思われるからだ。

『全集叢書総覧新訂版』を繰ってみると、講談社は昭和二十九年に戦後版の『落語全集』を出し、金園社が昭和三十五年、四十七年の二回にわたって、『落語全集』を刊行しているとわかる。

全集叢書総覧新訂版

講談社の戦後版は『落語全集』と同様に、円本時代の焼き直しであることは明らかでが、金園社のふたつの全集は、成光館の『名作落語集』に代表される全国出版物卸商業協同組合に属する出版社の落語集の総集版といえるのではないだろうか。なぜならば、金園社は大川屋、河野書店、春江堂と並ぶマツキ書店の後身である。マツキ書店は博文館出身の松木玉之助によって創業され、月遅れ雑誌の販売から始め、卸や出版へとも進出し、春江堂出身の二代目の久保木春吉が養子に入り、さらに成長させたとされる。また彼は昭和二十七年に結成された全国出版物卸商業協同組合の初代理事長を務めてもいて、『出版人物事典』でも立項されているので、間違いはあるにしてもそれを引いておこう。
出版人物事典

 [松木春吉 まつき・はるきち] 一九〇六〜一九七八(明治三九〜昭和五三)金園社創業者。福島県生まれ。一九三三年(昭和八)書籍雑誌卸業マツキ書店を創業、訪問販売のほか、『月報』と称するPR誌を発行、台湾、朝鮮の書店とも取引きした。かたわら出版も行い、四八年(昭和二三)株式会社金園社とした。『小鳥の飼い方』を第一号に明るいオレンジカバーで知られた実用書の出版を続け、実用書専門出版社として知られるようになった。

しかし金園社は単なる実用書専門出版社ではなく、金鈴社、創人社と別名で多彩な出版を展開し、本連載209でふれたように、矢野文夫訳のボードレール『悪の華』も金鈴社から刊行されているのである。また創人社の翻訳出版に関しても拙稿「松本泰と松本恵子」(『古本探究』所収)で取り上げている。これらの出版物については戦後編で、さらに論じるつもりである。

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