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古本夜話267 帆刈芳之助編著『波瀾曲折巨人の語る人生観』

特価本業界の著者や編集者は不明の人々が多いけれども、よく知られた人物も混じってはいる。ただ著者によってはそれが名義貸しの可能性も否定できないようにも思える。

ここに帆刈芳之助を著者とする一冊がある。それは『波瀾曲折巨人の語る人生観』で、昭和八年に発行人を佐勝藤次郎として、神田区表猿楽町の大京社から出されている。私の所持するのは四六判七百余ページの箱入で、昭和八年七月発行、十月五版、定価二円四〇銭となっている。大京社と佐藤は『全国出版物卸商業協同組合三十年の歩み』に見えていないが、その造本と編集内容から、すぐに特価本業界の「造り本」だとわかる。

その編著者の「序」として、「本書は日本における代表的思想家の人生観を集大成したもの」で、「人生研究者の常識読本であれかし」と述べられている。そして夏目漱石に始まり、吉田絃二郎に終わる二十人の文学者や社会主義者の人生をたどり、それぞれの生き方に言及している。

だが「巨人」として政治家や経済人が選ばれていないこともあって、この一冊は「金を溜めたり、長生きしたりすることのみが、人間の真の幸福ではない」し、「畢竟人間の生活は内容によつて価値が定まるもので、金銭では算定のできぬもの」という基調低音に充ちている。文学者たちだけでなく、大杉栄や賀川豊彦といった社会主義者たちを取り上げていることも、そうしたモチーフによっているのだろう。

しかし特価本業界の「造り本」と見なされる書籍において、そのような理想の反映があることに今さらながら驚き、売れ行きは大丈夫だったのだろうかと心配になってしまうほどだ。奥付記述を信じるなら、三ヵ月で五版となっているので、それはクリアーしたと思いたい。ひるがえって現在を考えれば、現実にすぐに役立つ本、自己啓発書、役立つことはまずありえない占い本があふれていることと対照的であり、時代はむしろ後退しているような気にもさせられる。

さてここで編著者の帆刈芳之助に言及しよう。彼については本連載174「江原小弥太、越山堂、帆刈芳之助」でふれているが、ここでは『出版人物事典』の立項を紹介し、もう一度確認してみる。

出版人物事典

 [帆刈芳之助 ほかり・よしのすけ]一八八三〜一九六三(明治一六〜昭和三八)帆刈出版通信主宰者。新潟県生れ。早大中退後、(中略)時事新報、やまと新聞政治記者として活躍したが、一九二一年(大正一〇)独立、出版業越山堂を創業。『ナカヨシ』『少女界』『日本の子供』などの雑誌を発刊。また、江原小弥太の『新約』三巻や翻訳物などを出版したが、関東大震災で被災して廃業。二九年(昭和四)『出版研究所報』を創刊、戦時中の企業合同で同業紙と合併、『出版同盟新聞』と改題。戦後四六年(昭和二一)『帆刈出版通信』を創刊(昭和四一年廃刊)、終始出版報道と論説に尽くした。著者に『出版人の横顔』『文協改革史』などがある。

(『出版書籍商人物事典』第一巻『出版人の横顔』、金沢文圃閣)
近年になって、帆刈の入手困難であった『出版人の横顔』などが、出版学会員で元大阪屋の戸家誠の解題を添え、金沢文圃閣から復刻刊行された。私もこの復刻によって『出版人の横顔』を読むことができたのであるが、それで初めてこの一冊が昭和十六年に夏川清丸名義で、出版同盟新聞社から上梓されていることを知った。そして他ならぬ帆刈が『出版人物事典』に立項されているのも、彼の『出版人の横顔』がこの事典の範となっているからのように思えた。

これらによって新たに判明したことを記せば、帆刈は大正四年にささやかな書店を始め、八年に越山堂として生田春月の『日本近代詩集』『泰西名詩名訳集』、翌年に『全訳世界名著文集』『ハイネ全集』を刊行し、それまであまり歓迎されなかった詩集の出版を喚起させ、詩壇復興の燭光となったという。そして昭和に入り、出版ジャーナリストの道を歩んでいくことになるのだが、それとパラレルに、『波瀾曲折巨人の語る人生観』に示されているように、特価本業界の造り本の編著者も兼ねていたと考えられる。帆刈の著者として、『趣味の偉人伝』(大京社)や『貧乏を征服した人々』(泰文館)が挙げられているけれども、これらはやはり同じ「造り本」であるのではないだろうか。

これらの仕事に関して、ふたつの補注を加えることができる。帆刈は中学卒業後、秀英舎の活版職工だったこともあり、それを通じて出版業界に接近し、後に書店や出版社を始めることになったのであろう。新潮社の佐藤義亮も同じ過程をたどっていたからだ。また帆刈の越山堂が刊行した詩集や児童雑誌の世界は、在庫や返品月遅れ雑誌の処分と絡んだ資金繰りを通じて、特価本業界の近傍にいたはずであり、帆刈は必然的にそれらの仕事も請け負うことになったと思われる。

今回復刻となった『出版書籍商人物事典』に目を通していると、岡村庄兵衛(岡村書店)、酒井久二郎(淡海堂)、神谷泰治(大京堂)、坂東恭吾(帝国図書普及会)、土屋右近(信明堂)、松浦貞一(松要書店)、磯部辰次郎(甲陽堂)、荻原一男(荻原星文館)などの名前を散見できる。それらの記述には帆刈が特価本業界にかなり通じていたことが見てとれる。おそらく彼らとは出版社時代の在庫や返品月遅れ雑誌の処分、「造り本」の編集などを通じて知り合っていたのではないだろうか。

『日本古書通信』の十一月号から一月号に三回連載の八木書店の八木壮一へのインタビュー補足として、特価本業界に関する論考を八編ほど書いてみたが、こちらの出版の世界も奥深く、ラフスケッチになってしまった。だが既述したように、以前にかなりの量を書いているので、しばらく間を置き、また続けてみることにする。
日本古書通信 十一月号  

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