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混住社会論7 北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)

 


大江健三郎『万延元年のフットボール』における村も、スーパーの進出後には郊外へとその道筋をたどり、『飼育』から続いていた村は、おそらく幻の村と化してしまったと思われる。
万延元年のフットボール 死者の奢り・飼育

私は『〈郊外〉の誕生と死』の「序」を「村から郊外へ」と題し、一九五〇年代から九〇年代にかけての風景の変容を通じ、農村が郊外消費社会へと移行していった事実を提出しておいた。

〈郊外〉の誕生と死

拙著では言及しなかったが、ひとりの写真家がやはり七〇年代から八〇年代にかけて、村と郊外の風景を続けて撮っていた。それは二冊の写真集『村へ』『フナバシストーリー』へと結実する。これらはまさに「村から郊外へ」至る同時代のビジュアルな記録となっている。その写真家は北井一夫である。

『村へ』はB5判よりもやや小さい判型で、写真集ゆえにノンブル表記はないが、四百ページに及ぶソフトカバーの一冊で、そこに凝縮されたモノクロ写真は、もはや失われてしまったといっていい農村、山村、漁村の風景の集積であり、いずれもどこかで見たような記憶を伴い、見る者に迫ってくる。北井によれば、これらの写真は七三年から七九年にかけて、「村々を歩きながら撮りつづけてきたもの」だという。

ここで私たちはまず北井が村々の写真を撮り続けていたその七〇年代において、戦後の日本が消費社会へと向かいつつあったことを想起すべきだし、その時期に、かつての第一次産業の現場に他ならない村々はバニシングポイントを迎えようとしていた。それらの風景の消滅の寸前に立ち会っているかのように、写真が撮られ、それらは複製技術のありふれた風景であるにもかかわらず、かけがえのないアウラが秘められているかのようだ。

全国の村々の各地から、田や畑、道と家、山と森と馬、多くの民家とその内部、そして何よりもその中で生活している人々の姿が召喚されている。その村々で彼らが生まれ、成長し、婚姻し、子どもをなし、老いて死んでいく生活もまた浮かんでくるかのようだ。家で生まれ、家で死ぬ。結婚も葬式も家で営まれる。それは村で生き、村で死んでいくことを意味していた。そのような時代が終わろうとしていたのである。それゆえにこの北井の『村へ』という写真集は現在の時点から見ると、村々への挽歌、比類なき追悼写真集のように思えてくる。

どの村々も数百年の時間を重ね、四世代の混住を前提として、長きにわたって営まれてきたはずだったにもかかわらず、その大半がおそらく現在では高齢化が進んだ、所謂限界集落化しつつあると考えられる。それにここに写されている、その土地の大工によって建てられた民家は、ほとんどすべてが消滅してしまったことだろう。そしてその代わりに出現したであろう住居は、農山漁村のエトスを伝える民家ではなく、全国的に共通するマイホーム、つまり一般住宅だったにちがいない。そのようにして近代の風景は現代のそれへと転化していったし、そこに戦後社会の成熟が投影されていたともいえるのである。

しかし北井の村への眼差しはそこで途切れてしまったのではなく、そのような村々の風景が消滅した後の風景にも向けられ、それが『フナバシストーリー』を形成することになる。彼は全国の村々を撮り続けるかたわらで、ずっと「フナバシ」に住み、長きにわたって「造成地と建築工事中の風景」を見続けてきたようだ。その証言を聞いてみよう。

 千葉県船橋市に住むようになってからもう一八年になり、その間に、あたりのようすも変わってきた。畑や田んぼが住宅地になり、森がスーパーや駐車場になった。農道に整備された舗装道路が走り、道端に繁っていた夏草が造成地のブタ草になって、歩きながら何気なく見ていた樹木が高層団地やマンションに変わった。
 電車から見える東京周辺都市の眺めは、どこも船橋で見るのと同じように見る。船橋市の人口の七五パーセントは、新興住宅地に生活する新住民といわれている。東京の周辺都市に家族をおいて生活する新住民は、船橋と同じような風景を見て、暮らしているのだろうと思った。

そして北井は写真を始めて二〇年になるが、見馴れていた人の生活とその場の風景も変わり、新たに出現した異物のような風景や生活は棘(とげ)々しく、写真をも断念したくなったとも告白している。そのような変化を私のほうに引きつけていえば、「村から郊外へ」の転換に伴って起きた様々な出来事と事象の総体と呼ぶことができよう。

