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古本夜話277 緑園『後藤隠岐』と武士道文庫『後藤又兵衛』

博多成象堂の武士道文庫の著者がすべて凝香園であることから、同じく「園」を含んだ緑園や碧瑠璃園といったペンネームを使用した渡辺霞亭を想起し、凝香園もその関係者ではないかという推論を、前回提出しておいた。もちろん後で出てくる塚原渋柿なども「渋柿園」とも称し、「園」を使っていることも承知しているけれども。

そこで玄文社の『残月』以後、霞亭の本も少しずつ購入したことを思い出し、調べてみると、四冊になっていた。それらのペンネームとタイトル、出版社を年代順に記せば、次のようになる。

1 緑園  『後藤隠岐 隆文館 明治四十三年
2 碧瑠璃園  大石内蔵助 大鐙閣 大正六年
3 碧瑠璃園  二宮尊徳 (『碧瑠璃園全集』第四巻、同刊行会、昭和五年)
4 渡辺霞亭  『渦巻』 (『大悲劇名作全集』第八巻、中央公論社、昭和九年)

これは取り出してあらためて気づかされたのだが、は「武士道小説」なる言葉が背のタイトルの上に置かれ、巻末の「新刊図書目録」は同書も含んで、緑園の『後藤又兵衛』『加藤清正』など、五冊の時代小説が並んでいるので、これらも「武士道小説」シリーズのように推測できる。私の所持する菊判の一冊は裸本であるので、カバー表紙がついていれば、「武士道小説」というコピーはさらに目立ったと考えられる。

隆文館とその経営者である草村北星については「家庭小説家と出版者」(『古本探究3』所収)や本連載で、すでに繰り返し言及しているが、『後藤隠岐』の巻末収録の「新刊図書目録」を見ると、明治末期の隆文館が時代小説と家庭小説の色彩の濃い出版社だったことを教えてくれる。同「目録」は八ページ、九十六点に及ぶそれらの作品群が収録され、時代小説は緑園の他に塚原渋柿、村上浪六、渡辺黙禅、江見水蔭など、家庭小説は草村北星、小栗風葉徳田秋声広津柳浪、柳川春葉、菊池幽芳などで、霞亭を含めれば、4の『大悲劇名作全集』の著者の半数が顔を揃えていることになる。

古本探究3

2は大鐙閣の縮刷版だが、これも巻末広告には十五点ほどの碧瑠璃園の時代小説が掲載されている。大鐙閣については「天佑社と大鐙閣」(『古本探究』所収)で論じているけれど、これも天佑社と同じく大正時代の大阪発祥の出版社である。
古本探究

3は円本時代の企画で、その全十八巻はすべて時代小説で占められている。これは蛇足ながら、碧瑠璃園全集刊行会は東京の麹町幸町のタイムス出版社内に置かれ、代表者の名前は佐藤三郎とある。この全集は2に示された時代小説の大半を含んでいるので、佐藤は天佑社に関係していた人物のように思われる。については家庭小説であり、すでにふれたので、こちらは省略する。

1から3までを見てわかるのは霞亭が時代小説だけでも夥しい作品を書き、しかもそれらはが縮刷版とはいえ、九百ページ、3は六百ページ近くに及び、他の作品にしても同様の長さではないかと想像される。しかも1で示したように、隆文館の時代小説は「武士道小説」シリーズと銘打たれていたことからすれば、緑園の「武士道小説」のシリーズ名とコンセプトが、そのまま博多成象堂の武士道文庫へとつながっていったとも考えられる。

もちろん緑園自らが加わることはないにしても、彼のアシスタントやスタッフ的立場の人間、すなわち凝香園が参加することで、武士道文庫のネーミング、企画、執筆、編集はただちに成立し、百巻を優に超えるシリーズとして展開されていったのではないだろうか。もちろんそうした意味において、凝香園が個人であっても、複数であってもかまわないことはいうまでもないだろう。しかし立川文庫が集団製作だったことからして、凝香園も複数の人物によって構成されていたと見なすほうが妥当だと思われる。

それから緑園の作品と武士道文庫の共通性のひとつを挙げれば、『後藤又兵衛』という共通のタイトルがある。隆文館の「武士道小説」シリーズに、先に挙げた『後藤隠岐』『後藤又兵衛』の他に、『後の後藤又兵衛』もあって、後藤隠岐は又兵衛の息子なので、実質的にこれらは三部作を形成していることになる。

まずはその緑園の「武士道小説」の地平、及び物語の位相を見るために、『後藤隠岐』の書き出しを引いてみる。なおルビは省略する。

 慶長四年豊太閤他界の後は、天下黒暗の如くなりて、さしも静かなりし津々浦々の波風は又騒ぎ立ちぬ、幼名補佐の起請文に注ぎたる血の痕は未だ乾かざるに、領主地頭の爪は研かれて、到る処に勢力争ひの小衝突は始まりぬ、家康には尚征夷大将軍の宣下なく、豊臣秀頼は幼くして僅に虚位を擁するのみ、関ヶ原の戦ひに天下分目の雌雄別れて、世は関東の手の中とこそ見えしが、古えを偲び、旧を慎ふ義俠の士は、絶えず不平の血を感慨の涙の中に溢らせぬ。後藤又兵衛基次の如き又其の中の一人なりき。

語り物を想起させる練達な文章とリズムは、緑園の並々ならぬ時代小説の書き手としての力量を浮かび上がらせている。それは家庭小説においても同様なのだ。

『日本人名大事典』平凡社)や『日本伝奇伝説大事典』角川書店)などを参照すると、緑園の書き出しからうかがわれるように、後藤又兵衛は戦国の武将で、黒田長政に仕え、秀吉の九州征討、文禄の役関ヶ原の合戦で殊勲を挙げ、筑前嘉穂郡小隈一万六千石の城主となったが、後に浪人し、大阪冬の陣が起きると、秀頼の招きによって大阪城に入城し、元和元年夏の陣で敗北したとされる。この又兵衛は、近世後期の浄瑠璃や講談のモデルや主人公となり、真田幸村と親交のある反俗孤高、知と武を兼備し、豪胆で秀吉の恩を忘れぬ忠節の武将として描かれることになる。
日本伝奇伝説大事典
拙稿「霞亭文庫と玄文社」(『古本探究3』所収)において、霞亭が江戸時代の文学書の大阪一の蒐集家で、その他に匹敵するものを見ないというコレクションは、東京大学図書館に「霞亭文庫」として残されていることを記しておいた。それらの中でも、浄瑠璃本関係が最も多く、碧瑠璃園のペンネームにも浄瑠璃からとられていると考えられるから、彼は後藤又兵衛をモデルとする様々な浄瑠璃に通暁していたはずで、それをふまえ、又兵衛にまつわる三部作が「武士道小説」として書かれたと判断していいだろう。

そしてその『後藤又兵衛』が博多成象堂の武士道文庫にも見つかるのである。残念ながら入手に至っていないけれど、これは緑園の作品のリライトのようなものではないだろうか。その著者も凝香園であるとすれば、否応なく、凝香園は、緑園=碧瑠璃園=渡辺霞亭の周辺の人物、関係者だったと見なしていいように思われる。

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