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古本夜話275 大川文庫と作者たち

前回既述したように、池田蘭子は『女紋』の中で、立川文庫は袖珍文庫を見て思いついたと書いているが、明治三十年代に東京の大川屋から出ていた大川文庫のことも念頭にあったにちがいない。大川屋については以前にも坪内逍遥の大川屋版『当世書生気質』に関して「講談本と近世出版流通システム」(『古本探究』所収)、また本連載257などでも言及してきたが、新しい資料を入手したので、重複せざるを得ない部分は生じるにしても、もう一度取り上げてみよう。

女紋   古本探究

『全国出版物卸商業協同組合三十年の歩み』に「大川屋の活躍」と題された一ページがある。再びそれによれば、弘化二年埼玉生まれの大川錠吉は年少時代に江戸に奉公に出て、深川で貸本屋を営んだ後、明治三年二十六歳で、浅草蔵前に出版業を立ち上げ、講談本を始めとして次々に刊行し、明治三十年代には七、八百種の出版物があったという。そして取次ルートによる書店はもちろんのこと、古本屋、貸本屋、荒物屋、玩具店、露店商などの多くに流通販売が及んでいた。だから自社営業も活発で、信玄袋に見本を入れ、九州から北海道に至るまで巡回していた。また「大川屋の活躍」には「大阪の立川文庫は有名だが、当時東京からも大川文庫が発行されていたことは、とかく忘れられて、かた手落ちの観がある」という、昭和三十二年の毎日新聞の投書が再引用されている。

私は大川屋の実物を目にしていないが、最近になって浜松の時代舎から、めずらしい大川屋の資料の恵贈を受け、ようやく大川文庫なるもののアウトラインがつかめたので、それを具体的に書いてみたい。

その資料は昭和二年九月に大川屋が出した特約販売店用の「秋季吉例大特価販売」パンフレットである。この号はたまたま文庫特売に当たっていたようで、一般書はわずか十一冊しか挙げられていない。そして「是れ迄に無い廉価大特売」という口上が述べられていて、当時の大川文庫の流通販売事情をうかがわせて興味深い。それは次のようなものだ。

 謹啓毎々格別の御引立を蒙り有難厚く御礼申上候偖例年の通り本秋の図書販売好季に際し特に破天荒一大特価を似て本目録の通り断行仕候に付何卒各位の御同情に依り毎回以上の大盛況を得候此機を逸せす奪つて御申込被下度伏して奉懇願候。

期間は九月二十日から十一月二十日までで、第一回前金二十円以上払い込みの注文に限るとされている。ここに大川屋の低正味買切制の実態を見ることができる。パンフレットの掲載によって、大川文庫は総称で、四種類があるとわかる。それらの内容、種類、点数、定価を挙げてみる。

1 長編講談  八千代文庫   六十種    三十銭
2 長編講談  さくら文庫   八十五種   二十銭
3 悲劇小説  柳文庫     二十二種   四十銭
4 活動小説  花形文庫    十六種    十二銭

煩雑をいとわず、平常正味と「特価」の双方を示せば、1は二十二銭が十七銭、2は八銭が六銭五厘、3は二十銭が十五銭、4は八銭が六銭で、「特価」の場合はそれぞれほぼ五掛けから三掛けとなっている。つまり通常の出版社・取次・書店という近代出版流通システム内では考えられない低正味であると断言していいだろう。おそらく書店は大川屋に代表される特価本業界の出版社からの仕入れ、新刊などに応用される「入銀」という低正味仕入れ、各出版社の時限再販といっていい特価販売による仕入れを活発に行ない、通常の粗利益の少ない高正味仕入れとのバランスを保っていたと思われる。

しかも大川文庫に関してはその内容によって、定価と正味が異なっていることにも注目すべきである。12は同じ長編講談とされているが、その明細を見ると、八千代文庫は講演者名が付された講談で、さくら文庫は作者名もない立川文庫的な物語とわかる。前者は年齢層に合わせて定価が高いが、後者は低年齢層を想定しているために定価も安い。また正味も低いのはこの「廉価大特売」の目玉にすえられているからだろう。そして点数から考えれば、講談は後退しつつあったが、まだ立川文庫的な物語の時代は続いていたことになる。

しかし本連載256で述べておいたように、この翌年の昭和三年に刊行される講談社の円本『講談全集』はこれらの特価本業界の講談本をベースにして成立することによって、旧来のそれらを販売不振に追いやり、絶版とならしめるであろう。そうした販売状況ゆえに、大川屋の長編講談の「廉価大特売」はそれ以後長く続かなかったとも推測できる。

それにしても、4のやはり作者名のない「活動小説」の花形文庫はともかく、3の「悲劇小説」とある柳文庫とはどのような物語なのだろうか。『新ほととぎす』『新己が罪』『新乳姉妹』などと「新」がついたり、『渦巻く浪』『恋の魔風』といったように、ベストセラーのタイトルをもじったりしていて、二十二点が並んでいるが、目を引くのはそれらの作者名である。尺草、白鳳、愁雨、流月、山雪、愛月、格葉、春水、美春、紫影という作者たちはどのような人物なのであろうか。

大川屋と同様の出版物を刊行していたと考えられる春江堂の周辺には、硯友社の二流の作者たちが集まっていたことを、桜井書店の桜井均が書いているし、本連載でもふれてきたが、大川屋の柳文庫に集った人々もそのような作者たちであったのだろうか。いずれにせよ、売れない作家たちの最後の砦、もしくはアジールが特価本業界であったことを物語っているように思われる。それはおそらく間違いないであろうし、十ページのささやかなパンフレットだが、見ていると思いは尽きない。

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