『フナバシストーリー』にリストアップされた、船橋市における六〇年代から七〇年代にかけての団地の建設、入居時期、戸数を見ると、それらは十一ヵ所、二万二千戸に及んでいる。『日本住宅公団20年史』に示された首都圏の「規模別宅地開発地区分布」によれば、船橋市は東京から30km圏に位置し、同じく松戸市と並んで、六〇年代から最も開発が進んだ地域だとわかる。さらに船橋市の地誌を確認してみると、かつては成田山の宿場町、漁村、農村から構成されていたが、戦後になって海が埋め立てられ、多くの工場が進出し、野菜畑だった台地には私鉄が敷設され、日本住宅公団の団地が建設され、都市化が進んでいったと述べられている。

ここで一九五五年に設立された日本住宅公団にふれておけば、人口、産業の集中が激しく、住宅難となっている大都市を中心として、勤労者のために、団地や宅地開発を目的としてスタートしたわけだが、船橋市はそれとパラレルに歩んだ東京近郊都市の典型のひとつに数えられるだろう。

しかし『フナバシストーリー』にそのような船橋市前史をうかがわせる写真は織りこまれておらず、また現在の「フナバシ」に至る開発の風景も収録されていない。だが『村へ』には「葉裏」と題する、風にたなびき、強く揺れ、文字通り葉裏を見せている雑木林の三つの風景が、「千葉県船橋市」のキャプションを付せられている。その他にも千葉県として三里塚の田植えの光景、印旛沼の川魚漁師の姿が見られ、千葉県もかつては農山漁村だったことを伝えているかのようだ。

それらの代わりに『フナバシストーリー』には、団地の風景とそこでの生活の写真、及びそれらにまつわる聞き書き、エピソード、様々な物語が写真とつり合うように配置され、写真だけで成立する村の物語と異なり、写真と言葉によって『フナバシストーリー』がかろうじて成立することを教えてくれる。それは北井が団地や郊外の向こう側に、もうひとつの「故郷」や「村」を見出しているからだろうし、次のような言葉にも明らかだと思われる。

 昭和三〇年代入居開始の団地で、その頃に生まれ育った子供たちはすでに成人している。
「団地に育った子は、故郷がない。」
と、よく言われる。
 しかし、その子たちは、団地に幼児体験を持っている。そして、故郷を語る歳になった。
 砂場、鉄棒、ジャングルジム、ブランコ、すべり台のある団地の公園。集って、チ・ヨ・コ・レ・エ・トとかの遊びをした階段、手摺、踊り場、戸口。水遊びをした一階の蛇口。高く聳えていた給水塔。古びたエレベーター。高層からの眺め。団地にあるそれぞれの眺めは、団地に育った子供たちの故郷のイメージになる。

それは六一年に生まれた島田雅彦『優しいサヨクのための嬉遊曲』から語り始める郊外の風景と通底している。
優しいサヨクのための嬉遊曲

また北井は次のように語っている。

 農村や漁村で私が見てきた家族は、長男が一家の柱になった家族構成だった。今、船橋という、労働力を東京に提供している近郊都市は、村に定着することの出来なかった二男なり三男なりが、一家の柱となって朝早くから夜遅くまで働いている、そういう村なのだと思う。

私も『〈郊外〉の誕生と死』の中で、立松和平『遠雷』にふれた部分で、同様のことを書いている。しかしそれがあくまで疑似的な村でしかないことにも留意すべきだろう。なぜならば、本来の村とは田や畑、山や海を背景とする第一次産業の生活と労働の共同体であるからだ。
遠雷

北井もそのような村と団地の生活の差異について多くの問いを発し、それが写真よりも文章のほうへと強く投影されていることが印象的であり、そこでは新興住宅地特有の事件、新住民と旧住民の混住問題と価値観の相違、変化しない団地の内部と団地生活二代目の出現などが語られている。それと写真との共存、混住が『フナバシストーリー』『村へ』のコントラストともなっている。そこに彼の写真家としての、村から郊外へ至るシフトが示されているし、それは同時代の社会の変化をも告げていよう。

ここまで北井の「村から郊外へ」をたどってきたけれど、その後、彼がどこに向かったのか、まだ確かめるに至っていない。

なお北井は『アサヒカメラ』に発表されたこの一連の「村へ」で、七六年に第一回木村伊兵衛賞を受賞し、それは同年の十月号増刊『村へ』として、一本にまとめられ、これが淡交社版のベースとなっている。またそれに先立つ、六九年から七一年にかけて、北井は『つげ義春流れ雲旅』朝日ソノラマ)に大崎紀夫とともに寄り添い、やはり村々を旅していることを付け加えておこう。
つげ義春流れ雲旅

またこの一文を書いてから、絶版となっていた六興出版の『フナバシストーリー』が、『80年代フナバシストーリー』として冬青社から再刊されていることを知った。

80年代フナバシストーリー

次回へ続く。

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年))
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1