出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話268 尾山篤二郎、「稿本叢書」、紅玉堂書店

前回で とりあえず特価本業界絡みの言及を終えたのだが、そのうちの本連載255「金児農夫雄、素人社書屋、矢部善三『年中事物考』」に関してだけ、補足の一編を書いておきたい。

そこで素人社書屋が出版物などから類推し、紅玉堂書店と並んで、東雲堂書店グループに属していたのではないかということ、尾山篤二郎の『評釈平賀元義歌集』や『鑑賞長塚節歌集』などを刊行していることにふれておいた。

そして東雲堂の西村辰五郎=陽吉が大正十四年に学参の学習社を設立し、その役員に就任したことを契機として、もちろん関東大震災による壊滅的被害も重なり、東雲堂を始めとする文芸書出版は次第に縮小に向かい、紅玉堂や素人社も含め、昭和十年頃に実質的に終わっていたのではないかという推測も述べておいた。

またこれも「安成二郎と『女の世界』」(『古本探究3』所収)で既述しているが、保篠龍緒訳の「アルセーヌ・ルパン叢書」を出していた金剛社も、やはり東雲堂グループにいたはずで、こちらも同じような道をたどったと思われる。
古本探究3

そうした流れは出版物に顕著で、大正十五年に刊行された若山牧水の『別離』の奥付にはっきりと表われている。こちらも拙稿「西村陽吉と東雲堂書店」(『古本探究』所収)で既述しているが、『別離』は明治四十三年に東雲堂から出された牧水の第三歌集である。したがって大正十五年版は実質的に何度目かの重版と考えていい。しかし菊半截判はそのままだが、装丁と奥付は様変わりしている。
古本探究

初版の奥付の発行者は東雲堂の創業者で、陽吉の義父にあたる西村寅次郎だった。ところが大正十五年版は西村辰五郎と前田隆一の二人で、しかも前田は印刷者も兼ねている。前田は紅玉堂の前田夏村である。それらのことを示すように、発行所は東雲堂、発売所は紅玉堂と明記され、しかも住所は両者とも日本橋区檜物町九番地と同じであることからすれば、ほぼ合併していると考えていい。それも発売所が紅玉堂であること、及びかつての東雲堂の出版物を含んだ巻末広告がすべて紅玉堂刊行となっていることは、東雲堂と西村が歌集やその関連書の出版を、紅玉堂と前田へと移行させていた事実を意味している。

つまり出版業態として、東雲堂を紅玉堂へと吸収させ、西村の出版を前田へと委ねたことになる。そうした転換が大正十五年前後に起きていたことを、この奥付は物語っている。昭和円本時代が立ち上がっていくかたわらで、西村はもはや東雲堂のような歌集を中心とする文芸書出版が成立しないことを本能的に察知していたのかもしれない。

その一方で、円本時代の出現を見て、円本的な歌集出版を構想した人物がいた。それは大正時代に主として東雲堂から歌集を上梓し、『別離』の巻末広告にもその『処女歌集』が掲載されている尾山篤二郎だった。彼はやはり紅玉堂刊行書として、歌集などが挙がっている松村栄一と最初の歌壇総合誌『短歌雑誌』の編集に携わっていて、そのような流れの中に東雲堂や紅玉堂の出版物も位置づけられるのである。

そしてこれは『日本近代文学大事典』の尾山の項を読んで知ったのだが、彼は昭和二年に国書稿本叢書刊行会を起こしている。それを読み、よくわからない円本として放置しておいた「稿本叢書」の端本のことを思い出した。そこで探してみると、その第二巻の斎藤彦麿『蘆仮庵集』が出てきた。四六判上製箱入で、昭和四年に出され、それは確かに編纂者は国書稿本叢書刊行会代表者尾山篤二郎となっている。

日本近代文学大事典

奥付に発行者と印刷社は前田隆一とあるように、紅玉堂からの発売で、発行は国書稿本叢書刊行会と記されているが、両者の住所は同じ日本橋通三丁目二ノ六との記載からすれば、「稿本叢書」の刊行のために便宜的に設けられた名称だとわかる。また「頒価 金二円三〇銭」の表示はこれが予約出版であることを伝えている。さらに付け加えれば、住所の独立から考えても、この時点ですでに東雲堂は紅玉堂とへと吸収されていたと思われる。

この著者の斎藤彦麿については『日本古典文学大辞典簡約版』(岩波書店)に立項されているが、ここでは尾山だと思われる校訂者が記した「はしがき」による。斎藤は明和五年三河矢作村に生まれ、十三歳にて江戸に出て、元服に際し伊勢貞夫の門に入り、二十二歳で初めての著述をなす。二十五歳で本居宣長の門に入り、二十九歳の時に予て断絶せる斎藤家を再興し、石見浜田の松平周防守親子に仕え、江戸に住し八十七の高壽を得て、安政元年三月没す。彼の号は蘆仮庵とあるので、歌集がそれに基づいているとわかる。それらの歌について、いくつか引用しようとも考えたが、私のおぼつかない素養によって誤解を招くことになってはいけないので、それは止め、「はしがき」に見える斎藤と歌に関する紹介を示しておくことにする。

日本古典文学大辞典簡約版

 歌は縁語懸詞を好み、古体近体混交の遊戯的なものにて、惣じて感心出来ざるものなり。こは少にして狂歌師季鷹に就き、また山東京伝その他の戯作者と深き友誼を致せし雑学者彦麿としては当然のことなるべく、唯語豊富にして極めて自在なるは、流石に翁の学殖の深きを忍ばしむるものにして、貞丈に考証の学を、宣長に古学を学び神道を学びし面影のいまだ失はれずして遺れるものなるが如し。

このような彦麿のプロフィルと、『蘆仮庵集』編纂は三河西尾の岩瀬文庫の自筆本によることを知ると、同じく三河出身の森銑三を思い浮かべてしまう。彼も彦麿のことを書いているだろうか。いずれそれを確かめてみよう。

さて「稿本叢書」刊行のことに戻ると、これは何冊刊行予定だったのか、また『全集叢書総覧新訂版』にも記載がなく、何冊出されたのかもわからない。しかし第二巻の著者と内容から考えれば、第一、二巻を含めて、数冊出ただけで終わってしまったのではないだろうか。このような企画こそは、円本時代の出版の影の部分を形成していたと思われる。

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