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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話269 矢貴書店、桃源社、『澁澤龍彦集成』

前回で特価本業界と全国出版物卸協同組合に属する出版社の本に関してはひとまず終えるつもりでいたのだが、もう少し続けてみることにする。それは『全国出版物卸商業協同組合三十年の歩み』をまたしても読んでしまい、あらためて様々なことを教えてくれたことに加え、やはり戦前だけでなく、戦後へとつながっていく系譜を示しておくべきだと思ったからだし、以前に書いた論考もすべてではないにしても、この機会に提出しておいたほうがいいと判断したことによっている。

『三十年の歩み』の第三部は「組合を担う人々」と題され、昭和五十五年度における組合員五十四社の紹介がなされている。その中に新刊書籍の取次を主業種とする新泉社があり、代表者は矢貴東司、昭和二十七年創業で、「従来は桃源社の文芸出版の新刊注文などを扱っていたが、今後は他社の出版物も拡大販売の方針である」との言が掲載されていた。
矢貴東司に関しては第一部の戦前の日配時代のところに、次のような記述があった。

 新泉社矢貴東司は川口松太郎の『歌吉行列』『愛染かつら』を発行して業界の出版にもデビューしたが、とくに『愛染かつら』は昭和十五年の映画化とともに、戦時下になっても全国津々浦々で愛読されました。『愛染かつら』は驚異的な部数を売りつくしたといわれるが、こうした関係で日配設立後も矢貴氏の出版物は大量に外神田営業所に搬入され、業界を通じて全国の販売業者に売りひろめられました。

愛染かつら (愛染かつら、 DVD)
そればかりでなく、新泉社は出版企業整備の対象とならず、深川門前仲町に小売部と倉庫、富岡町に本店と出版部を設けていた。これらの事実を考えると、日配の統制下にあっても、新泉社は出版社、取次、書店の三者を兼ね、特価本業界独自の流通販売を営んでいたようだ。矢貴は大正十二年に矢貴書店を創業し、昭和十五年に出版部を設け、出版も始めている。その矢貴書店の本は一冊しか入手していない。それは昭和十六年の船橋聖一随筆集、『多感』だが、その他にも多くの出版物を刊行していたはずだ。それにしても、『愛染かつら』の版元が矢貴書店だとは知らなかったし、どうして講談社の『婦人倶楽部』に連載された小説を矢貴書店が出版できたのだろうか。

それはともかく、戦後の昭和二十六年になって、矢貴書店は改組されて桃源社となり、それに伴って取次の新泉社も設立されたと考えられる。つまり桃源社は出版、新泉社が取次という仕組みで、新刊書店ルートとは別の流通販売を構築する目的を有していた。具体的にいえば、全国出版物卸協同組合に関係する古本屋や貸本屋がその主たる取引先だったと思われる。そして昭和三十年代に、桃源社の出版活動は全盛を迎えていたのではないだろうか。『昭和大衆文学全集』『新撰大衆小説全集』 なども刊行しているし、手元にある昭和三十年発行の宮本幹也の『合本魚河岸の石松』第二巻掲載の「好評書・近刊書」リストを見ると、長谷川伸白井喬二子母沢寛に始まる時代小説が百冊ほど並んでいる。これらの作品が貸本屋のベストセラーであったことはいうまでもないだろう。

ここまできて、ようやく私なりの桃源社体験を語ることができる。私たちの世代にとって、桃源社は何よりも『澁澤龍彦集成』の版元の印象が強い。昭和四十五年に一気に出て、それらのグリーンの箱入の全七巻は、当時どこの古本屋にも一割引の値段で並んでいたので、一冊ずつ買い求め、繰り返し読みふけった。そして澁澤経由で、フランス異端文学やオカルティスムを始めとして、多くのことを学んだ。人名は挙げないけれど、私と同じような経験を有している同世代の読者はかなり多いと思う。その意味で、彼は私たちの世代の知識や情報の優れた水先案内人だったことになり、『澁澤龍彦集成』はまさにその役目を果たし私たちの世代に対する贈物、及び時宜を得た企画だったと、今になってそう実感する。
澁澤龍彦集成
近年になって、「雑文家」と自称した草森紳一の死で切実に迫ってきたのは、アカデミズムに属さない雑文家たちの本も含めた存在が、出版や文化を活性化させていたのではないかという感慨であった。不遜なことをいえば、埴谷雄高花田清輝吉本隆明もアカデミズムによらない雑文家と見なすこともできるのだ。もちろんそれらの一人に、澁澤も加えることができる。

そのことを象徴するかのように、彼らは大手出版社からではなく、草森は多くの小出版社、澁澤は桃源社、埴谷や花田は未来社、吉本は現代思潮社勁草書房から主著を刊行していた。それは文学や思想の分野だけにとどまらず、映画や美術や演劇も同様であり、在野の見巧者たちと様々なリトルマガジンによって支えられていたように思える。それを横断し、代表するのは澁澤の存在であった。

だが『澁澤龍彦集成』によって、初めて渋澤を知ったわけではない。私が古本屋に出入りし始めた頃から、彼の桃源社の本は古本屋に並んでいた。それらはA5判、箱入の『毒薬の手帖』『黒魔術の手帖』『サド選集』で、シックで独特の装丁と造本は異彩を放っていたが、昭和三十八年発行の二冊の『手帖』の定価は八百五十円だったことから、古書価もそれなりに高く、買えなかった。だから一冊に何冊分も収録された千円前後の『集成』は安く感じられたのである。

毒薬の手帖 黒魔術の手帖 サド選集

桃源社は主として戦前の矢貴書店の流れを引き継ぐ大衆小説や時代小説で地盤を固め、どのような経緯があったのかはわからないが、澁澤の著作や翻訳を刊行するようになった。それらの奥付の発行者は矢貴昇司とあり、この二代目の人物が大衆文学研究者の八木昇だと後に知ることになる。このことは本連載で後述するつもりだ。

そして桃源社の本は取次の新泉社を通じて全国の古本屋へと配本され、とりわけ『集成』の普及は、澁澤の後年の人気を博する何よりの要因となったように思われる。したがって広い意味では桃源社のみならず、澁澤龍彦も全国出版物卸協同組合によって育てられたことになる。この組合も正規の出版ルートから見れば、異端であるから、澁澤との組み合わせはふさわしいものであったともいえよう。

なお、念のために申し添えれば、ここで取り上げた新泉社は、昭和四十三年に小汀良久によって創立された出版社の新泉社とは同名であっても何の関係もない。

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