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古本夜話259 三芳屋書店、加藤緑葉『新時代の青年書翰文』と佐藤緑葉

もう一冊の書翰文にふれてみる。それもやはり特価本業界の出版社の三芳屋書店から出されたもので、その奥付に昭和十四年二月発行と記された、加藤緑葉の『新時代の青年書翰文』である。これは今まで挙げてきた書翰文の本と異なり、四六判並製、四百ページ弱で、しかも巻末七十余ページはペン字による実例「はがき用文」となっているために、ガリ版印刷のようなイメージを与え、その造本と相俟って粗末な感じのする一冊の印象を否定できない。

だが版元の三芳屋書店は『全国出版物卸商業協同組合三十年の歩み』において、大川屋、河野書店、春江堂などと並んで、一ページ扱いで紹介されている老舗である。その二代目神谷潤一によれば、創業者の神谷竹之輔は明治十六年に芝三田三丁目に生まれ、三十二年に出版を始め、大正七年に日本橋区馬喰町に移転し、出版物は落語、浪花節、講談、映画書など二百点を超えたという。しかし関東大震災で店も紙型も全焼し、十二年に浅草区南元町に活版所を建て、小山内薫を主幹とする『映画新潮』を発行し、温泉場の旅館や土産物屋も含めた地方卸の仕事も兼ねていたとされる。このような販売ルートはつげ義春が「義男の青春」(『義男の青春・別離』所収、新潮文庫)で描いていた、温泉場の土産物屋への春画の売りこみのシーンを彷彿させる。
義男の青春・別離

それはともかく、本と出版社のことに限れば、これまでの説明でほとんどが語られ、『新時代の青年書翰文』は要するに特価本屋が出した、取るに足らない一冊の実用書ということで終わってしまうであろう。

しかし著者の加藤緑葉について考えてみると、それだけの表層のことだけでは終わらず、このありふれた一冊にも物語が秘められているように推測されるので、それらを書いておきたい。

まず書名であるが、これは表紙と扉には『新時代の青年書翰文』となっているけれども、目次と本文には『新時代の口語青年書翰文』と記され、最初の版には「口語」がタイトルに付されていたとわかる。おそらく初版は「新時代」とあるように、様々な新しい動きが多発していた大正時代、「口語」がまだキャッチコピーとなる時代に出されているのではないだろうか。博文館の『新青年』の創刊が大正九年だったことも想起されたい。またタイトルに「書翰文」なる言葉が組まれ、さらに本連載244で取り上げた冨山房の『書翰文講話及文範』が何ヵ所も引用されているように、この大正初期のベストセラーに対抗する「口語青年書翰文」の試みとして出版されたように思える。

その際には巻末のペン字による実例「はがき用文」は付されておらず、昭和初期の再版にあたって加えられたのであろう。なぜならば、その実例「はがき用文」に一ヵ所だけ昭和三一月一日という年月日が入っているからだ。それらのことを含んで考えると、昭和十四年の『新時代の青年書翰文』は少なくとも三回目の出版だったことになる。「口語」がタイトルからカットされたのは、それがもはや新鮮な意味を持たなくなっていたからであろう。

しかもその三回目の出版者が誰だったのかも気にかかってくる。発売所は確かに東京市浅草区蔵前の三芳屋書店となっているが、発行者は三芳屋の神谷潤一ではなく、神田区神保町の佐藤昌次とある。これは三芳屋の支店住所と責任者名と見なすべきではなく、佐藤なる人物が発行者で、三芳屋はただ発売所を引受けたことを示唆しているのではないだろうか。そのことを告げるように、三芳屋の名前は奥付に記されているだけで、背にも表紙にも本扉にも見当らない。

そしてここに著者の加藤緑葉とは何者なのかという疑問が浮かび上がってくる。書翰文出版が盛んだった同時代の文学者に、彼と一字ちがいの佐藤緑葉がいる。もっともポピュラーな人物ではないので、『新潮日本文学辞典』の立項を引いてみよう。
新潮日本文学辞典

 佐藤緑葉 さとうりょくよう 明治一九・七・一〜昭和三五・九・二(一八八六〜一九六〇)小説家、詩人、翻訳家。本名利吉。群馬県生れ。早大英文科卒。在学中、同期生の若山牧水、土岐善磨、安成貞雄らと北斗会を結成。大杉栄らの「近代思想」に協力し、大正三年ラムスズスの翻訳『人間屠殺所』を連載。散文詩と小品集『塑像』(大三刊)、社会小説『黎明』(大一〇刊)を刊行。また、牧水との交流から、その精神的雰囲気を詳細に伝えた評伝『若山牧水』(昭和二二刊)がある。晩年は法政大、東洋大などで教鞭をとった。

佐藤に関しては『日本近代文学大事典』にこの三倍以上に及ぶ長い立項、また唯一の作家論である伊藤信吉の『佐藤緑葉の文学』(塙書房)が出されている。そして後者には佐藤の「執筆・発表作品目録」「主要著作目録」「略年譜」の収録もあるので、佐藤と特価本業界との関係を考えてみたが、『塑像』は春陽堂、『黎明』は新潮社、クロポトキンの馬場孤蝶、森下岩太郎との共訳『露西亜文学講話』(後に『露西亜文学の理想と現実』と改題)はアルスなので、三芳屋は見えてない。なお森下岩太郎は本連載94で取り上げた森下雨村、後の『新青年』の編集長であり、緑葉と雨村がクロポトキンの共訳者だったことになる。ただ散文詩運動をともにした福永挽歌の師集『習作』が、前回ふれた岡村書店=岡村盛花堂からの刊行だという事実を目にしただけで、出版社から『新時代の青年書翰文』への手がかりはたどれなかった。

日本近代文学大事典 佐藤緑葉の文学

伊藤の佐藤論でも「緑葉」のペンネームの由来は述べられていない。だが同時代に同じ「緑葉」を用いた加藤なる人物がいたという事実は、加藤が佐藤に私淑していたか、もしくは近傍にいたことを物語っているのではないだろうか。この時代に佐藤は黒岩涙香の『万朝報』に勤め、大杉栄たちの『近代思想』に寄稿し、同人誌『近代芸術』を主宰し、法政大学の講師ともなっている。もちろん交際や面識があったかも不明であるにしろ、書翰文のような実用書であっても、佐藤にあやかろうとして、加藤は緑葉を名乗り、『新時代の青年書翰文』を出版するに至ったように思える

そのような背景があって、これまた佐藤昌次なる人物が、昭和十四年になって、再三の出版を試みることになったのではないだろうか。

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