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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話266 京文社、音楽書出版、松永延造『夢を喰ふ人』

前回に続いて、もう一回音楽書について書いてみる。といって私が音楽や音楽書に通じているわけではない。たまたまこれも後述するアルスの音楽書のところでもふれているけれど、均一台で音楽書を拾っているうちに、円本時代以後、音楽書がかなり多く出されるようになり、出版物の一分野を確実に形成するに至っていたのではないかと思うようになったからだ。

円本時代の音楽書といえば、春秋社の『世界音楽全集』が挙げられる。これは全九十四巻に及ぶ、楽譜を中心とする四六倍判の全集で、今でも古本屋で見かけることができるので、かなりよく知られていると思う。この全集の「月報」を見ると、当時の春秋社は音楽雑誌『ムジカ』や『古賀政男作曲集』全二冊、さらに「全大衆への音楽学校全科の大解放」と銘打った「世界音楽講座」全十六部まで刊行していて、春秋社は音楽専門出版社と錯覚してしまうほどだ。しかし春秋社も社史や全出版目録も刊行していないので、それらの詳細は不明のままである。ただ『世界音楽全集』は、そのうちの楽譜と異なる『音楽辞典』や『音楽図鑑』などが門馬直衛編となっていることから、この人物が編集の中心にいたのではないかと推測される。

この『ムジカ』や『世界音楽全集』の編集部を描いたものとして、当時実際に春秋社に勤務していた南政治による「青春の賦」(『栗と十五夜』所収、春秋社)があり、「創作」とされているが、意図せずして様々に興味深いエピソードが含まれている。だが今回は春秋社がテーマではないので、それらには言及しない。
栗と十五夜
さて春秋社の『世界音楽全集』は円本として、出版史にタイトルもよく挙げられているが、同時代にかなり広い分野にわたって音楽書を刊行した出版社があって、それはよく知られていないと思う。私にしてみても、その出版社の本は一冊しか持っていない。それは昭和四年に京文社から刊行された草川宣雄の『オルガン奏法の研究』(「音楽叢書」第六編)である。これは奥付に普及版で限定一千部出版、再版せずとの文言が見られる。ということは並製ではない上製本も別に出されているのであろう。

しかし驚くのはその巻末の二十ページに及ぶ広告で、ほとんどが『オルガン奏法の研究』と同様にシリーズなのである。それらをリストアップしてみる。全巻ではないにしても、巻数のわかるものはそれを示す。

 1 乙骨三郎、田辺尚雄、小林愛雄編輯 「音楽叢書」十三冊
 2 乙骨三郎、田辺尚雄、小林愛雄編輯 「音楽教育叢書」九冊
 3 弘田龍太郎作曲 『童謡小曲選集』全二十四冊
 4 中山普平作曲 『新作小学童謡』全十二冊
 5 弘田龍太郎作曲 『新作児童唱歌』全十二冊
 6 草川信 『童謡作曲集』全十二冊
 7 大和田愛羅 『唱歌作曲集』全二冊
 8 室崎琴月 『童謡作曲集』全二冊
 9 吉丸一昌作 『合輯新作唱歌』全一冊
10 日本児童音楽協会編 『昭和新曲選』全十二冊

1と2はそうではないにしても、3、4、5は竹久夢二、6は井上正春、7は恩地孝四郎、9は武井武雄装画で、いずれも大半が四六倍判美装と記されていることからすれば、これらも広義の意味において、児童書と見なすべきではないだろうか。実物は未見であるけれども、そのように判断してかまわないように思われる。

しかしこれらについて、児童書の出版史はもちろんだが、『日本児童文学大事典』にも瀬田貞二の『落穂ひろい』(福音館書店)にも、まったく手がかりはつかめない。それは音楽書の出版史が提出されていないことにもよっているけれども、児童文学史と出版史の盲点ともいえるかもしれない。楽譜集とはいえ、国会図書館にかなりの架蔵はあるにしても、これほどの点数の出版はどこに消えてしまったのであろうか。
落穂ひろい
それでも出版社の京文社のことはかろうじてたどることができる。その住所は神田区淡路町で、発行者は鈴木芃とあり、「関西売捌所」として柳原書店の名前が奥付に掲載されている。それは京文社の関西における取次は柳原書店が独占していることを意味し、京文社の流通販売ルートの独自性をうかがわせてもいる。

その理由は、京文社が『全国出版物卸商業協同組合三十年の歩み』に登場している出版社であったことに求められるのではないだろうか。同書が伝えるところによれば、関東大震災後の大正十三年に現金市の開催を目的として、東京地本彫画営業組合が東京書籍商懇話会として改称され、特価本業者たちが中心となり、そこに円本時代が始まり、二百万冊を超える円本のデッドストックが流れこんできた。

それを受けて、同会の様々な市会が活発に開かれるようになり、そこで業界の若手たちが昭和八年に独自の市会を持とうとして、二十日会を結成する。それは毎月二十日に市を開催することから命名された。そのメンバーはこれまで言及してきた河野清一(河野書店)、松木春吉(マツキ書店)、坂東恭吾(帝国図書普及会)、神谷潤一(三芳屋)、大川綻吉(大川屋)たちで、そこに金子専一郎(京文社)の名前も見出されるのである。出版物の発行者名が金子ではなく、鈴木芃となっているのは鈴木が京文社の出版部門の責任者、担当者であることによっているのだろう。

また京文社は近代文学史のマイナーな作家の出版社としても顔を見せている。それは松永延造の『夢を喰ふ人』で、京文社から大正十一年に出版されている。この特異で先駆的な心理小説は草野心平の尽力と解説を得て、半世紀後の昭和四十八年に桃源社から復刻に至り、また六十三年には北宋社からも出版されている。

夢を喰ふ人 (桃源社版)

しかしそれからさらに半世紀近くが過ぎているけれど、京文社についての発見は何ももたらされていないように思われる。音楽書と先駆的な心理小説の出版の組み合わせから考えても、京文社に対する関心は募るばかりだ。

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